第1話 勇者、失格
そこで考え出したのは、道化でした。
───太宰治 「人間失格」 より
あの時、少年の頭には真っ先にそれが浮かんだのです。かつて夏休み、読書感想文の課題として無理やりに読んだあの本の中の一文でございます。自分の中の異常性をよく理解し、不安と恐怖に苛まれたその男が、周囲に溶け込むべく至ったその結論。少年は感想文でその男をどのように称したのか……はるか昔の記憶のことです。あまり覚えておりませんでした。
ただ、きっとその男を酷評するようなことはしなかったのではないか、という妙な確信があったのです。哀れと思ったかもしれません。惨めと感じたかもしれません、可哀そうだと涙を流したのかもしれません。あるいは、周囲から疎外されるのを恐れたその男の決断が、ひどく人間らしく感じたような気さえするのです。
しかし同時に、若かりし当時は感じなかった「重なり」を少年は覚えました。その男ほど苦しいと言う気など、毛頭ありません。ええ、ええ!そんなことを言えば、かの偉大な著者を慕う人から、さながら魔女裁判にでもかけられるかのように吊るし上げられ、晒され、業火にくべられてしまうことでしょう!ただの薄っぺらな感性でございます。しかしながら、周りと違うという孤独を、同じく「道化」を纏うことでやり過ごそうとしたということに、恐れ多くも少年は共通項を見出したのです。
当然、同じことばかりではありません。彼の場合は最終的に自分自身を不適合な存在とし、自ら「人間失格」の烙印を押しました。
少年の場合は異なります。
1つ。それを下したのは自分自身ではなく他者でした。
1つ。最後ではなく、それが最初でございました。
1つ。烙印の名は「勇者失格」。
どうぞどうぞ、ご歓談のほどを。これよりお送りするは、不良品の……おっと失礼。
……少々悪知恵の働く少年のお話。
まさか、そんな非現実的なことが本当に起こりえるだなんて想像すらしていなかった。
「以上が、この国の現状だ。異界の勇者たちよ。どうかこの国を救うため、力を貸してはくれぬか」
豪華絢爛な部屋……というには少々広すぎる。石造りの大広間。壁にかけられたろうそくが揺らめき、甲冑を身にまとった兵士が数多くすぐそばで控えている。そのさながら中世ヨーロッパの玉座の間のような場所で「王」と名乗ったその男性、アレス=ロイ=エラクトリア13世は説明をした。
ここは、僕達がいた日本から見て俗にいう異世界に当たるそうだ。そして、今僕たちがいる場所はその異世界の中にある国の1つ、エラクトリア。国に代々伝わる秘術とやらで僕たちをこの地に召喚した、とのことらしい。その目的は、現在活発化している魔族との戦いに備えるためなんだとか。
最初は手の込んだ夢かドッキリとか、最新鋭のVRゲームのテストプレイだとか、そんなことを想像したのだが、どうやらここは現実世界らしい。なぜそう思ったか?理由はいろいろある。
まず1つ目。スマホがつながらない。
スマホの電源自体は入るが、ネットを接続する機能を中心としたものは大抵使えない。電話やSNSももちろん圏外。
2つ目。景色の現実感。
夢やVRにしては景色が余りにも重厚感を帯びすぎている。それは壁や床に城、兵士の格好や武器にしろだ。ドッキリとするにはセットが余りに豪華だし、そもそもクラス全員、それも教師含めて気が付かれずにどこかへ連れ去るなど不可能に等しい。
3つ目。魔法の存在。
先ほど、あのフード姿の老人が宙に浮いたり、火の玉を作り出したり、そんな摩訶不思議な現象を起こして見せたのだ。
もちろん、それを見てすぐに「魔法だ!」と信じたわけではない。かなり高度だろうが、タネや仕掛けがあれば手品としてできないことはないだろう……多分。
いや、正確にはそう信じたかったのだ。
問題はその後、そんな魔法が僕達にも使えると老人が言ったことにある。なんでも、異世界から召喚された僕たちは、この世界の神、アルノヴァの寵愛を受け、強力な加護というのを授かっているそうだ。
今まさに、その僕たちの加護を判定する作業が行われているところ。
「この色は……召喚魔法!?何と稀有な……もし、何か呼び出せたりはしませんか?」
「え、ええ!?む、無理ですよいきなり!」
「いやはや、すみません。このご老体、まさか生涯で2度も召喚魔法適性のある人物に巡り合えるとは思わず、つい感動してしまいました。ぜひとも今後、期待させていただきたい」
「は、はあ……」
加護の判定方法は用意された綺麗で大きな水晶玉に手をかざすこと。手をかざした際の水晶の光り方で、その人物が授かった加護が判定できるらしい。例えば今の子は召喚魔法の適性アリと判断された。老人の反応からしても珍しいものなんだろう。
さて、繰り返すようだが、別にこの水晶玉判定を見て、魔法があると信じたわけではない。仕掛けがあれば七色に光るガラス玉なんて簡単に作れる。
だが、そうもいかなくなってしまうことが、次々に起こるのだ。
例えば、ぼおっ、と視界に突如現れた、人の体の半分はあろうかという大きな火球。何の火種もなく突如出現したそれは、クラスメイトの手の上でふわふわと浮いていた。
おおよそ、僕の知る物理法則の枠組みから外れた光景だ。
「おお!炎属性への魔法適性が非常に高いだけでなく、これほど早く行使されるとは……いずれは、より上位の魔法すら扱えるようになるでしょう!」
「へへっ、俺天才みたいだな!」
「ええ、まさにその通り!圧倒的な才能でございます!」
このように、人によってはそれですぐさま魔法を行使している奴もいるのだ。
あの老人がみせたものだけならまだ手品の類だと言えたのだが、クラスメイトがさながらゲームのように火の玉を作ったり、触れたものを凍らせたりしている姿を見ると、その線も消えてしまう。
ここは本当に、日本どころか地球ですらない。あるいは僕たちの知る宇宙のどこかですらないのかもしれない。
「そこの貴方。次はあなたの番ですぞ」
「……」
いろいろ考えを巡らせている間に、他のクラスメイトはみんな判定を終えてしまった。
他の人の判定を一通り見ていて、分かったことがいくつかある。まず、水晶玉の発する色で魔法の種類、老人の言葉を借りるなら属性だが、それを判別することができる。召喚魔法なら白、炎魔法なら赤、水魔法なら青、といった感じだ。輝きが強いほどその属性への適性も高く、習得、鍛錬に有利と見える。
一方、色や光の強さがバラバラなのに対して、水晶玉の中心から徐々に光が玉全体に満ちていくような光り方は概ね共通している。光の広がる速さなどに個人差はあるようだが。
最後となった僕はどんな光り方するのか、なんてことを考えながら、ゆっくりと水晶玉の前まで歩みを進める。
「ではかざしてくだされ。水晶玉の輝きで、あなたの授かった加護が判断できます」
老人に促され、僕はそっと水晶玉に手をかざす。
すると───
「……?」
「こ、これは……いや、そんなことは」
光らない。これまで、クラスメイトが手をかざした時、個人差はあれど、水晶玉に何かしらの変化が確認できていた。だが、僕の場合は水晶玉に一切の変化が見えない。
「加護なし……ですと」
老人のその一言はこの場に壮大なざわめきを生んだ。
「バ、馬鹿な!異世界召喚によって呼び出されたものは、強力な加護を授かるのではないのか!」
「勇者ではないということか!?」
周囲にいた偉そうないでたちの人々が次から次へと声をあげる。クラスメイトがこちらを見る目もどことなく訝しげだ。
勇者、失格。
僕、蘆堵宗太の異世界第一歩は、どう見ても大失敗だった。