第11話 危機一髪
「これは、図書館の中の資料庫のものです。持ち出し厳禁のこれを、どうしてあなたが?」
さて、まずいことになった。
僕が図書館でルーレさんと話した時のこと。ルーレさんは僕が加護無しだと聞くや否や席を立ち、奥の資料庫に向かった。
もともと、あの資料庫の中にある本が欲しくて色々会話の切り出し方を工夫していたのだが、想定よりも随分早くルーレさんが資料庫の鍵を開けてくれた。というか、僕が働きかけるまでもなく自主的に開けてくれたという方が正しい。まあ、無駄な労力を使わずに済んで行幸だ。同時に僕の加護無しが、かなりのイレギュラーだというのも再認識させられたが。
そのイレギュラーに驚いたのはルーレさんも同様。いきなり立ち上がって資料庫に入り、一心不乱に資料に目を通すほどの取り乱し具合だった。
それは、背後から僕がこっそり資料庫に入っても気がつかないほど。
僕はルーレさんが本を読んでいる隙に資料庫に侵入。申し訳ないが無断で本を物色、目当ての物を拝借させてもらった。
その本だけを抜き取って、資料庫入り口まで退出。何食わぬ顔と声でルーレさんに声をかけることで、彼女の意識を資料庫外および僕に向けさせた。抜き取った資料に気が付かないようにさせると同時に、もたもたしていると僕が入ってくるかもしれないという焦燥感を抱かせるのが狙いで、実際それは成功したわけだが……
まさか、こんなところでミスをすることになるとは。やっぱりズボンと腰の間に挟むのでは無理があったか。いや、いきなり吊るし上げられて、その衝撃で落とすことになるとか想定するのが無理だろ。
ええい、今はそれどころじゃない。最優先すべきは、この状況をどう切り抜けるかだ。
「その本は確かに図書館の物ですが、資料庫?とやらの物ではないです。ルーレさんに正当な手続きを踏んで借りました。逆に聞きたいんですけど、メイドさんは図書館立ち入り禁止なんですよね?なんでそれを資料庫の本だと思ったんですか?」
僕がそう言うと、マーガレットさんは無表情のまま告げる。
「嘘はお控えください。また、立ち入り禁止は必ずしも内容を把握していないことを意味しません」
その通り。だけどそれはつまり、だ。
「そうですよね、例えばその『王女様側近業務日誌』の記述者がマーガレットさん本人なら知っててもおかしくない」
「……確認のために嘘を?」
「いえいえ、まさか」
もちろんその通り。マーガレットさんが王女様専属従者なのはこれでほぼ間違いない。加えて、ただの業務日誌なら召喚魔法と同レベルのセキュリティで管理する必要もないだろう。つまり、王女様のひきこもりは、そう単純な理由ではなく、国家レベルの重大な何かが絡んでいる可能性がある。考えられるのは、かなり特異的な魔法への適性があるとか。
「さて、それじゃあ正直に答えます。僕は王女様について調べようと図書館に向かいました」
僕がそう言うと、マーガレットさんがナイフを投げようと構える。
「わー!わー!待ってくださいっ。確かに王女様へ興味はありますが、それは決して危害を加えようと思ってではありません。そもそも、この国の王族ともなれば王女様も生粋の魔導士なんでしょう?それぐらい簡単に想像つきます。僕ごときがどうこうできるわけないじゃないですか。僕の立ち振る舞いを観察してたんなら僕が魔法おろか、武芸に疎いことも分かるはずです」
僕の発言を聞き、数秒止まったままだったマーガレットさんはゆっくりと息を吐きだし、ナイフを構えた手を下げた。
「……確かに、雑魚ですね」
言い方悪っ。……え、いや悪くない?あなたメイドだよね?え?
僕の戸惑いをよそに再び佇まいを正すマーガレットさんを見ていると、聞き間違ったのかと思ってしまう。
「王女様に危害を加える意思・能力がないとしても、王女様に悪影響がないとは言い切れません。そのような機会自体がないとは思いますが、くれぐれも王女様に近づくことのありませんよう」
そう釘を刺してくる。
「失礼ですね。良い影響があるとは考えないんですか?」
「打算で新人メイドに近づくような人をどう信頼しろとおっしゃるのですか」
うーん、正論。……ちょっとくらい仕返ししてもええか。
「そうやって周りが勝手に人との接触を管理するから王女様はひきこもってるんじゃないですか?」
「危険因子を取り除くのは従者の務めです」
「主人の意思を無視するのもですか?殊勝なことですね」
やれやれ、と息を吐きながら首を横に振り、煽ってから続ける。
「僕のもといた世界でも部屋に閉じこもったままというのは珍しい話ではありません。しかし、その要因の一つは周囲の環境です。同年代に溶け込めないなどの人間関係の躓き、それに伴う恐怖、家庭環境による拘束……周囲の重すぎる期待、とかね」
テストでいい点が取れない、体が小さいから、運動ができないから、そんな理由によるいじめ。家が名門で、行き過ぎるほどに厳格な教育を施された故の、幼子にはあまりに酷なプレッシャーなど。
王女様の場合、このどれを抱えているのかは現状まだ分からない。だが、王族とはいえ人間である以上、どれも可能性があるものだ。厄介なのはこの辺りの要因が複雑に絡み合ってしまった場合だろう。元いた世界において、この分野は専門家でも慎重を期すようなものなのに、こっちでさっきの予想のような魔法まで絡んでくると、解決するのは相当に難しいだろう。
確かなのは、王女様の現状について、その理由すら特定できていないならば王女様周りの教育環境は杜撰だということ。また、特定していてなお進展していないのならば、今の城内部において、有効打を持ち合わせていないということだ。
だからこそ、そこに付け入るスキがある。部外者の僕だからこそ、利用できるスキが。
「お口が過ぎます、蘆堵様」
「これは失敬、生憎と正直な性格なもので。過ぎたついでにもう1つ。仮に僕が打算で動いているとしましょう。僕ならある一時に目を向け、その後をふいにするようなことはしません。打算の結果、自他ともに利益を享受できるようにします。信頼は無理でも、信用してもらえる。駒として有効に使える。それが僕のモットーです」
「……それならば、信用もできませんね」
「ご慧眼。確かに今考えて言いましたし。はははっ」
普段からそんなことばかり考えているわけではない。だが、今の言葉は嘘ではない。
「ですがまあ、王女様に良くないことをすれば即刻首うちとかでしょうし、そんなバカなことはしません。今の言葉は咄嗟に出たものですが、同時に本心でもあります。実際、今のところいい方法見つかっていないんじゃないですか?何か実行に移してるなら、既にそう反論してるはずです」
一息ついて、続けた。
「もし、停滞した現状を変えたいと思うなら、ぜひお声がけください。雑魚には雑魚なりの、人の楽しませ方っていうのがあるんですから」
「その状態では格好がつきませんね」
「つまりは滑稽、面白いってことでは?」
僕がそう言うと、マーガレットさんは小さくため息をついた。
「リディアにも、もう近づきませんよう」
ここでリディアさんに戻るか。
「それはあなたが決めることではないと思いますけど。まあ、マーガレットさんが指導者なら一定の権利はありますか。でしたら、リディアさんにはきちんと伝えてくださいね、僕、蘆堵宗太が怪しいから接触しないように、他でもない『マーガレットさん自身が言った』と。そこをごまかすのはフェアじゃあない。教育者で正しいことをしていると思うなら、なおさらね」
自分の行いには責任を持つべきだし、筋は最後まで通すべきだ。そこを都合のいいように歪曲するなんて、指導者の風上にも置けない。
僕のその言葉に対しても、対して取り乱す様子のないマーガレットさんは口を開く。
「蘆堵様───」
しかし、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。顔にも態度にもほとんど出ていないが、僅かに目に動揺が走ったマーガレットさんは左手を少し動かす。
その瞬間、両足手首にあった拘束の感触が霧散し、僕は地面にドサッと落ちる。そしてそこからほんの数秒、僕が息を整える間もない間に、僕の後方、僕と相対していたマーガレットさんにとっては正面から声が聞こえた。
「蘆堵君?何してんの?」
僕は地面に突っ伏したまま片手を挙げてその声に応える。
「やぁ渕上さん、恥ずかしいところを。こちらのマーガレットさんに城を案内してもらってたんだけど、なんか歩き疲れたみたいでさ」
「バカなの?」
呆れた声を漏らす渕上さん。顔をあげてみれば……やめて、その10メートル先のゴミを見るような目やめて。いきなり地面とキスした僕を視界に入れて不審な気持ちを抱くのは分かるけど。
「渕上様」
渕上さんを見て、丁寧にお辞儀をするマーガレットさん。渕上さんは希少な召喚魔法の適性アリとして城側は認識しているからか、僕よりも対応が随分丁寧だ。え?理由はそれ以外にあるって?ははは、心当たりがないなぁ。
「すみません。こいつが迷惑おかけしたみたいで。クラスメイトとして謝罪します。ほら、あなたも」
「え、いや僕は……ぐえっ」
渕上さんに半ば無理やり頭を押させつけられる。痛い。床と頭が擦れて痛い。せっかく起きようとしたのに。
「ほら、帰るよ蘆堵君。クラスの他の子も心配してるんだから」
「そりゃあ助かるけど、道分かるの?ここにいるってことは渕上さんも迷ったんじゃ───ぐえっ」
再び頭を掴まれて強引に下げられる。
「あんたを探しに知らないところまで来たんでしょうが。ほら、さっさと立つ」
「なら頭から手、どかしてください」
上からため息が聞こえて、頭に乗っていた手の感触が消える。ようやく真の意味で拘束がなくなった僕はおもむろに立ち上がった。
「それじゃあ、マーガレットさんありがとうございました。また」
「……はい。おやすみなさいませ」
渕上さんと並んで歩きだす。
背を向けたマーガレットさんから、声をかけられることはなかった。