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竜告  作者: みやびつかさ
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07.花は落ちて

 あなたはジョッキに半分残ったベリーエールと、冷え始めて脂がゼリー状になったなんこつの炒め物をぼんやりと眺めています。

 隣では、昼食の量が少なかったのを補うために、せっせとフライパンステーキやら骨付き肉やらを噛み千切る猛獣のような女がいます。

 しかしよく食べますね。おやつにケーキを鷲掴みにしていたはずなんですが。


「わしはな、奴隷も手に職をつけてなんぼだと思うんじゃ。使い捨てるのは当人にとっても持ち主にとっても損にしかならん。そりゃ、権利こそは持ち主が有するがの。その点、竜人はダメじゃ。あいつらはすぐに逃げようとするし、頭が痛いだの言い訳が多いし、物忘れも激しすぎる」


 頬を赤くした魔装具師ベナインがくだを巻いています。

 これはセルヴィテス市長の著書、『奴隷の扱いについて』の引用です。


「分かりますわ。どうも竜人さんには楽しみ甲斐がないのですもの」


 相づちを打つのは癒しびとトリナ・ドクトリーナで、ベナインの飼いネコであるシピスは酔って眠くなってしまい、彼女の膝の上に乗せられて撫でられています。


「シピスには闘士よりも、わしのあとを継いでほしく思っとる」

「闘士のお仕事には危険がつきものですからね」

「危険などないがの。わしの可愛いシピスが、わしが作った魔義肢を使いこなせば、敵などおらぬ!」

「親ばか」

「ん、なんか言ったか?」

「いいえ、何も」


 トリナはシピスの耳のにおいをかぎながら微笑しています。


「魔義肢はどんな部位でも補うことができますの?」

「魔力の満ちる範囲ならば。ま、本人に魔導の才がなければならぬがな」

「わたくしも一本、お願いしようかしら」

「ぬ? 一流の治療師でもあるあんたも、どこかを欠損しておるのか?」

「ええ。女というものは、男性と比べて欠けてる部分がありますから」


 どん! と、ベナインが叩きつけるようにジョッキを置きました。


「男だの女だのというのは好かん! 種族がどうこうのというのもじゃ! みんな同じ仲間ではないか!」


 魔装具師のオヤジの口から唾が飛びます。

 トリナは頬についた唾を拭うとその手をぺろりと舐めて、今度は手をシピスくんの服の中に滑りこませました。


「トリナさま、やめ、あっ……!」

「ベナインさま、わたくしは違いは違いとして尊重すべきだと思いますわ。得手不得手、あるものないもの、それぞれに違った魅力がございますの」

「むう、おぬし……若いくせによく分かっておるの。その点、竜人はいかん。おのれのよさを引き出す気がまるでない。あれだけ恵まれた肉体をしておきながら。よその土地の竜人は、そうでもないようだがの」

「あっ、あっ……!」


 あなたはそんなやりとりをぼんやりと眺めています。

 頭に霞が掛かったようになっているのです。

 アミカは食事を続けながらも、あなたのことをたまに盗み見ています。


「ラプエラ、調子が悪いのか?」

「ん、大丈夫」


 あなたはなんこつをフォークで刺して口に運びます。

 固まった脂が舌にこびりつき、不愉快です。

 なんとか飲み下しますが、食道や胃を移動するのがよく分かり、まるで石ころを胸に入れたような気分になります。

 ベリーエールを流しこみますが、なんだかいつもより酸っぱく感じ、いつか口にしたワインを思い出します。


 あなたは首をかしげます。

 この味は、いつ飲んだものだったのでしょう。

 トーナメントの優勝祝いで市長が出してくれたときでしょうか?

 あなたが来た一周年記念に市長が出してくれたときでしょうか?

 それとも、ようこそラプエラパーティーで市長が出してくれたときでしょうか?


「違う、もっと前……」


 いいえ、違いませんでした。

 市長のお気に入りのワインに似た味がしたのです。


「なあ、ラプエラ。さっきの話の続きなんだけどさ」

「ん……」


 アミカはやはり、あなたの過去に興味があるようです。

 しかし、とても残念なことに、あなたは憶えていないのです。


「憶えてないって、竜人みたいなこと言ってたよな。そういや、あいつらもそろいもそろってここに来る前のこと忘れてるらしいな」


 竜人みたいなこと。あなたの胸にことばの矢が刺さります。


「ねえアミカ。もし、わたしが竜人だったら、どう思う?」

「へ? おまえが竜人だったら? ここの竜人って意味合いなら、立派だと思うよ。外の竜人も立派だけど、あっちはなんかお堅くてとっつきづらいんだよな」

「そういうことじゃなくって……」


 アミカはニ十杯目のジョッキを傾けながら、溶けたような半目であなたを見ています。ほんのりと頬に赤みがさしており、魅力的でした。


「そういうことじゃないなら、どういうことなんだ?」

「別に、いい……」


 アミカは「ふーん」と言いながら、サラダを食べ始めました。

 また髭ニンジンをよけています。


「アミカ、ニンジン、食べなよ……」

「やっぱり、調子悪いだろ」

「そんなことな……」


 アミカが席を立ちました。すると、あなたの見る景色が急に高くなります。


「オヤジ、二階借りていいか? ラプエラの調子が悪いんだ」

「ありゃ、そりゃいけませんな。自由に使ってくれて構わないよ」


 あなたはアミカに担がれていました。

 身を任せることにいっしゅん嬉しくなりますが、同時に恐怖をします。

 アミカがあなたを支える手が、あなたの腰……つまりは秘密の鱗のある部分に触れそうだったからです。

 しかも、アミカの肩がみぞおちに当たっていて、さらに彼女があなたの位置を調節するために軽く跳ねるように動いたので、あなたの胃は圧迫されました。


「おええっ!」


 ゲボがあなたの胃からせり上がり、白いフードの頭に引っかかりました。


「ああんっ、ラプエラさんったら!」


 トリナは吐瀉物のにおいをかぐと、頬を染めて痙攣しました。

 どうやら「される側」もいけるクチらしいですね。

 その隙にシピスは逃げ出し、ベナイン親方の隣に座り直しました。


 あなたはアミカに運ばれて行きます。

 これからどうなってしまうのでしょう。何をされるのでしょう。


 端のテーブル席に、耳の長い精霊びととおぼしき女が、隣に座った若いニンゲンの娘にくちづけするのが見えました。

 精霊びとはいくつになっても若くて美しいものですが、ニンゲンの娘は残念ながら顔の半分を溶けてただれたような傷痕に覆われています。

 でも、ずるいことにふたりは幸せそうでした。


 あなたは思います。わたしは醜い。あの鱗さえなければいいのに。


 酒場の階段がきしむ音がします。

 料理と酒のにおいが遠ざかっていきます。

 あなたを支配するのはアミカの力強い腕と、彼女のにおいだけです。


 あなたは思います。わたしは弱い。アミカから離れられない。


 竜の素嚢の二階は、酒場として繁盛する前までは宿泊施設としても貸し出されていました。

 アミカが扉を開けると、ほこりっぽいにおいと共に、小さくて粗末なベッドがひとつと、蜘蛛の巣の張ったランプの乗ったナイトテーブルが現れます。

 あなたは優しくベッドの上に転がされます。

 質素な白いシーツの上に、花のようなドレスを着たあなたの髪が、ぱっと広がり、ランプの弱々しい灯りが照らしました。


「水貰ってくるよ」


 温かな気配が遠ざかるのを感じたあなたは思わず身を起こし、手を伸ばしていました。


「行かないで」


 アミカは何も言わずにあなたのそばに腰かけます。

 ベッドが苦しそうにぎぎぎと悲鳴を上げました。


「昔のこと聞かれるの、そんなにイヤだったか?」


 ふいにあなたはベッドに押し倒されます。

 あなたの頬を大きくて分厚い手が包み、親指が額を撫でました。


「違うの。本当に思い出せないの」

「魔術か薬で消されたのか? 思い出したくないくらいに、つらいことでもあったのかな……」


 あなたの顔を包み撫でる手が両手になります。

 髪が乱され、頬がほぐされ、目の端に溜まっていたものが流れ落ちました。


「アミカは、どうしてわたしのことが知りたいの?」

「どうしてって、好きだからに決まってるだろ」

「好きって、どういう好きなの?」

「あんたと同じ好きだよ。変なんて言わないよ。あたしだって、色んな飼い主を見てきたからな」


 あなたは何も言えなくなり、ただアミカを見つめました。

 彼女は慌てて、「ま、トリナほど物好きじゃないけどな」と、付け加えます。

 あなたとアミカは、ずっと前から通じ合っています。

 ですが、ことばにして確められたのはこれが初めてで、花のつぼみが開くときのように嬉しくなるのでした。

 しかし、反対に「散るとき」ばかりを考えるあなたもいます。


「わたしのことを急に聞くなんて、どうしてなの?」


 あなたは不安なのです。

 アミカは気配りの出来るニンゲンです。過去のことは最初に出逢った頃に聞かれてはぐらかして以来、一度も口にしていませんでした。

 なのに、すきっ腹に食事をかきこむように、急にあなたのことを知ろうとし始めたのが不安なのです。

 まるで、何もない荒野に捨てられるような不安……。

 いいえ、自由という恐ろしい鎖に絡めとられるような、そんな不安なのでした。


「別に深い意味はないよ」


 あなたは否定のことばに被せるように「嘘」と言いました。

 声は小さいものでしたが、それは叫びと呼んでもいいものでした。


 あなたは苦しいのに、アミカはなぜか微笑んでいるようでした。


「言っとくけど、おまえのことを置いてどっかに行ったりしないからな」


 なんでも見透かす、温かで優しい瞳。

 あなたは子供のように、鼻の奥から声を出して泣いてしまいました。


 あなたは思います。愚かな子供のように。

 アミカのためにも思い出したい、などと。


 アミカのためにというのなら、もっと強く願うものがあったでしょう?

 アミカにあなたのことを知って欲しい。

 過去が思い出せないなら、今のあなたを知ってもらえばいいのです。

 それで充分なはずでしょう?


「アミカに見て欲しいものがあるの」


 あなたはドレスを留めているリボンに手を掛けます。


「あたしはあんまりそういうの上手くないぞ?」

「違うの」


 花が散るようにドレスが足元に落ちます。

 下着姿になったあなたを前に、アミカの喉が上下しました。


「ここ、触って」


 あなたはアミカの大きな腕をとり、秘密の場所へと導きます。

 彼女の指先が、あなたの硬くも弱い部分に触れました。


「ん、何か硬いな? 怪我とか病気か?」


 触っただけで鱗だと分かるはずありません。

 あなたはくちびるを噛み、視線を床に落とします。


「見てもいいか?」


 アミカは問いつつも、返事を待つ気はないようです。

 あなたもまた、こうやって押し流されることでしか先に進めませんでした。


「……なるほどな。だから竜人だったら、なんて言ったんだな」


 アミカはあなたの腰に腕を回し、ベッドに座らせました。

 あなたの髪にアミカの鼻が押しつけられます。


「ラプエラはラプエラだよ。強くて綺麗なラプエラだ」

「わたしは……」


 あなたは温かな抱擁から逃げ出したい衝動に駆られます。

 本気を出せば逃げられるはずでしたが、力が入りません。


 アミカが言い添えます。

「もし弱くても醜くても関係ない。市長のものでも、関係ないよ」


 あなたはまたも押し倒されていました。

 そうです。

 今のあなたはとても弱く、自分自身が酷く醜いような気がしていました。

 それでも。

 あなたの鱗を、大切な人の指が優しく撫でるのです。

 あなた自身が触れるときはいつもやいばのようだったはずの鱗は、誰も傷つけはしませんでした。


 古ぼけたランプが、あなたたちを優しく照らしています。

 愛おしい人の顔があなたの視界を覆います。

 藻掻くように融けあい絡みあう、対照的なふたりの足。

 その下では、市長の買い与えたドレスがしわくちゃになって転がっていました。


***

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