第17話 ペア
掃除はメイドの最も基本的業務の1つ。ご主人様やお客様のために、整理整頓され、手入れの行き届いた綺麗なお部屋を用意しておくのはとても大切であり、同時に誇らしい仕事だ。たとえ目立たないことだとしても、私は、私たちはこの仕事を誇りに思っている。
床を拭きつつ、そんなことを考えていると、ふと昨日出会ったばかりのお客様の顔が浮かんだ。
私たちは従者だ。仕えることが当たり前。寝食には困らないし、少し節約すれば欲しいものを買えるくらいのお給金だって貰える。そこに不満なんて当然ないし、今以上の待遇が欲しいとも思わない。
でも───
『ありがとうございます』
その当たり前に、感謝の言葉を言われるのが嬉しくて。そんな人だから、私は分不相応にもお友達を名乗り出てしまった。……もしかしたら、そんな点が良くなかったのかもしれない。
『リディア。あなたは今後、蘆堵様に近づいてはなりません』
昨日、レット姉……マーガレットメイド長からそう言われたのは、つい気が緩んで、従者にあるまじき態度で客人に接してしまったからなのだろうか。
もちろん、そう言われてもすぐには納得しなかった。でも、理由を聞いても教えてくれないし、ついには上司の命令とまで言われちゃうと、私は従うほかない。……そんなに私の接客ダメだったのかな?
考え事をしていると、注意が散漫になってしまった。
手に硬い物がぶつかる感触、同時にゴンッと少し鈍い音。続けて、バシャッと大きな水音を立てながら、みるみるうちに水たまりが出来上がっていく様を目の当たりにする。
掃除中だというのに、バケツの中の水を零してしまったのだ。
「何やってるの!?」
「も、申し訳ありません!」
先輩のお叱りの声に返事を。そして、すぐさま倒れたバケツを立て直す。
形成された濁った水たまり。汚れた個所を拭き掃除した雑巾。それを何度も洗った水は黒く汚れており、やってしまったという後悔と恐怖が私を苛む。
「え、えっと……」
盛大なやらかしに頭が真っ白になってしまう私。あれ、私、今何しようとしてたんだっけ?焦りであたふたとしてしまう私を落ち着かせたのは、目の前に差し出された雑巾と1つの声。
「はい、乾いた雑巾」
「あ……ありがとうございます、カレンさん」
「良いって良いって。それより、焦りすぎだよ。ほら、私も手伝うからちゃっちゃと片付けちゃお」
そう言ってカレンさんは私の横に膝をついて水を吸い取るように雑巾を動かしていく。私もそれに倣って、すぐに拭き掃除を再開した。
カレンさんは私と歳の近いメイドさん。私が最年少だからというのもあって、良く声をかけてくれる人だ。
「ね、リディアちゃん。何かあったの?」
「え?」
隣からの声に顔を上げて目を見やる。しかし、カレンさんはこちらを見ないまま続けた。
「手は止めない。怒られちゃうよ」
「は、はいっ」
2人で掃除はしながら、あくまで雑談のような形でカレンさんは尋ねてきた。
「それで、どうしたの?なんか今日は朝からボーっとしてるみたいだし」
「え……そんなに分かりやすいですか、私」
確かに、昨日の一件があってから今日は色々考えてしまって、集中できていないかもしれない。自覚はしていたけれど、周りから見て分かるほどだったのかと思うと、恥ずかしい気持ちになる。
「まあね。昨日は『髪乾かします!』ってお風呂で声かけてくれたと思ったら、今日は心ここにあらずって感じだし。落差が凄いよ?」
そう言われて、私は昨日のお風呂を思い出す。
魔法で洗濯物を乾かした時に、蘆堵様から濡れた髪は乾かさないといけないと教わった。それで、さっそくご一緒したカレンさんに日ごろの感謝も込めてお声がけして、魔法でカレンさんの髪を乾かしたのだ。カレンさんが「気持ちぃ」と喜んでくれて、ぜひ他の人にもやってあげたら良いと言われたことは覚えている。
その時の私は、カレンさんの反応が嬉しくて笑顔だったけど、思えばその後にレット姉から蘆堵様に関わるなと言われたんだった。最後に私と会ったのが昨日のお風呂だったカレンさんからすれば、確かに気持ちの起伏が激しく見えたかもしれない。
「すみません」
「別に謝らなくても良いけど、何か悩み事?私でよければ聞くよ?」
「いえ、悩みというわけでは」
私自身の態度が原因で招いたことだ。改めればきっと、レット姉も命令を撤回してくれるはず。今は、こんなミスをしない様にとにかく自分を律しないといけない。
「そう?なら良いけど。よしっ、こんなものかな。リディアちゃん、魔法で軽く乾かしたら終わろ」
「はいっ」
大まかに零した水を拭きとったので、私は手をかざして詠唱する。手から発せられた温風は床に残った微かな濡れも効率よく乾かしていった。
「ここにカーペットとか敷かれてなくて良かったね。それだったら大事だったよ」
「はい、すみません……以後気を付けます」
片付けが済み、私は改めてカレンさんにお礼を言う。いいよいいよ、と軽い反応を返してくれたカレンさんに私は尋ねた。
「私は次の仕事に向かいますが、カレンさんは?」
「じゃ、ついて行こうかな。今日のリディアちゃん、ほっとけないし」
「え、でも、カレンさんのお仕事の方は?」
「気にしない、気にしなーい!」
ぐいぐい、とカレンさんに背中を押されながら、私たちは部屋を出るのだった。