第12話 白黒感情
勇者召喚はめったに行われるものではなく、前回行われたのは100年以上も前のことになります。私も随分長くこの城に勤めていますが、実際に勇者召喚の儀を目の当たりにしたのは初めてのことでした。
その儀式の中で唯一、加護無しと判明した少年。その異常性を、私は甘く見ていたのかもしれません。
思えば、玉座の間で加護無しと告げられ、数多の懐疑的視線を向けられてもなお取り乱すことのなかった精神力、年齢に似つかわしくないものです。あの時に警戒度をもう数段上げておけば良かったのでしょう。
私があの少年、蘆堵宗太を注視しだしたのは宴会が始まってからのことでした。
メイドの中では最年少で経験の浅いリディア。ここまで規模の大きい催しで、まだ緊張してしまうのは当然のこと。少し観察すれば、他のメイドとの差を確認することも可能でしょう。偶然を装いリディアとぶつかった彼は、そのままわざと飲み物を零し、着替えを名目に宴会場を後にしました。
先ほど少し話して分かりましたが、あの少年は言葉が巧みです。対して、リディアはもともと純粋な性格。加えて自分がお客様のお召し物を汚した罪悪感もあり、彼の話にいつも以上によく耳を傾け、対応したことは想像に難くありません。昔からあの子はそういう子です。
そして私が警戒度をさらに引き上げたのがその会話の中、王女様について蘆堵様が探りを入れ始めた瞬間です。あの時、加護無しという立場のため、王女様に手を出そうとしていることはすぐに察しがつきました。そのため、それ以上の会話を打ち切るべく声をかけたのです。
しかしながら、それでも彼は引きませんでした。忘れ物というのも、わざとだったのでしょう。それを名目にその日でなくとも後日、リディアと接触を図ることが可能になりますから。今回の場合、私の妨害のせいですぐにその保険を使わざるを得なくなったと見えます。
リディアと蘆堵様の距離が明確に縮んだのは洗濯中のことでしょう。室内とは異なり声が拾いにくかったため会話の内容を聞き取ることはできませんでしたが、リディアに終始笑顔が見えていたことを覚えています。何かを口に含むような仕草もありましたし、食べ物で釣られてしまったのかもしれません。あの時、2人きりにしてしまったのはやはり悪手でした。メイド長という立場上、宴会場から長い間は離れるわけにはいかなかったものの、あの場で監視役を置くべきだったのでしょう。実際にその後、仲を深めたリディアに城の案内を頼み、図書館へと蘆堵様は向かってしまわれたのですから。
今でもまだ、彼がどのようにあの資料庫の本を手にしたのか、その手段は分かりかねます。人懐っこいリディアと異なり、ルーレ様は相当に気難しい方です。打ち解けるのは至難。仮に打ち解けることができたとしても、資料庫に入る手段などあったとは思えません……いえ、ここは考えても仕方のない事でしょう。
重大なのは、蘆堵様が図書館から出てきた際、その腰部分に明らかに違和感があったこと。上手く隠してはいましたが、背後から見れば察知することも可能です。私はその瞬間、蘆堵様を明確に黒と認識し、打ち解けたリディアを半ば強引に引き離して、私と2人になる機会を設けたわけですが……無意識下で、魔法の使えない加護無しという観点で油断していたのかもしれません。
「……」
蘆堵様は加護無しという点で今回の召喚で特異的人物です。一方、まったく逆の意味で特異的存在なのが、先ほどお会いした渕上様になります。召喚魔法という希少な魔法への適性、必ずや重宝されることでしょう。あの方の前で、無用なトラブルを引き起こすわけにはまいりません。結果、魔法の拘束を解き、蘆堵様をとり逃すことになりました。
想定外だったのは、そのような方と蘆堵様の間で交流があったこと。ご学友らしいのでもちろん全くの無関係でないのは当たり前ですが、わざわざ心配して探し回るだけでなく、あの気の置けない親し気なやり取り。ただのご学友という枠組みからは外れた関係でしょう。男女の仲、というわけではなさそうでしたが。
加えて、渕上様の話では他にも蘆堵様を探し回っているご学友がいたとのこと。あのような性格ですと負の感情を向けられることも少なくなさそうでしたが、実際のところは勇者の皆様の間での人望もあると見えます。この辺りは改めて探っていく必要がありますね。
いえ、それよりも先に、まずは本の窃盗に関して上に報告を───
「……」
できない。報告なんて、できない。
私は自らの脇に抱えた『王女様側近業務日誌』の表紙に目を落としました。
そもそも、私がこの本を取り返してしまったことで、現行犯で取り押さえる機会を逃してしまっています。また、ルーレ様がすぐに指摘していないということは、本を盗んだ現場は見ていない。蘆堵様の犯行を証明する手段は、何一つない。
私の証言にも一定の信頼性はあるでしょう。これでも長くこの城に仕えている身です。しかし、勇者召喚の客人が相手では分が悪い。加護無しの蘆堵様だけならばその限りではありませんが、渕上様をはじめとする複数の勇者様との一定以上の関係が示唆された以上、明確な証拠なしに蘆堵様を犯人だと主張したところで、上は聞き入れないでしょう。私の言葉を信頼して頂けても、異世界の勇者様との関係を悪化させないために揉み消す可能性も十分にあり得ます。
そして、懸念はもう1つ。
「リディア……」
あの子が巻き込まれてしまうこと。先ほど、リディアが私のことをレット姉と愛称で呼んでしまいました。蘆堵様がそれを流すわけもありません。私とリディアがただの職場の上司と部下でないことまで推測できてしまっているでしょう。
仮に蘆堵様の罪を問うことができたとしても、交流の深かったリディアまで処罰されるのは避けたい。リディアは立場の低いメイドの中でも外部からの参入で余計に不安定な立ち位置。蘆堵様が道ずれにしようと何か策を巡らせた場合、それを確実に防げる保証はありません。
もちろん本来であればこの辺りの事情を無視し、王女様を第一に私は蘆堵様の対処に動くべきです。従者として最優先すべきは主人、当然のこと。もしもリディアと王女様が命の危険にさらされ、どちらか片方しか助けられないとすれば、私は王女様を助けます。
───しかし、今はそれほどまでに切迫した状況なのでしょうか?
蘆堵様がこの本を持ちだしたことは明確に罪である一方、言ってしまえば今はまだ、それだけ。王女様もリディアにも何1つ危害は加えられていない。
『僕のもといた世界でも部屋に閉じこもったままというのは珍しい話ではありません。しかし、その要因の一つは周囲の環境です。同年代に溶け込めないなどの人間関係の躓き、それに伴う恐怖、家庭環境による拘束……周囲の重すぎる期待、とかね』
先ほどの彼の言葉が頭の中で反響し、同時に恐れ多くも王女様のご尊顔を思い浮かべてしまいます。
彼の指摘にもありましたが、実際、我々の過去のアプローチは王女様にあまり効果がありませんでした。かといって、機密情報の塊でもある王女様にむやみに人を会わせるわけにも参りません。それは王女様にとってもストレスです。
その点、世界を超える部外者であり、いざとなれば処分も簡単な異世界人というのは蘆堵様の提案通り、新しい風として機能するのかもしれません。もちろん、それはかなり希望的観測にはなるでしょう。
蘆堵様の今後の動きは相変わらず読めません。ですが、やろうと思えば先ほど渕上様に私の行いを告げて、私の処分を確定させることもできたはずです。それをせず、寧ろ私の行いを隠すような言動をとったことから、彼の考えも伺えます。
───敵対する気はない
そういうことなのでしょう。私が蘆堵様に懐疑的、悪感情を抱いているのは彼自身分かっているはず。王女様を害しようと考えるならば、自分にとって不利になる情報を入手した側近など消してしまった方が動きやすい。少なくとも私はそう思います。それでも、彼はそうしなかった。
先ほどの彼の言葉をどこまで信用したものかは判断しかねますが、私は彼を嘘くさい詐欺師、掴みどころのない道化のようだと思うと同時に、願ってしまっているのかもしれません。
彼の言葉が本心で、王女様を再び日の光の下へ連れ出してくれることを。
小さく息を漏らします。いずれにせよ、リディアが人質のような形になってしまっている以上、今すぐに動くのは早計。蘆堵様への監視を強化しつつ、いったん様子見するのが無難でしょう。
私は脇に抱えた本を改めて持ち直し、ルーレ様にどのように説明したものか、頭を悩ませながら歩き始めました。