03.鎖の掟
幸せな夕食を過ごしていると、竜の素嚢のドアベルが鳴りました。
あなたの両隣にはすでにアミカとトリナがいます。
ですがあなたは、思わず来店者を振り返ったのです。
原因はその者の放つ不快な気配です。
一流闘士であるあなたは、対戦相手が怯えて逃げ惑うのを嫌います。
虐めるのは面倒だし、見せ場も作りにくいからです。
「た、助けてくれ!」
飛びこんできた者はニンゲンではありません。
まして、毛がたっぷりの、もふもふの獣人でもありません。
トカゲのようなつらに、ヘビのような鱗の肌と、立派な尾を持っています。
あなたは正体を確かめたのち、ステーキに向き直ります。
よその席の者たちも、舌打ちをすると酒盛りに戻りました。
アミカは初めから気にせずもぐもぐやっていましたが、トリナ・ドクトリーナはなぜか、あなたを憂いを含んだ表情で見つめていました。
あなたは背中で気配を探ります。
気のせいであればいいと思いながら、噛み足りないステーキをエールで押し流しました。
「助けてくれ! お願いだ!」
すがる声はあなたのすぐそばで聞こえました。
「ラプエラさん」
「トリナもなんこつ食べてみる?」
「結構です。わたくしはとろける脂身のほうが好みですから。それよりも、あなたは今、助けを乞われているのですよ?」
「知らない。トリナが助ければいい」
「わたくしも食事中ですもの。それに、彼は……」
トリナは何か言いかけましたが、口に含んでいた魚人の白目が口の端からどろりと垂れたのをすするために中断しました。
「あんたがあのラプエラか! 頼む、市長にお願いしてくれ。俺は、自由が欲しいんだ!」
トカゲのような男が懇願します。
しかしあなたは、「無理。竜人のお願いなんて、あの人が聞くはずない」と、一蹴しました。
「なんでだよ!? あんたはこの都市でなんでもほしいままにしていると聞く。なんとか取り次いでくれないか!?」
「わたしは奴隷だよ? 主人が奴隷のいうことを聞くなんて、ヘン」
そうです。あなたは奴隷なのです。
この都市を牛耳る市長、セルヴィテス・ドラクゥテロの所有物です。
「だったら逃げるのを手伝ってれ! 同じ奴隷だろ!?」
ぴくり、とあなたの眉毛が動きます。
同時に向こうのテーブル席で男がひとり立ち上がりました。
「俺たち奴隷を竜人なんかと同じにするな!」
立ち上がったのは、ラプエラの前の仕合でしょっぱい戦いを披露した闘士ティンケスです。
彼も奴隷です。今朝までは自由市民でしたが、仕合がしょっぱいので生活苦に陥り身分を売りました。
あなたの眉毛がまた動きます。
竜人と一緒にされるのは確かに不快ですが、「俺たち」という言い回しのほうがむかつきました。
「ラプエラ、髭ニンジン食べてくれないか?」
アミカがオレンジ色ばかり残ったサラダボウルを差し出します。
あなたは「違うサラダを注文すればいいのに」と言いつつ、頬をほころばせ受けとりました。
「あたしはこのサラダに入ってるブッコロリが食べたくて注文してるんだ。なあオヤジ、ブッコロリがメインのサラダもメニューに入れてくれよ」
アミカも人気闘士で、彼女を目当てに竜の素嚢に通う客も多いのですが、店主は「ニンジンはラプエラさまに食べてもらいな」と言います。彼は気が利くのです。
「わたくしも獣人の肛門腺や鬼の甘爪があると嬉しいのですけど」
トリナの注文には「肛門腺なら今度取っとくよ」と返事がされました。
肛門腺は普通は廃棄される部位ですし、ここの店主もトリナにはお世話になっているからです。
「てっ、店主さん。俺を匿ってくれよ。皿洗いでもなんでもするから!」
「竜人なんか厨房に入れられるかよ。誰かこいつをつまみ出してくれないか? つまみ出してくれたら、つまみ一品サービスするぞ!」
店主の言葉を聞いて、あちらこちらから椅子を引く音が響きます。
あなたも立ち上がろうとしました。
と、そこにまたもドアベルです。からんからん。
「失礼。ここに竜人が来ませんでしたかな?」
声が聞こえた瞬間、全員が動きを止めました。
つまみ狙いはもちろん、竜人もアミカもトリナも店主も、あなたもです。
彼の声は、いちど聞いたら忘れないでしょう。
別に美声というわけでもないのですが、湿った耳垢のように鼓膜の付近にこびりつく声質なのです。
そして何より彼は……。
「いらっしゃいませぇえっ! セルヴィテス・ドラクゥテロ市長っ!」
店主は腋を締めて天井を見ながら挨拶をします。
客の多くも同じ姿勢になり、「いらっしゃいませぇ!」と叫びました。
セルヴィテス・ドラクゥテロ市長。
あなたの所有者であり、すべての竜人の飼い主です。
そして、この中立自由都市ドラクゥテロを管理し、育てる役目を負ったニンゲンの男でもあります。
つまりはこの都市でいちばん偉いとされるニンゲンですが、あまり背は高くなく痩身で、鼻の下にいやらしい髭を生やしています。
「こんなところにいたのですか、ナンバー二〇九九八」
酒場の木床に硬い靴(上げ底です!)の音が響き渡ります。
誰もが気配を殺し、音ひとつ立てません。
あ、いいえ。
アミカはラガーをごくごくとやってましたし、あなたはニンジンをもぐもぐしていました。
「も、申し訳ありません旦那! 俺は逃げたんじゃなく、ここで皿洗いを……」
竜人は尻もちをつき、自分よりも小さなニンゲンを見上げ、震えています。
「竜の素嚢のご主人。ここに武器になりそうなものはありますかな?」
市長が問います。
「包丁と麺棒くらいですよ、市長。でも厨房には入れてません。飯がまずくなりますからね」
「結構です。さすがはラプエラの贔屓の店。衛生観念がしっかりしています」
上げ底の靴音が近づいてきます。
「ラプエラ、本日の仕合も見事でしたよ。あなたのお陰で、このドラクゥテロはますます大きく育つことでしょう」
あなたに向けられたのは優しい優しい笑顔です。
あなたは「どういたしまして、ご主人様」と、ニンジンを噛みながら言いました。
「さて……。逃亡には懲罰。叛逆は死罪」
市長は昏い目でナンバー二〇九九八を見下ろしました。
「こ、ここには武器になるものなんてないです! 店主もそう言ってたでしょう?」
「そうですか?」
市長はカウンターの上に放置された布巾に目をやります。
この大きな布巾は、肛門腺のくだりで獣人が吐いたのを新米給仕が掃除するのに使ったものです。
市長がゲボをたっぷりと吸って重くなった布巾を手に取ったかと思うと、酒場全体に、ぱーんと弾けるような音が響きました。
同時に竜人が手首を押さえて汚らしい悲鳴を上げます。彼の指の先から鮮血が垂れ、床を汚しました。
「爪です。竜人の鋭く頑丈な爪。それに、濡れた布だって武器になるんですよ」
市長は続けます。
「牙も鋭い」
ぱーん。
「その顔も不愉快です」
ぱーん。
「もひとつおまけに」
ぱぱぱぱーん。
なんども打擲された竜人は床に崩れ落ち、うなだれます。
周囲にゲボの据えたにおいが漂います。
「お、おい、そこまですることないじゃろ」
言ったのは小人の職人です。
「どうしてですか? これは竜人です。市民には市民の法と権利があり、奴隷には奴隷の法と権利がありますが、竜人にあるのは鎖の掟のみです」
「ここでは竜人が奴隷以下だってのはわしも知っとるが、これではあまりにも不平等じゃよ」
市長は指を舐めて湿らせると、それで髭を整えました。
「あなたはドッカテッカ王国出身のテテロサホイサさんでしたかな?」
「そ、そうじゃが……」
「ワタシが注目しているのは事実なのです。これが逃げて、ここに武器があったという事実。あなたがおっしゃっているのは、意見ですよね?」
市長は竜人を見下ろしたまま続けます。
「あなたはここに来てまだ浅い。しかし、あなたの加工する宝石は、ドラクゥテロでも大人気のようですね」
「お、お陰様でな……」
「あなたの活躍は、ドラクゥテロにとってもよきものとなるでしょう。しかし、ドラクゥテロで商売をしたがるかたは、たくさんいらっしゃるのです」
市長はテテロなんとかを見ました。
「あなたのそれは、意見ですかね?」
「い、いやいや! ただの感想ですよ。わしはやたらと可哀想だと思っちまうたちでして!」
「分かりますよ。歳を取ると感傷的になるのは、ワタシも実感しております」
市長は笑顔になりました。
「では、不良品の処分をしましょう」
セルヴィテス市長が手をかざします。
店内に魔法の気配が充満し、市長の手は憤怒色の赤に光り輝きました。
「チクショウ! こうなったらヤケクソだ!」
うずくまっていた竜人の背が持ち上がり、丸まってバネのように軋みます。
彼の身体からもたっぷりと魔力と呼ばれる力が沸き立ち、辺りの空気に溶けている精霊がざわめくのが聞こえました。
あなたはニンジンを噛みながらふたりを眺めます。
ニンジンは噛めば噛むほど甘くておいしいです。
アミカから譲ってもらったという事実が、よいドレッシングになっています。
竜人が両手を床につき、背中の筋肉と床を蹴る力で勢いよく起き上がり、爪が無事なほうの手の指をそろえて、肘を引きました。
全人種中、鬼族に次ぐ筋力に加え、魔力による強化。
あの貫手を受ければ、ニンゲンは無事では済まないでしょう。
不意にアミカが「うわっ」と、声を上げました。
竜人が起ち上がったさいに床から跳ねた砂が、スパイスよろしく食べかけのステーキの上に乗っていたことに気づいたからです。
だからあなたはフォークを竜人の目玉に突き刺し、その奥のもっとも大切な器官をえぐって、それの一部と潰れた目玉を引きずり出しました。
竜人がこちらを見ました。
片方の目を失った顔で、あなたの顔をまっすぐと見ました。
それから彼は「おんなじだと、思ったの、に」などと失礼なことを言うと、トカゲづらの鼻先から血泡を立てながら崩れ落ちました。
「ラプエラさん!」
トリナ・ドクトリーナが叫び、カウンター席から立ちあがります。
「食べる? 竜人の目玉」
あなたは目玉の刺さったフォークをトリナに差し出します。
それを受け取ったトリナはまっかになり、ぶるぶると震えました。
「ラプエラ、別にワタシでも処理できたのですよ?」
「ご主人様を守るのは奴隷の仕事」
あなたはちょっとだけ嘘をつきました。
それから、ステーキをもう一枚注文しようとして……名案を思いつきます。
「アミカ、わたしのぶん、あげる」
「おっ、いいのか? サンキュー!」
アミカは竜人の死骸を一瞥するも、すぐにあなたの食べかけのステーキに取り掛かります。
あなたは処分に自分のフォークを使ったのは失敗だと思いました。
アミカも自分のフォークを肉に突き刺しています。
まだ温かい肉からは、じゅわっと肉汁が染み出ました。
「いやはやご主人。うちのラプエラが店を汚して申し訳ない」
「いやいやもったいないお言葉です市長。これも都市の治安維持のためです」
ふたりは笑顔を交わし合い、市長はいまだ静まり返ったままの店内を見回しました。
それから、ぱん、と手を打ちます。
「不良品がお騒がせして本当に申し訳ありません。本日はワタシが料金をすべて持ちますから、みなさん、心ゆくまで呑んでくださいね」
沈黙は破られ、大歓声。それから市長コール。
「ちっちっち」
市長は指を振ります。
「称えるのはワタシではないでしょう? 称えるべきは、この自由と永遠の都市、ドラクゥテロです!」
酒場じゅうをドラクゥテロコールが埋め尽くします。
しかし、あなたには聞こえていません。
あなたが聞いているのは、アミカの立てる食器の音と咀嚼音だけですから。
「なんか変だな」
アミカが首をかしげます。
「ラプエラから貰った肉のほうが、ウマい気がするよ」
あなたは股間がぎゅっとなりました。
「さてみなさんご唱和ください!」
市長が再び手を打ち、叫びました。
「責任あっての自由!」
市民たちも市長に倣い、標語を復唱します。
「差別を許すな区別をしろ!」
「弱者は決して許さない!」
「われわれ市民はドラクゥテロの血と肉だ!」
「ドラクゥテロよ、永久不滅であれ!」
都市を称え終わると、どこからともなく全身をぼろきれで覆った人が現れて、床に転がるゴミを引きずっていきました。
掃除人です。ゴミはリサイクルされます。
あなたは陶酔的なコールに合わせて頭が白くなりかけていましたが、はたと気が付きました。
なんだか居心地が悪いような気持ちと、嬉しい気持ちが混ざったような妙な気分になって、頬が熱くなっています。
それから、市長に訊ねました。
「ご主人様はどうしてここにいらしたの? 不良品のことだけで?」
あなたの疑問ももっともです。
セルヴィテス市長は強いですし、部下や慕う市民だってたくさんいます。
「そうでした。明日の対戦カードに変更がありまして。お客様がいらっしゃるので、あなたの出番が午前に繰り上げになるのです。相手も変更です」
「運営部に伝えさせたらいいのに。相手は誰ですか?」
「ケルメスト王国の近衛騎士です。王も直々に観戦なさるそうで。どうもケルメストの王は、ドラクゥテロのことを理解していないようでしてね」
「相手は強いんですか?」
「残念ながら」
セルヴィテス市長は肩をすくめます。
あなたはご主人様の前だというのに、いやそうな顔をしてしまいました。
「ふふ、最近は表情が豊かになりましたね。今回は接待でも、分からせですから安心してください」
あなたは、ほっと胸をなでおろします。
盛り上げ目的の闘いだと対戦相手を大切に扱いますから、弱いと苦労するのです。
「ケルメストは取り立ててどうということはない軍事国家ですが、あそこと敵対してるリュグナ帝国の機嫌取りには使えるでしょう」
リュグナ帝国は飛竜を飼い慣らす文化のある国なので、竜の末裔と呼ばれている竜人の扱いの悪いドラクゥテロに対して「遺憾の意」を表明しています。
「しかしあなたは、もう少し慈しむということを知ったほうがいいかもしれませんね」
市長はため息をつきました。
「使いまわせる対戦相手はなるべく使いまわして欲しいものです。同じ盛り上げ上手でも、アミカさんのほうがずっとリーズナブルで優秀ですよ」
そう言って、市長はアミカの肩を叩きました。
アミカは食事の手を止めて「ども……」と、ちょっと照れた様子です。
あなたは市長ではなくアミカのほうを見て、「善処します」と色いい返事をしました。
「それではラプエラ。闘士の掟、第二条を復唱しましょう」
市長はあなたの両肩に手を置き、まっすぐと見つめます。
それから、唾を飛ばしながら叫びました。
「手足一本、歓声ひとつ!」
あなたも復唱します。
はい! 手足一本、歓声ひとつ!
「殺すなら派手に殺せ、殺さないなら治せるように倒せ! さあ、アミカさんもご一緒に!」
「殺すなら派手に殺せ、殺さないなら治せるように倒せ!」
あなたももちろん、叫ぶように繰り返しました。
「奴隷も魔物も挑戦者も資源です! 対戦相手を大切にしましょーーっ!」
たましいの籠った復唱をすると、市長は「あ、そうそう」と言いました。
「どうせ瞬殺でしょうから、明日は正午から自由としましょう。アミカさんも明日の仕合は午前中でしたね?」
セルヴィテス市長はそう言うと、あなたにウィンクをして去っていきました。
いい飼い主です。
「ねえ、アミカ……」
あなたは、つんと隣の女性の上腕三頭筋をつつきました。
「ん、なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言いな」
アミカはたまに意地悪です。
「明日、午後からどこかに出かけない?」
言えました。頬が、きゅっと痛くなります。
胸が期待と不安が膨らんで、今にも破裂しそうです。
「うちの婆さんがオッケーをくれたらな。ま、うちも稼いでさえいれば文句は言わないんだけど……」
アミカはあくび混じりに言いました。あなたは安心します。
あなたはまだ眠くありませんでしたが、明日が待ち遠しかったので、今日は早く寝ようと思いました。
「ラプエラさん」
トリナです。すっかり存在を忘れていましたが、彼女はいまだに目玉の刺さったフォークを握って、顔を紅潮させていました。
「これから少しお話があります。お付き合いいただきます」
やれやれ。あなたはうんざりした顔をしました。
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