15.あいのものがたり
あなたがわたしのお母さん。
知っていた。いつからか気づいていた。ずっとどこかで感じていた。
『忘れていたのなら、思い出させてあげましょう』
竜は語る。
ずっとずっと昔。遠い昔。
地図も今と違った遥か昔に、メスの竜が恋をしました。
鳥が鳥とつがい、獣が獣とつがい、ヒトとヒトがつがうのが世界のことわり。
しかしその竜は素晴らしいことに、ニンゲンのオスに恋をしたのです。
そしてまた素晴らしいことに、ニンゲンのオスも竜に応えました。
ふたりは見つめあい、触れあい、感じあい、そして愛しあい、とてもしあわせな時間を過ごしました。
世界中の花の蜜や、腐る前の果実を混ぜ合わせても足りないほどに甘く、夜空の星々とすべての金銀財宝をかき集めても届かないほどに重く美しい、本当にしあわせな時間を過ごしました。
ですが、ニンゲンというものは生きて百年。
魔術に精通していても二百年がいいところです。
いっぽうで竜は、種類によっては千年を生きるといわれています。
百年。それでも百年くらいはあの人といられる。
竜はそう思っていたのです。
しかし、死というものは寿命だけが届けるとは限りません。
愛に浸る姿が美しいのは、ニンゲンでも竜でも同じこと。
雄竜が美しい雌竜を欲したために、あの人は食われてしまったのでした。
竜は憎み怒り狂いました。
雄竜がのしかかってきているところに首を曲げて喉元に喰らいつき、胴と切り離し、頭蓋を砕き、はらわたも引きずり出してやりました。
それでも、竜のはらの中で燃え滾る炎は消えませんでした。
竜は世界を飛び回り、憎い姿をした同族どもを殺し続けました。
これまで仲間だと思っていた連中の多くが、あの人と同じ種族のニンゲンを食っていることが気に入らなかったのです。
どれだけ殺しても、はらの中の熱は消えない。
多くのニンゲンを助け、感謝をされても、はらの中の炎は燃え続けたのです。
いったいどうして?
それは、炎は炎でも怒りの炎ではなく、いのちの炎だったからです。
竜はふたつの卵を生み落としました。
生み落とした瞬間、身体に感じたのは、あの人の愛撫。
ああ、感じることができます!
この卵たちには、あの人と同じ気配がある!
これでわたしは、ひとりぼっちじゃない!
竜はもう二度と奪われないように、穴を掘り、深くて安心の出来る場所で卵がかえるのを待つことにしました。
ところが、さらなる悲劇が竜を襲います。
大切な卵のひとつが、盗み出されてしまったのです。
それも、竜が信じていたニンゲンたちの手によって。
取り返したい気持ちはやまやまです。
本来なら卵を盗んだ連中を食って養分に変えてやりたいところでしたが、生きたニンゲンを食らうことを考えると、竜の背筋は凍りつき、目玉から水がぼろぼろと流れ出てしまうのでした。
それに、残されたもう一方の卵を放っておくこともできるはずがありません。
竜は残された卵を大切に温め、孵しました。
生まれてきたのは竜の鱗を少しだけ持った、少しだけあの人に似たニンゲンの男の子。
竜は彼を安全に育てるために、大きなねぐらを作ることにしました。
ねぐらを作るには人手が必要です。
そこで竜は、また卵を産むことにします。
オスにも依らずに、ただの独りで。
あの人の思い出を反芻して、生まれよと願います。
卵からかえったのは、ヒトのかたちをした竜。
わたしの子供ではあるけれど、あの人との子ではない、竜人。
それはわたしの一部であって、一個の存在ではありません。
爪や牙のひとつのようなものです。
ふふ……。
ところで、ひとりぼっちでも、産卵のさいに生じる感覚は同じでした。
産むたびに、あの人の甘美な手つきを思い出せるのです。
竜人を産むことは、竜にとってよい慰めにもなったのです。
産み、感じ果てる。竜人を働かせて果てれば食らってはらに戻し、また産む。
竜人はとても便利なものでした。
さて、竜は竜人に命じて仕事をさせ、ときには竜人をニンゲンに売り、対価としてねぐらづくりを手伝わせました。
ニンゲンもよく働き、竜を神として敬いました。
お互いに協力しあう、よい関係が築けていました。
時間が経つと共に、竜はニンゲンが卵を盗んだことを赦し、「あの人と同じ種族である」ということへの愛情だけが残ります。
ねぐらはどんどんと大きくなります。
竜はそのうちに、ねぐらそのものやそれに携わるヒトも愛するようになりました。
大切な息子にねぐらを任せ、地下に潜ることにします。
もう二度とひとりぼっちにはならない、安心で、しあわせな世界に浸ります。
そこで卵を産み続け、思い出を繰り返し、ときにはあったかもしれないしあわせな未来を描き続けたのです。
……けれども、やはりもう一方の卵のことを忘れることはできませんでした。
竜は探させました。
けれども、すでに長いときが経っていました。
そもそも、温められずに孵ったでしょうか。
孵ったとしても、まだその子は生きているでしょうか。
不安で不安で仕方がなく、竜は祈り続けました。
神とあがめられる竜はいても、竜に神はいません。
それでも竜は、何かに祈らずにはいられなかったのです。
それは愛でしょう。深い深い、愛。
そして、母の深い愛情が実を結ぶときがいよいよ訪れたのです。
ある国の名家の若く美しい才女に、不釣り合いな噂。
その娘の腰の辺りには、醜い鱗のようなものがある。
ヒトからすればそれは、単なる妬みによる作り話に過ぎないでしょう。
けれども、わたしには分かります。ああ、やっと見つけた!
竜は人手をやって娘を取り戻すことにしました。
娘はニンゲンの国でニンゲンとして生まれ、とてもとても愛されていました。
欲しいものをほしいままに与えられ、武に長け、知に富み、理を解し、慈愛にも満ち溢れた、誰よりも素晴らしい少女でした。
彼女はしあわせだったのでは? ですって?
まさか! それは、しあわせもなんでもなく、間違ったことです!
なぜなら、愛を注ぐのは本当の母親でなければ、わたしでなければならないからです!
間違った方向の努力というものほど、無駄なものはありません!
世界一速い足で走ったとしても、方角が真逆なら誰よりも遅いわけです!
つまりわたしの娘は、世界中の誰よりもふしあわせだったのです!
『だからわたしはあなたを救いだし、すべてを忘れさせ、名付けなおし、育てなおすことにしたのです』
「でもわたしは、全部を忘れたわけじゃなかった。ずっと変だと思ってた。わたしは自分を受け入れられてなかったの」
『失敗だったようですが、あえて残していたのですよ。上手な嘘には、いくぶんか真実を混ぜるものでしょう? つまりは記憶のリユースです。対戦相手や竜人と同じ。資源は大切しなければなりませんから。何はともあれ、こうしてあなたはここに戻ってきた。強く、美しくなって。あなたはわたしの与えた試練を数多く乗り越え、憎い竜もあまたに屠ってくれた……!』
竜はほほえんでいた。
満足そうに、幸せそうに、愛情たっぷりに。
けれども、ただれて、腐っている。
だからわたしは言う。
「竜よ。あなたが本当の母親だっていうのは、なんとなく分かる。でも、あなたは酷いことをしたの。あなたはわたしから大切なもの何度も奪ったの!」
『奪ってなどいません、与えているのです』
「どうして分からないの? あなたがやったことは、あなたがされたことと同じなのに。ううん、もっと酷い。あなたの大切なドラクゥテロをめちゃめちゃに壊されるようなものだわ!」
また笑う。ほほえんでいる。彼女は言った。
『わがままな子。それは反抗期というもの。セルヴィテスにもあったのですよ』
――ああ! 竜が叫んだ。
『あの子はあなたのお兄さんだったのに! わたしの可愛い息子だったのに!』
叫びがわたしを震わせる。これは怒りだ。
皮膚が剥がれそうになり、骨ががたがたと揺れ、腹わたが握りつぶされそうになるほどの、強烈な怒り。
『ですが、あなたは愛娘。それにやはり、性別を同じくするほうが愛情も深まりますね。セルヴィテスは残念でしたが、あれもまた、あなたのための資源となりました』
わたしは頭を抱える。
本当は兄だったご主人様。わたしを大切に扱い、色々と教えてくれた。
違う! それはあとから作られたもので、わたしを育ててくれた人は……!
ああでも、彼は優しかった! 彼を殺したのは、確かにこの手!
『悩む必要などありません』
やさしいやさしいこえだ。
「おかあさん……」
わたしのからだから、ちからがぬける。
『お母さんがそばにいますよ』
めのまえにおかあさんがいるのに、どうしてだか、こわくてさびしい。
わたしはつぶやく。あみか。あみかたすけて。
『アミカは死にましたよ。ほら、これを御覧なさい』
おかあさんのわきにつまれたたくさんのほねのやまのなかに、おおきくてしろいおのがある。
『もう一度、教えなおしましょうね。あなたがそんなにもアミカが好きだというのなら、アミカとの思い出も教えなおしてあげますよ』
……わたしはらぷえら。ここでうまれそだった。どらくぅてろのむすめ。
ちいさいころから、なにをするにもいっしょだったあみか。
たよりになるけど、ちょっとへんなおにいちゃん。
なんでもいうことをきくくさいりゅうじんたちと、やさしいおかあさん。
とうぎじょうでのたのしいあそび。にくにくいりゅうをやっつけるあそび。
あみかといっしょにつよくおおきくそだって、わたしたちはおたがいがすきになる。
おかあさんとおとうさんがそうだったように、わたしとあみかもあいしあう。
おんなどうしはにんげんからするとちょっとかわってるけど、おかあさんはやさしいからゆるしてくれる。
すてきなすてきなあいのものがたりがつづく。
そうおもってたのに……。
あみかはいなくなった。わたしをすてていなくなった。
おにいちゃんも、しんじゃった。
だから、わたしには、おかあさんとどらくぅてろしか、ない。
おかあさんのとなりに、あみかのすがたがみえる。
あみかのまぼろしだ。やさしいおかあさんがみせてくれている、まぼろし。
あみか、どうしていなくなったの……。
「そりゃ、大怪我したまま竜人どもに追い回されちゃな」
……アミカ?
「おい、くさい竜。あたしのことをどうにかしようっても、簡単にはいかないぞ」
アミカがいる。わたしは彼女の名を叫んだ。
白い歯を見せて笑う筋肉もりもりの大女。ああ、アミカ! アミカだ!
「ラプエラ、目覚めたんだな。でも、ちょっと面倒なことに……」
ただれた尾が薙ぎ、アミカの姿が弾かれ、消えた。
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