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竜告  作者: みやびつかさ
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09.灼熱の空洞

 周囲の客が口にしている話題は、白亜の闘技場闘士の最強の一角、慈愛のアミカの敗北のことばかりでした。

 腹の底からふつふつと湧き上がるものが、あなたを支配していきます。

 アミカに勝った対戦相手のことが憎くて憎くてしょうがない。


 ああ、この手で八つ裂きにしてやりたい。


 あなたは叩くようにジョッキを置きます。

 店主は気を利かせてすぐにジョッキを下げ、新しいエールを注ぎ始めました。


「ラプエラさん、落ちついてください」

 トリナ・ドクトリーナはあなたを慰めようとしつつ、ジョッキを叩きつけた位置に手を乗せます。


「そうだぞ、落ちつけラプエラ」

 アミカも小鼻を膨らます恋人をなだめようとします。

 ですがあなたは頬までも膨らませて、ぷいっ、とそっぽを向きました。


 ちなみにアミカは仕合には敗北しましたが、あとに響くような怪我は一切していません。闘いそのものは彼女が常に優勢でしたし、対戦相手の単純な戦闘技術においては、他の上級闘士でも充分に勝てる程度のものでした。


「あたしにはどうすればよかったか分かんなかったんだよ」

「まっぷたつにして殺せばよかったの!」

「したじゃんか。通り名を取るか無敗の記録を取るかって迫られたんだし」

「結局は名前を取った。でも、そんなことはいいの!」


 あなたは店主から受け取ったエールを飲み干すと、再びジョッキを叩きつけます。そこにはトリナの手の甲が待ち受けていて、直撃を受けた彼女は店中に響く嬌声を上げ、あちらこちらの席から吹き出す音が聞こえました。


 二度の八つ当たりをしてもあなたの腹は治まりません。

 アミカに抱き寄せられても、店主がなんこつ料理をサービスしてくれてもです。


「わたし、赦せない」


 だって、アミカの「初めて」を貰うのはあなただったはずでしたものね。

 仕合でアミカに土を付けるのは、あなた以外であってはならないのです。


「あいつのこと、縦に割ってやる。アミカは横に斬ったからダメだったの」

「そんなことしたら死ぬだろー。死ぬよな?」

 アミカは首をかしげます。

「死ぬかどうかじゃない。殺してやるの」

「ラプエラさん、せっかく慈しみに目覚めたというのに……」

「うるさい変態女」


 変態白ローブは「酷い!」と胸を押さえて身体をよじりました。


「あいつと仕合がしたい。ご主人様に言って委員会に掛けあってもらう」

「無理だろ。上級闘士は常に受ける側じゃないとダメだって規則で決まってる」

「じゃあ、その辺で殺す。あいつ、ここに住む気なんでしょ?」

「もうドラクゥテロの自由市民だよ。だから、奴隷のおまえが殺したらただの殺人だ。仕合じゃないとダメだ」

「そうですよ。それに仕合でしたら、対戦相手を大切に、ですわ」

「うるさい獣人のケツメド喰い女!」


 罵倒されたトリナは足のあいだに手を挟みながら肩を震わせ、息も絶え絶えに獣人の肛門腺のソテーを追加注文しました。


「はは、トリナを虐めても逆効果だな。あたしが練習に付き合ってやろうか?」


 あなたはアミカの提案を吟味します。

 アミカとの特訓はベッドで絡み合うのと同じくらいに気持ちのいいことです。

 ですが、よその男に負けたばかりの彼女と()りあうことには少しの嫌悪感を覚えます。

 それに……。


「いい。我慢する」


 あなたの怒りはしぼみました。

 アミカと仕合うのを想像したとき、愛するアミカがまっぷたつになって死ぬのを想像してしまったのでした。

 それほどに強い怒りなのです。


 初めての敗北を横取りされてしまったことと、今の気持ちのままではアミカと向き合える気がしないことが、あなたのこころをずたずたに引き裂きます。


 あなたはカウンターに突っ伏し、大きな声を上げて泣きました。


「ふん、慈愛のアミカに比肩するという女がどんなかと思い見に来たが、ケツの青い小娘だったとはな。オヤジ、エールを一杯頼む」


 背後から声がしました。あなたは顔を上げて振り返ります。

 そこには美形のニンゲンの男が立っています。

 槍を背負った戦士のようです。

 そう、忘れもしません。こいつこそがあなたのアミカを負かせた男です。

 せっかく鎮火した怒りと嫉妬の炎が膨れあがり始め、あなたはもう一度カウンターに顔を伏せました。


「本当にこいつが最強なのか?」


 彼の名は不死身のエンゲルス。

 リュグナ帝国の皇帝直属の親衛隊だった男です。

 彼は治療魔術に長けており、そこに加えて緋色の魔女謹製の自己治癒促進薬を服用し続けたことで、不死身の身体になりました。

 彼はエリートでも補助役に回ることの多い立ち位置だったのですが、名声や薬による不死身を自分の実力だと勘違いし、国盗りを画策しました。

 もちろん、それはあっさりと露見して処刑台に上ることになります。


「処刑されるのって、どんな感じでしたの?」

 トリナが熱っぽい目で美形の男を見つめます。顔目当てではないでしょうが。


「白亜の処刑人ラプエラ。俺と仕合をしろ。望みは家とカネだ。だが、どうもこの街は俺のことが嫌いらしい」


 そりゃ、あれだけしょっぱい試合をしてアミカの名に泥を塗ったのですから。

 アミカの敗因はその「慈愛」の通り名のためです。

 もっと一撃必殺を中心に攻めれば、いくら不死身とはいえエンゲルスを倒すことができたでしょう。

 アミカは致命傷を与えるのを避け続けたせいでエンゲルスは再生し続け、仕合が泥沼化したのです。

 そしてアミカは、エンゲルスを両断しました。しかし彼は上半身だけで這って自分の下半身まで行くと、身体をつなぎ合わせたのです。

 気持ち悪過ぎます。

 たくさんの観客がゲボを吐いて会場は酸っぱくなり、アミカは仕合を打ち切ることにしたのです。


 ほうら、彼を見つけた他の利用客がブーイングをしたり、食事や飲み物を投げつけ始めました。


「お店のご迷惑になりますわ。みなさまがた、お気を沈めになって!」

 と言って、誰かさんが代わりに食事や飲み物を浴びました。利用客たちからは「ごめんね、リナリナちゃん」と謝罪が飛んできます。

 トリナは「もっと投げて!」と叫びました。


「おい、アミカ。この街はどうなっている? 他のお尋ね者は無断で住みついてるのに、俺にはやたらと不利な条件を与えてきやがる」


 馴れ馴れしい。あなたの心臓が脈打ちます。

 ですが我慢です。仕合を申しこまれましたから、公然と彼を殺せます。

 闘いを思うと腹の底が燃え盛り、骨が軋み、秘密の鱗がうずき始めます。


「あなたはリュグナの出身者ですからねえ」


 ぴたりとあなたの身体の昂ぶりが治まりました。

 同時に酒場もしん、と静まり返ります。


「竜や竜人を尊敬するリュグナとの関係は何かと難しいんですよ。本当はあなたを匿う予定もなかったのですが……」


 堅い靴音が近づいてきます。

 厚底ブーツを履いた変な髭の男、我らが市長にしてあなたのご主人様、セルヴィテス・ドラクゥテロです。


「市長か。あんたはこいつの飼い主なんだろう? こいつと勝負をさせろ。そして勝ったら、ここで不自由なく暮らしていけるカネと家をよこせ」


 セルヴィテス市長は髭を人差し指で撫でると、あなたの肩に手を置きました。


「できますね、ラプエラ。彼は神聖な闘いに泥を塗った男です。ティンケスくん以上のカス仕合製造機です。ですが、彼の死骸を届ければリュグナとの関係もよくなるでしょう。市民たちの不満も解消されます」


 願ってもないことのはずなのに、あなたはすぐに返事が出来ませんでした。

 あなたの肩を掴むご主人様の手が震えています。怒りでしょう。

 エンゲルスはドラクゥテロにとって有害です。放置すれば沽券に関わります。

 あなたは復讐はもちろん、ご主人様の気持ちに応えたいと思います。


 ですが……ああ、なんということでしょう。


 あなたは「もしも負けてしまったら」と、考えてしまいました。

 その瞬間、怒りの炎なんて最初からなかったようになり、代わりに何か知らない、とてつもなく恐ろしいものが忍びこんできたのです。


 負ければアミカを失望させるでしょうか?

 いえ、彼女は優しく慰めてくれるはずです。

 ですが、あなた自身がアミカのそばにいられないでしょう。

 それに、ご主人様を失望させるでしょう。市民たちもがっかりするでしょう。

 あなたの唯一の居場所であるドラクゥテロは、あなたに背を向けるでしょう。


 万にひとつの可能性が、あなたの全身を浸食しはじめます。


「ラプエラ、どうしました?」

「怖気づいてるんだろう。おまえは慈愛のアミカにも勝ったことがなかったんだろう? 俺はアミカよりも強いぞ」


 やっと小さな炎が(おこ)り、あなたは勘違い野郎を睨みます。


「絶対に、殺してやるから」

「やってみるがいい。俺は不死身だ。せいぜい首を洗って待ってるんだな、白亜の処刑人ラプエラよ」


 槍を背負った男はそう言い残すと退店しました。


「あ! あいつエール注文して呑んだくせに! 市長、あいつ食い逃げですよ!」

「申し訳ありません。今は泳がせておきましょう」

 セルヴィテス市長はカウンターに銅貨と銀貨を並べます。

「ですが、ドラクゥテロに住まわせる気は毛頭ありません。みなさまがたの怒りももっともですが、しばらくは辛抱いただきたく存じます。アミカさんも、難しくつまらない仕合で名声に傷をつけさせてしまい、申し訳ありませんでしたね」


 市長が頭を下げると、アミカは「気にしないでください!」と慌てて両手を振りました。それから、「あたしの敵討ち、頼んだぜ」とあなたの肩を叩きます。


 あなたは返事もできず、出て行った男の背中の幻影を見続けます。

 そういえば、彼の背負っている槍の穂は見覚えのある乳白色でした。

 あれは竜骨で作られた槍でしょう。

 竜骨で作られた武器は、竜を殺すことができます。

 素材としての頑丈さもありますが、身体を道具にされてしまった同族の怒りと悲しみが、竜の骨に響くからでもあります。

 槍を見たあなたは、先ほどの心配をより深くしました。


 そうです。あなたもエンゲルスに「初めて」を奪われました。

 アミカの敗北のことはもちろんですが、「死への恐れ」というものを感じさせられたのです。


 あなたは仕合の日が来るまで震え続けました。

 しかし、あなたは真面目なので闘いから逃げることはありません。

 あなたは夜が来るたびに「もしも」を想像して枕を涙で濡らしました。

 しかし、あなたは依怙地なので仕合までアミカと会わないことにしています。


 ああ、いったいどうしてそれで耐えることができるでしょう!?


 胸の中では憎しみと嫉妬が燃え盛り、胎の中では愛を求めてうずきの水が溢れんばかりになっているというのに、全身を恐怖が包みこんでいるのです!


 あなたは今、完全なる孤独です。

 現在が孤独で、未来もまた不安定です。

 そして、過去もすべて憶えておらず、からっぽです。

 あなたは今、灼熱の空洞なのです。


 さあ、とうとう仕合の日の朝が訪れました。


 あなたはふかふかのベッドから起き上がると、ナイトテーブルに置きっぱなしにしていた紙袋に目をやります。

 記憶を呼び覚ますという黄金の魔女の秘薬、記憶の鍵です。

 アミカには「頑張ってみる」と伝えたものの、いざ薬を飲もうとすると身体が震え、吐き気と頭痛に襲われてしまうのでした。


 ……弱くて醜いあなたは、愚かなことを思いつきます。


 忘れていた記憶の中に、勇気を振り絞れるような思い出があれば。

 あるいは残酷な記憶だけだったとしても、その怒りと悲しみが、わたしの背を押してくれれば。


 あなたは上を向き、口を開きます。

 ぽっかりと開いたあなたの穴に、竜骨を砕いたような色をした粉が、さらさらと流れていきます。

 あなたは愛らしくも哀愁を湛えたくちびるについた粉を舐めとると、水を飲みました。

 ごくり。奇妙でたんぱくな味わいの薬が水に溶けて、あなたの食道を通り、胃へと落ちていくのが分かります。


 薬はいつごろ効果を出すのだろう。

 飲んでから後悔します。もっと早く飲んでおけばよかったのかな。


 あなたは闘技場へと入り、闘士控え室で鎧を身に付け、妙に重く感じる大剣を手にします。



 そして、舞台に出ていつもより大きな歓声と応援を受けたとき、あなたはまだからっぽのままでした。



***

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