06.不自由の幸せ
あなたは服を着替えて闘技場の前でアミカを待ちました。
今あなたの着ている服は、縫製に手間のかかるフリルとひだのたくさんついた、お花のようなドレスです。
あなたの所有する衣装は、竜骨の鎧以外はほとんどがこういった可愛らしいものです。
なぜならこれは、セルヴィテス・ドラクゥテロ市長の趣味だからです。
あなたの持ち主である市長は、あなたを着せ替え人形にすることが大好きです。あなたの着るものの下着からの一切を決めたがります。
ですが、着替えは彼からも見えない場所で、あなた自身の手によっておこなわれます。むろん、下着姿を見られることもありません。尊厳を守られることは奴隷であるあなたも有する権利です。よその土地ではそうではないようですが。
たとえ奴隷であっても、ドラクゥテロでは服の選択の自由を有します。
しかし、あなたは奴隷であるうえにドラクゥテロの顔ともいえる闘士のいちばん星なので、自由時間においてもそれを意識して魅力的な格好をする義務があるのです。あなたが強く美しいことは義務です。法律であり摂理です。
午前の殺戮の片づけが済んで、ようやく仕合が再開されましたが、待ち合わせ中のあなたを眺めるのに忙しくて観戦をほっぽリ出す人も多いようです。
午後の対戦カードは魔獣使い同士の魔物対決と、岩石を使った人型魔導疑似生物のお披露目です。
それから、シピスというウィレオ人種のデビュー戦で、相手はあのしょっぱい闘いをするティンケスです。
シピスは昔の飼い主に左の手足を切断された憐れな子供です。
けち臭い闘いをするティンケスがどう立ち回るかが注目ポイントです。
ですが、注目されているのはやっぱり待ち合わせ中のあなたなのでした。
このひらひらの服は、不思議とあなたの身体に馴染みます。
物理的には馴染むのですが、仕合外で浴びせられる視線と、この服を着ているという事実は、どうしてだかあなたを不愉快にさせるのでした。
それでも違う服を着たいと言い出さないのには、ふたつ理由があります。
ひとつは、視線が不快だと気づく前までは、どうでもいいと思っていたから。
もうひとつは、不快感を覚えるようになったのと同時に、ある人物と出逢ったからでした。
「悪い悪い、遅れちまった。おーっ! ラプエラのその格好、本当に可愛いな!」
大女がやってきました。そう、あなたの想いびとである慈愛のアミカです。
彼女がいつも褒めてくれるから、あなたはこの服を着るのです。
仕合後に酒場へ繰り出すときにも着替えてきたいところですが、ああいうところでは料理やらゲボやらが掛かるので、夜の自由時間は鎧の下に着る衣装のままでいます。
それは薄手で密着していて、身体の曲線を強調するので、あなたに性愛を向ける有象無象が喜びます。不愉快ですね。
「こーいう服は、あたしには絶対に似合わないからなあ」
「そうだね」
あなたは見上げてアミカと視線を合わせ、笑い合いました。
アミカは前に一度、ふりふりのドレスを試したことがあるのです。
アミカのことならなんでも肯定したいあなたですら、笑いをこらえるのが大変でした。
あげく、身体をちょっと大きく動かすと背中が破れてしまい、アミカも大笑いをしたのでした。
そういうわけで、アミカの飼い主には着せ替え人形の趣味がないものの、アミカには衣装選びの自由がないのでした。いつも大柄な体格向けのシャツとズボンです。
さて、まずは腹ごしらえです。あなたとアミカは北側の上流階級向けのブロックに向かいます。奴隷であるあなたたちはヒエラルキー的には一番下ですが(竜人はヒエラルキーの外にいます)、自由にして中立のドラクゥテロでは支払いさえクリアすれば、誰がどの施設を利用するのも勝手です。
とはいえ、「ああいうこと」をしては追い出されたり、市長の配下の警備隊に追われることになるでしょう。
あなたたちの向かいから、竜人が走ってきます。
全裸です。全裸といってもまあ、普段から腰布くらいしか身に付けていないので、凝視しなければ分からないかもしれません。
凝視をすると、見るべきではないものがぶらぶらと揺れるのが見えます。
「誰かそいつを捕まえてくれーっ!」
追いかけているのは槍を持ったニンゲン、警備兵のようです。
自由市民の彼には職業選択の自由がありますが、犯罪率が高いのは獣人で、あとは脱走竜人がおもな相手なので、身体能力的に劣りがちなニンゲンを採用したのは不適切かもしれません。
しかし、竜人もいくら頑丈とはいえ、体力は無尽蔵ではありません。
食事もぎりぎりしかもらえませんし、怪我や病気をしていることも多いのです。
彼らの仕事は建設現場で石を積んだり、下水道の詰まりを直したりなどがおもですから。
竜人はあなたの前まで来ると崩れ落ち、「お願いだ、見逃してくれ」といいました。
あなたは、ちらっとアミカを見上げます。
「お店、予約してるんだっけ」
「そうだった。急がねえと。あたしが遅刻したせいだな。婆さんが他の奴隷を叱ってるのに付き合わされてさ」
「またあの、細い男の人?」
「うんにゃ、あいつは負けて死んじまったよ。新しい奴だよ。薬師見習いの女」
「ふうん」
あなたはあまり関心がないように振る舞っていますが、アミカと同じ屋根の下で暮らす他の奴隷の素性は気になります。
「あたしと同じようになって欲しいんだろうけど、そりゃちょっと無理な相談だよ。いきなりあたしと組み手させるとかさ。しかもラプエラより幼くて細いんだ」
「確かにそれは無茶」
早足でお店へと向かうあなたたちと警備兵がすれ違いました。
可哀想に、顎を出して天を仰ぎ、はあはあと苦しげです。
あなたが振り返ってみると、竜人の回復のほうが早かったようで、彼はまた走り出していました。
「ラプエラ、わざと見逃しただろ」
「うん、慈しみ? ってやつだよ」
「市長にバレたら怒られっぞー」
言いつつもアミカは笑っていました。
あなたは頬が少し熱くなったので下を向きます。
「ぐああっ!」
悲鳴です。振り返ると、竜人が頭を抱えてうずくまっています。
警備は追いつきましたが、槍を杖代わりにして息を切らして、捕縛どころではないようです。
「まただね」「まただ」
竜人はニンゲンよりも優れた種族です。
それでも奴隷以下に甘んじてこのドラクゥテロに留まっているのには理由があります。
「頭が、頭が割れそうだ……」
竜人は鼻血を出しながらのたうち回っています。
何か魔術が施されているのか、彼らは脱走をくわだてたり叛逆をしようとすると、高い確率で頭痛に襲われて、ああなってしまうのです。
「声だ、声が聞こえる。やめろ、俺に話しかけるんじゃねえ……」
危ない奴ですね。薬でもやっているのでしょうか。
竜人には人権がないので、魔女がよく新薬の実験台に使いますから。
「アミカは逃げようって思ったことはないの?」
「あたしか? 特にないな。奴隷の前は農民だったけど、ずっと酷い暮らしをしてたからな」
アミカが生まれたのは貧しい農村です。子供のころから大柄で肉体労働は得意だったのですが、あまりにも食欲旺盛で養いきれなくて売られました。
ところが、性奴隷としてはいまいち不人気でしたし、労働奴隷としても規格外すぎてかえって買い手がつきにくかったのでした。
買い手がついたとしても、食費が明らかになるとすぐに売られてしまいます。
それに、彼女がその気になれば縄でも手錠でもちぎって、そのまま飼い主の首でもまたぐらでもねじ切れそうなのが問題でした。
アミカはそんな暮らしを何年もしていました。
食事も与えられず、いよいよ餓死というところで、彼女は今の飼い主である「黄金の魔女」に買い取られます。魔女は自由とカネのにおいが充満するドラクゥテロでひと山当てるための旅の途中でした。
こうしてアミカの筋肉は張りを取り戻し、闘士という天職を得て、ラプエラと出逢ったのでした。
「婆さんには感謝してるんだ。あの婆さんは親切ってわけじゃないが、金貨を生み出すあたしをひとりの個人として尊重してくれてるしな」
「わたしのご主人様もそんな感じ」
「ラプエラはふかふかのベッドで寝てるんだって?」
「うん。アミカが二人並んで寝れるくらい大きいよ」
「まったく、強いってのは得だよな」
「ね」
アミカは魔女謹製の薬を自由に使え、食費だって気分に任せて使いこむことを許されています。これが彼女の強さと持ち主との絆を補強しているのです。
ラプエラも市長から超好待遇を受けています。
ふたりに限らず、ドラクゥテロの奴隷はよそよりは扱いがいいのです。
仕事も適材適所で職業訓練も受けれますし、竜人の監視も任されます。
自由市民は竜人を格安で借りれますし、理由もなく殺害しても罪に問われないので、飼い主奴隷共にストレスのはけ口にできるのが大きいでしょう。
立場が違えども並んで竜人を殴れば一体感が生まれ、主従関係が良好になるのです。この都市で奴隷を持つ者はそれなりに成功も納めてますから、自然と奴隷もうまい汁が吸えるというわけです。
いっぽうで、自由市民の明暗ははっきりと分かれます。
巨万の富や名声を得る者があるいっぽうで、下水道のそばに暮らして、すきっ腹をかかえる者もあります。
彼らは酒や賭博で失敗した自己管理のなってない愚か者なので、竜人を借りる程度の金貨も持ち合わせません。
そういった者が竜人や奴隷相手に小汚い商売をして市長の頭を悩ませます。
疫病の発生源もこの手の貧民です。ゴミを漁ったり、見境なく交わったりしますからね。
ドラクゥテロの恥垢といったところです。
「婆さんがさ、あたしに身の振り方を考えろっていうんだ」
「え?」
「自由に興味はないかって」
あなたは足を止めてアミカを見上げます。
「いやさ、もう使い切れないほどのコインを溜めこんでるし、ひとりふたり弟子を作ったら満足だって言ってるんだ。あたしは魔術は微妙だし、薬学なんて難しいもんは分からないからさ。老後の世話も弟子にさせるから、おまえは世界に出て黄金の魔女の名を広めてこいって」
世界がぐわんぐわんと揺れ、あなたは膝をつきます。
愛しのアミカが振り返り、「転んだのか?」と大きな手を差し伸べてくれます。
「アミカ、どこか行っちゃうの?」
「なんも考えてない。あたしとしちゃ、婆さんの寿命が来るまではここにいるつもりだったからな。あたしも婆さんにそう言ってやったんだ。仮に自由市民に戻れるなら、ここに残るのも自由だろって。しっかし驚いたよ。あの業突く張りの婆さんがあんなこと言うなんてさ」
あなたは胸をなでおろします。
しかし、アミカの視線が空の向こうに向いているようで、不安は拭い去れませんでした。
「ラプエラはもし自由になったら、何がしたい?」
あなたは答えられませんでした。曖昧に笑って、首をかしげるだけです。
市長があなたを手放さないのは火を見るより明らかですし、あなた自身にも行きたい場所や、やりたいことがないのでした。
ただ、アミカさえそばにいてくれれば、それでよかったのです。
あなたたちは高級レストラン「竜涎亭」に入ります。
竜のステーキや、異国の辛い料理や酸っぱい料理を頂きました。
アミカは「美味い美味い」と言いつつも、量の少なさに不満を垂れました。
あなたは大切な人と一緒に食事をしているというのに、昔のように砂を噛んでいるような気分でした。
……もしも、アミカがいなくなったら。
そう考えると。氷水の中に放りこまれたような心地になります。
とはいえ、あなたは割り切りのいいほうでもあります。
せっかくのデートです。楽しまなくてはなりません。
アミカの勧めに従って、おいしいお菓子のお店や、可愛らしいアクセサリーの売っている宝飾品店や、劇場に行って「泣ける」と評判の劇を観ました。
アミカはなんでも知っています。
「婆さんの遊びに付き合わされてるから」と、彼女は言い訳します。
アミカは好奇心が旺盛で、女らしいことも男らしいことも、ニンゲンらしくないことにも興味を持ちます。いちばん好きなのは食事ですが。
なので、大柄な女闘士ひとりでは入りづらい施設を利用したいがために、あなたを誘っている節があります。
でもあなたは指摘しません。
小さなスウィーツをじっくり味わうアミカや、本当は自分でつけたいリボンをあなたにプレゼントするアミカや、「風邪引いたかな」と劇の終盤で鼻をすするアミカが、愛おしくて愛おしくてたまらないからです。
でも、今日はアミカがなんでも決めてしまうことにむずむずしました。
普段ならデートプランを任されると、あなたは選択肢の多さに圧し潰されそうになるのですが、今はアミカに何かしてやりたい気持ちだったのです。
ですが妙案は思いつかず、劇の幕が下りたときには思わずため息をつきました。
そこにアミカは言いました。
「なあ、ラプエラ。次は鍛冶屋に付き合ってくれないか?」
あなたは意地を張って「やだ」と言おうと思いました。
「新しい戦法や武器を開拓したいんだけどさ、自分で考えると似通っちまうんだ。ラプエラなら、あたしに似合うのが分かるんじゃないかってさ」
あなたは「やだ」を呑みこみ、無言で激しくうなずきました。
アミカは「なんだよそれ」と、言って笑いました。
あなたたちは鍛冶屋街に繰り出し、あれこれと武器を見て回りました。
あなたには竜骨の装備がありますが、アミカは鎧を壊しますし、多彩な武器も使用するので、彼女が鍛冶屋街を歩くと親方たちは気色ばみます。
仕合の歓声や性的な視線よりもずっと熱がこもっていて、まるで自分たちが打たれる鉄になったような気分です。
あなたたちはこれまでに闘った相手やお互いの戦法についてあれこれと言い合いながら、アミカのための武器を注文しました。
幸せな時間は過ぎていきます。あなたは「これで充分なのに」と思いました。
世界は広すぎます。手の届く範囲での自由が満喫できれば、他人から見て不自由な奴隷身分でも構わないのです。
そう、あなたはここから出る必要などないのです。
陽が沈むと、いつもの酒場タイムになります。
竜の素嚢で食事をするのは外せません。
うるさい説教女も来るでしょうが、あれはあれで嫌いではありません。
ふたりきりの時間はあとわずかです。
あなたは夕陽に眩しそうにしているアミカを見上げたまま歩きます。
「きゃっ、痛いっ!」
あなたは身体に衝撃を感じました。
今の可愛げのある悲鳴はあなたのものではありません。
ネコづらの子供が尻もちをついていました。
「大丈夫かシピス。いやはや、すみませんラプエラさま。うちのが失礼をして」
ごつい顔をしたひげづらが駆けてきました。
オイルで汚れたつなぎを着たニンゲンの男。鍛冶屋でしょうか。
「うわーっ、親方様! ぼく、白亜の処刑人様にぶつかっちゃった! うわっ、こっちは慈愛のアミカさまだ!」
シピスと呼ばれたウィレオ人種の男の子は、あなたにぺこぺこと頭を下げて謝ったり、アミカの前でぴょんぴょんと飛び跳ねました。
「おふたりとも、握手してください! 両手で、両手で握手!」
「こらシピス。まずは謝罪が先だろう」
「ちゃんと謝りましたよう! おふたりはぼくの憧れなんです。是非、握手を!」
あなたたちはシピスに握手をしてやりました。
右手は肉球でしたが、左手だけガントレットのような硬い感触がします。
「おまえの腕って、魔装具か?」
アミカが訊ねます。
「さすがアミカさま。お目が高い。これはこのわし魔装具師ベナインがシピスのために作った魔力仕掛けの義肢です」
「左足も親方様に作ってもらいました!」
ネコづらの子は片足を上げてみせます。
「ぼくも闘士になったんですよ。親方様にもらった身体で、恩返しです」
「わしは無理に闘わなくてもいいと言ったんじゃがな」
「親方様はぼくが失った自由を取り戻してくれたんです。恩返し!」
シピスはネコの耳と髭をぴくぴくさせて笑顔です。
「その様子だと、白星を挙げたみたいだな」
「はい! 相手が弱くて助かりました!」
シピスはその場で宙返りをしてみせました。
あなたはシピスを見て、憐れな獣人の男の子の噂を思い出していました。
その飼い主は竜人のようなごつごつした人種や、ニンゲンのように毛が少ない人種では興奮しないたちだったのです。
男の子は戯れにいたぶられ続け、尾を引きちぎられ、手足を切られました。
そして、瀕死のそれを買い取った奇特な人物がいるという話です。
「そういや、ずっと気になってたんだけどさ」
アミカがこちらを見ています。
「ラプエラはここに来る前は、どんな暮らしをしてたんだ?」
あなたは答えられません。
「そろそろ教えてくれよ。あたしたちの仲だろ?」
あなたは答えられません。思い出そうとすると、頭が痛くなるのです。
そして、身体の「あの部分」が熱を持ち、うずくのです。
あなたは心配したり浮かれたりしているうちに、忘れていたことを思い出しました。
そうです。あなたの肉体のことです。
あなたは過去のことよりも、腰の鱗についてのアミカの意見が気になるのです。
「ま、いいけどさ。そうだ、シピスたちもいっしょに呑もうぜ、あたしがおごるからさ。今日の肴は、ラプエラの昔話!」
また勝手に決められてしまいました。
アミカはあなたの背中を叩くと、あなたを放って酒場の扉を押します。
からんころん、ドアベルが鳴ります。
いつものカウンター席には、すでにトリナの姿があります。
あなたはのろのろと、いちばん最後に入店したのでした。
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