第16話 少女の秘密
城の内部を適当にぶらつく私は、ある廊下で周囲を軽く観察する。現在、私以外に人がいないことを確認してから、目の前の窓を開いた。
続けて、そっと制服の袖に手を入れて人差し指と中指で一枚の紙を取り出す。縦長の質の良い紙には朱色の文字が描かれており、中央には象形文字のような図形が象られていた。
腕を伸ばし、指で挟んだ紙を地面と水平に保つ。そして小さく呟いた。
「急急如律令」
刹那、朱色の文字に血が流れたの如く淡い光が走り、手にしていた紙───札が意思を持ったように揺れる。札から放たれた光は霧散せず空中で小さな球を成すように集まり始めた。その球は時間が経過するにつれて、球ではなく小さな生物の形になっていく。
光が収まる。札が止まる。そしてその代わりに、札の上空数センチの位置に白く、小さな生命が羽ばたいた。
「行きなさい、周」
私の一言に応じて、その小鳥は窓から飛び立った。私はその姿を見届けてから、窓を閉める。これで外から見た城の様子を確認できるだろう。
私の実家は神社。京都に並ぶ有名で大きな社とは比較もできない程に小さなものだが、それでも代々地方を守り続けてきたそうだ。何から守ったのかと言うと、いわゆる妖怪。魑魅魍魎たちからだ。最も分かりやすく言うならば私の家系は陰陽師なのである。
そんな家で育ったので私も幼少期から色々な術を叩きこまれた。幸い適性はそれなりにあったようで、今しがた召喚したように式神を扱うこともできる。
「不幸中の幸いね……」
式神の呼び出しはお札を媒介にして行う。より正確に言えば、お札の中に閉じ込めている式を私が呼び出している。そのため、そもそも札がなければ式神は扱えない。
この異世界に連れてこられる直前、私たちは学校にいた。私もこれでも陰陽師の端くれ。最低限、妖と戦えるような装備もあり、例えば着物や扇なんかがある。だけど、それらは常日頃から身に着けているわけではない。肌身離さず持っているのはこの式を呼び出せる札3枚のみだ。
そして、私がもしこの札すら持っていなかった場合、正真正銘「無能力の役立たず」だっただろう。
彼の指摘通り、私には───加護がないから。
「はぁ……」
あのご老人をはじめ、こっちの世界の話を聞く限り加護とは神からの祝福。その言葉通りなら、私と蘆堵君はそもそも神からよく思われていない、なんてことになる。
まあ、私の加護無しというのは納得できなくもない。陰陽道では「星」が結構重要な役割を果たし、占星術も陰陽師の仕事の範疇にある。
だけど、この世界では星が見えない。常に空に浮かぶのはあのプリズムだ。星々や宇宙の概念を大事にする陰陽師にとってこの世界の神とは相性が悪いのかもしれない。勘違いされることも多いけど、そもそも陰陽道は宗教じゃないし。
でも、私の方はそれで納得できたとしても、蘆堵君の方は分からない。もしかして同じ陰陽師、そうでなくとも法術や呪術に多少なりとも通じている人かと思ってこれまでいろいろ探りを入れてきたけど、恐らく彼は本当にただの一般人。
いや、一般人というのはちょっと違うかもしれない。
ただの高校生が、あの混乱状態の中、水晶玉の光り方が自然か作為的かだなんて違和感を持つだろうか。加えて、食べ物を口にしていないなどの些細な行動も見逃さないとか。学校の様子では目立ったところなんてなかったけど、実は日ごろから人間観察でも趣味にしてたんじゃないかと思ってしまう。しかも、命が危険な状態にあると私が告げても動揺は僅か。どんな神経をしてるんだろう。私も一介の術者なので普通とはとても言えないけど、変人度合いで言ったら彼の方が数段上だ。
「今更だけど私、相当面倒なことに巻き込まれてるなぁ」
そんな変人の指示に従って、城にいろいろ探りを入れているとか、本当どうしてこうなったんだろうか。でも、こっちの世界で飴とか貴重品だし……いや貴重品とか以前にそもそもあるんだろうか、そういうお菓子。宴会の時はあまり並んでたイメージないけど。私、結構甘党だからないと困る。
『甘党が辛くて辛党になっちゃう?』
……やかましい。
ていうか、なにこのイマジナリー蘆堵君。勝手に私の脳内に出てこないでよ。
『う~ん、世知辛い』
だからうっさい!
べしっと脳内の蘆堵君の頭をひっぱたく。「痛いじゃんかぁ!」などと言っているが、痛くしたのだ。……いや、ほんとなんで出てきたの?私そこまで毒されてる?この世界の加護付与が洗脳だって言ってたけど君のこれも洗脳じゃない?
「はぁ、疲れる」
思わずため息を漏らしたその時───
「どうかなさいましたか?」
「え!?」
背後から声が聞こえ、慌てて振り向く。脳内蘆堵君のせいで周囲への警戒が疎かになっていたのか、人の接近に気が付かなかった。
「申し訳ございません。驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ……」
既にお札をしまっていたことに内心安堵する。魔法が存在する以上、この世界に陰陽術はないと思うが、それでも手の内を必要以上に明かすのは避けたい。あんな奇怪な模様の書かれた紙なんて変な目で見られるに決まってる。それを抜きにしても、蘆堵君にさえまだ隠しているのだ。
変に挙動不審にならない様に意識しながら、私は笑顔で言う。
「朝の訓練も終わったので少しお城の中を散歩してたんですが、迷ってしまって」
「そうでございましたか。私はこの後業務があるのですが、必要でしたら案内の者をお付けいたしましょうか?」
その申し出に私は少し考えを巡らせた。
今後の生活のことを考えるなら城のことはもう少し知っておきたいし、蘆堵君の頼みのことも考えれば悪くない提案だ。だけど、人が常についていると、術を使いたい時に妨げになる。……だったら。
「それじゃあ行きたいところがあるんです。そこまで案内して頂ける方はいませんか?」
折衷案でいこう。