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竜告  作者: みやびつかさ
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08.幸福の鍵

 あなたは幸福です。


 アミカと花を交わしあって以来、世界は彩が満ち満ちて見えるようになり、これまではなんの感想もいだかなかった風の囁きや、太陽の眩しさに喜びを覚えるようになりました。

 あなた自身のまんなかにも――そう、あのからっぽの穴にも――一本の芯が通ったようになり、あなたを前にする闘士や魔獣の恐怖や、つるぎで叩き潰された相手のいのちの温かさと意味を感じるようになりました。


 あなたは日々、アミカと戯れ、しあわせを確かめます。

 歓楽街のレストランや宿場街の休憩所で欲を満たし、宝飾品店で互いをからかいあい、図書館や劇場で多くのことを学び、教え合いました。


 自由の都市ドラクゥテロは奴隷身分のあなたの権利を保障します。

 強く美しくさえあれば、あなたはすべての権利をほしいままにできます。

 手の届く範囲の自由を謳歌しなさい。

 ドラクゥテロは城壁都市でもあります。

 堅くて高い壁は、あなたを恐ろしく煩雑で穢れた外界から守ります。

 壁の向こうのものは、こちらから出向かなくとも向こうからやってきます。

 ドラクゥテロには何もかもがあります。

 あなたはもう、この街から一歩も出る必要はありません。

 しあわせである以外に、ヒトが望むべくことなど存在しえないのですから。


 もちろん、あなたの飼い主である市長も喜んでいます。


「ラプエラ、あなたは最近よく笑うようになりましたね」

「そうですか?」

「ほら、今も楽しそうです。休暇のたびにどこかに出かけているようですが、いったい何をなさっているのですか?」


 あなたは笑顔を消してしまいました。

 自分のおこないを主人に伝えていいものかどうか、分からなかったからです。


「ふふ、心配することはありませんよ。あなたに似合うドレスを仕立てさせましょう。身体の大きな女性と並ぶとより一層映える、いえ、お互いを引き立てるような、そんなドレスを」


 セルヴィテス市長はにこやかに言いました。

 あなたにも笑顔が戻ってきます。


「新しい通り名も闘技委員会と相談しなくてはなりませんね。まだ慈愛とまではいきませんが、白亜の処刑人などという物騒なものは不釣り合いですから」


 彼はそう言うと、いくつかの花の名前を呟きました。


「おっとラプエラ、そろそろ仕合の始まる時間ではありませんか?」

「いけない! 行ってきます、ご主人様!」


 あなたは市長邸を飛び出し、町の中心を目指して走ります。

 闘技場に飛びこみ、今日は地下の控室ではなく、多種多様な人種のひしめき合う観客席への階段を駆け上がります。


 本日の対戦カードは、我らがドラクゥテロの誇る闘士慈愛のアミカと、どこぞ外の土地からやってきた挑戦者、天竜人のなんとかとの仕合です。

 挑戦者は、勝利と引き換えにドラクゥテロに対して要求をすることができます。

 たくさんの金貨ですとか、上流区画の家ですとか、歓楽街の娼館の一番人気を抱く権利ですとか、そういったものです。

 しかし、この天竜人は変わり者で、「この都市の竜人の処遇に関して、責任者に物申したい」などという、不躾な願いをしたのでした。

 願いが分不相応であると、上級闘士に挑戦しなければならなくなります。


 天竜人というのは、脳味噌だけでなく見かけも変わっています。

 背中に翼が生えているのです。多くの竜人は翼を持ちませんが、彼は飛竜の背にあるような翼を有します。

 飛べるのはまあ便利でしょうけど、大きな翼は往来を歩くとすれ違う人に迷惑です。


「我が名はスぺ・ルービエ・ホムニエス・ドラコニア。遥か西方の竜峯連山、誇りの(いおり)から参った。そなたには怨みはないが、我が同胞の尊厳のために斬らせてもらう。さあ、そなたの名と出身を語られよ」


 竜人は手の構造の都合上、あまり武器が得意ではありません。

 食事も手づかみでみっともないし、労働も技術職よりも単純労働に向いています。

 なのにこのスぺなんとかは、細身の長刀を腰に提げています。

 鞘には凝った装飾が施されており、生意気にも花や鳥などの絵まで描かれていました。

 そういえば、噂によると天竜人は食事も「箸」を使ってするそうです。


「あたしは白亜の闘技場上級闘士、慈愛のアミカだ。あっちこっち売られてここに流れ着いたんだ。ここの暮らしには満足してる。恋人も見てるんだ。だから、負けるわけにはいかないな」


 今日のアミカは軽装寄りで、防具は胸当てや脛当て程度、彼女よりも巨大な戦斧を手にしています。

 あの特徴的な円形の刃は、ふたりで考えて鍛冶屋に注文した特注品です。

 さらに手斧を腰からいくつも下げていますし、前から使っていた大戦斧も背中に背負っています。アミカは欲張りです。


「奴隷身分か。闘うことをさだめづけられた悲しき者よ」

 スぺなんとかが腰を落とし、刀の柄に手を伸ばします。

「勝手に憐れまないで欲しいね。あたしは闘うことが好きだし、誇りと敬意を持って闘士をやってるんだ」

 アミカは眉をひそめると、手にしていた大戦斧を地面に突き立てました。

 構えはしますが、代わりに他の斧を手に取るわけでもありません。

 あなたは心配になります。スぺが達人なのがひと目で分かるからです。


「誇りか。その誇りとやらを試させてもらうぞ」


 スぺの姿が消えました。

 すでに肉薄。アミカの眼前でやいばが日光を反射します。


 光がひとすじ駆け抜け、アミカの身体を通り抜けたように見えました。

 あなたの心臓が跳ね上がります。


「やるではないか」

 アミカは刀を手のひらで挟み、腰の辺りで止めていました。

「だが」


 彼女の脇腹から、ぷつぷつと赤く小さな血の玉が浮き出てきます。


「危ない危ない。当たらなくても斬れるんだな」

 アミカはそう言うと、にんまりと笑いました。

「ところでこのカタナ、あんたにとって大事な物なんだろ?」


 スぺはトカゲづらをゆがませて飛びのき、アミカから距離を取りました。

 アミカの怪力に掛かればあんな細身の刀なんて、イモの砂糖まぶし揚げのようにぽりぽりのぽきりでしょうから。


「今度はあたしの番だ」


 アミカの優れるところはパワーだけではありません。

 すでに新しい得物を手に対戦相手を追いかけています。

 意趣返しでしょうか、大振りの横薙ぎ一閃。地面から砂煙が立ちのぼります。


「うーん、翼持ちだもんな。やっぱりそう来たか」


 アミカが見上げます。天竜人は翼で上へと逃れていました。

 トカゲづらは偉そうにも、地を這いつくばるニンゲンを見下ろします。

 ですが、闘士は魅せるのが仕事。こういった不利な戦いにも慣れたものです。

 アミカの腰の手斧はすでになくなっています。

 スぺは風を切る音を聞きつけたのでしょう、宙を舞う斧へと刀を振るいます。

 鋼鉄の刃をまっぷたつにされた斧が地面に転がり、スぺは「器用な奴め」と耳元まで裂けた口から牙を見せます。


 つと、彼から笑顔が消えました。


「そなたの武器、不良品ではないか?」


 あらら、なんということでしょう。アミカの新しい斧が柄だけになっています。

 けれども背中の大戦斧に交換することはせず、彼女は白い歯を見せました。

 あなたはちょっとむかつきます。

 アミカがスぺに向けた笑顔が、あなたに向ける笑顔に似ていたのです。

「トカゲ野郎はそのまままっぷたつになっちゃえ」と、思いました。


 さて、何やら観客たちが空を指差して「あれはなんだ」と言っています。

 黒い円盤のようなものが宙で折り返すのが見えます。

 スぺも振り返っており、自分をめがけて飛んでくる黒い物体を回避します。

 円盤はアミカのところまでやってきて、アミカはそれに向かって柄だけになった戦斧を構えました。

 がちん、という音が響き渡ると、おニューの大戦斧は元通りになっていました。


「もういっちょ、いくぜ!」

 アミカが斧をから振るとやいばが外れ、回転しながらスぺへと迫ります。


「斬れぬが、避けるのは容易い!」

 スぺは斧がターンをするのを見ると身をひるがえします。

 あの手の武器には物理の法則に従った軌道というものがありますから、達人ならば容易く見切れるのでしょう。


 あなたは「ふん」と鼻を鳴らします。

 スぺは剣術の達人でも、魔術には疎いことに気づいてしまったからです。

 そして仕合から興味を失い、お昼からのデートについて考え始めました。


 あなたはこの前のデートで「外壁」の見物をしそびれたことを思い出します。

 ドラクゥテロは広大なため、まだすべての範囲を壁で覆い尽くせていないのです。特に南側の工事が遅れていて、そこでは力自慢の奴隷や出稼ぎでやってきた大柄な亜人が汗水を垂らしています。

 過酷な仕事であるものの、竜人はこの仕事に就くことはできません。

 竜人は信用がないので、出口や外壁に近い場所に配置されないのです。

 連中はすぐに逃げようとするのです。上手くいった試しはありませんが。

 彼らにも翼があれば、何か違ったのでしょうか?


「ぬわあっ!」

 スぺの右翼が裂けました。

 アミカは地上に立ち、飛翔する斧の刃に向かって手をかざしています。

 この大戦斧には、もうひとつ仕掛けがありました。

 やいばの中央に埋められた赤い宝玉です。

 あれは魔導石で、見えない魔力の糸によってアミカと結ばれているのです。

 見えない糸で結ばれているなんて、あなたとアミカのようですね。

 まあ、今晩は半透明の糸を引きあう予定ですけど。

 とにかく、彼女は念じることで、斧の軌道を捻じ曲げたのでした。


 片翼を失った憐れな竜人は地に落ち、膝をしたたかにぶつけます。

 大切な刀も手からこぼれ、離れたところに転がりました。


「どうする? 竜人は素手もいけるクチだろ?」


 大女の影がひざまずいた竜人を覆います。


「……斬ってくれ。われには慢心があった。翼を持つ者が、持たぬ者を救うのだという慢心が」

「悪いけど、殺さないよ。あたしは慈愛のアミカで通ってるんだ。再挑戦はいつでも受け付けるよ」


 アミカが手を差し出します。

 仕合もまあまあ盛り上がりましたし、彼をリサイクルするほうが得策というものですね。

 ところが、スぺはその手を取りませんでした。


「斬れと言っておろう! 膝を地につき、翼を失った武士に生きる資格なし!」


 アミカはやれやれといった様子で、頭のうしろを掻きます。


「あんたの願いは死ぬことじゃないだろ。ここの竜人の扱いに文句があるんじゃないのか?」

「そうだ。われは声を聞いたのだ。この禍々しき地では、竜人たちがちりあくたのごとしに扱われており、あまつさえ、われら竜人の祖である始祖竜が囚われていると」


 あなたは、過去に挑戦してきた竜人も似たようなことを言っていたのを思い出しました。

 ドラクゥテロには、ちょっとした噂があります。

 竜人は遥か昔に始祖竜とニンゲンが交わったことで生まれたという伝説は有名ですが、この話には現代になってから続きが作られました。

 ドラクゥテロの地下に、伝説の始祖竜が囚われているというのです。

 彼女は邪悪な存在の手によって封じられており、ここの竜人たちがニンゲンに隷属するのも、その闇の支配者の術のしわざなのだというお話です。


 ――だったらわたしは、何者なんだろう。


 あなたの腰の鱗がうずきます。

 これはかゆみのようなものです。アミカに撫でて貰えば治まるでしょう。


 ――見世物小屋にいたのとは違うのに。


 旅の見世物小屋には竜人とニンゲンの雑種という生き物がいました。

 竜人の癖に長い髪と豊かな乳房、それと股の茂みを持った奇妙奇天烈な生き物です。一回につき銀貨一枚。

 まあ、あれはカツラなどで誤魔化したニセモノでしょうけど。


 ――あの人は苦しい、助けてって言ってたけど。


 さて、けっきょくスぺなんとかはアミカの提案を受け入れなかったので、顎に蹴りを入れられて昏倒させられ、それで仕合終了となりました。

 あなたは慈しみのこころが育ってきていましたが、「この竜人は斬っちゃえばよかったのに」と思います。


「ねえアミカ、どうしてあいつを殺さなかったの?」


 ランチのさいに訊ねたあなたの口調は、とげとげです。


「どうしてって、特に理由はないよ。対戦相手を大切にしましょう、だろ?」

「ホントにそれだけ?」


 あなたはアミカを睨みます。アミカはナイフとフォークでステーキを切り分けていましたが、大きいほうのかたまりを口に入れました。


「アミカ、あまり大きな口を開けたり、もぐもぐしたりしないで」


 アミカは聞いているのか聞いていないのか、ゆっくりと肉を味わうと飲みこみ、口元にソースをつけたまま白い歯を見せます。


「ラプエラは最近、あたしのことを束縛するようになったな」

「そ、そんなことないよ……」


 あなたは彼女の口元のソースをぬぐってあげるためにナプキンを手にしていましたが、それをテーブルに置いてうつむきます。


「そんなことあるさ」


 あなたの前に、フォークに刺さった小さいほうの肉が差し出されます。


「あたしは嬉しいけどね。あんたはあたしを縛れる唯一の存在だ。カネでも鎖でも、満足にあたしを捕まえておけるやつはいなかった」


 頬が熱くなります。あなたはお行儀が悪いのを承知で、小鳥がするように首を伸ばして口を開けました。はい、あーん。

 あなた好みの脂と筋の部分です。噛めば噛むほどに甘い。

 あなたたちのこのやり取りもとろけるように甘く、ドラクゥテロの誇る二輪の花が揺れるさまは周囲の客にもため息をつかせます。


「でも、しいて言うなら、あいつと少し話がしたかったってのはあるな」

「んん!?」

「冗談とかじゃなくってさ。外の竜人ってのが気になってさ。それも、ラプエラのことを知ったからだよ」

 あなたは慌てて肉を飲みこみ、口を尖らせます。

「どうせいつものでしょ? 声がするとか、竜人の扱いがって」

 アミカは「まあな」と言うと、水を口にしました。

 彼女は何か思案しているのか、笑みのない顔であなたを見ています。


「なあ、最近、トリナの説教は聞いてるか?」

「聞いてないよ。酒場でも言わなくなったでしょ? わたし、ちゃんとやれてるもん」

「確かにラプエラは優しくなったよ。でも、聞いておいて損はないと思うぞ。たまには竜の書をトリナに読んでもらえ。あたしもたまに行ってるし」

「……なんでトリナのこと言うの?」


 あなたは胸の奥に炎のようなものがちらつくのを感じます。

 自分の知らないことろで、あの変態治療師の女と会っているなんて。

 アミカはわざとやってるのでしょうか。

 でも、彼女はいつものように意地悪な笑いは浮かべずに、なにやら小さな紙袋を取り出してあなたに差し出しました。


「これは何?」

「婆さんに頼んで煎じてもらった、記憶の鍵って薬だ」


 記憶の鍵。

 それは黄金の魔女秘伝のレシピであり、失われた記憶を復活させるというものです。

 もっとも、黄金の魔女はカネに汚くがめついので、この薬もでたらめかもしれません。飲むと調子が悪くなるかもしれません。


「あたしはラプエラのことが知りたいんだよ」

「わたしも知りたい。知ってもらいたい。でも、怖いよ」


 あなたはいやいやと首を振ります。

 アミカが腰を浮かせ、あなたの頬へと手を伸ばします。

 それはとても温かく思えました。


「おまえのためでもあるんだ」

「勝手に決めないで。今のままでも充分だし」


 そうです。あなたは今しあわせなのです。幸福はこの記憶の鍵とやらで開くべきものではなく、鍵を掛けてドラクゥテロの奥にしまっておくものなのです。


「思い出したのが恐ろしいことだったら、わたし、どうしたらいいの」


 恐怖に身をよじるなんて、強くて美しいとはかけ離れています。


「問題ないさ。あたしに抱かれればいいだけだよ」


 周囲のテーブルがざわめきました。

 あなたがアミカにくちづけをしたからです。


 これは、あなたが過去を思い出すことを決意したからではなく、この話をうやむやにするためです。

 あなたは過去を思い出すのが恐ろしいので、キスで誤魔化したのでした。



「わたし、頑張ってみる」



 ……あなたにとって、この薬は不要で、余計な品です。


 アミカは余計なことをしました。

 好奇心旺盛な彼女は、恋人の過去を暴こうと、欲を出した。



 そんな余計なことをしたアミカは、二日後の仕合で敗北してしまいした。



***

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