14.はらの中へ
世界は終わらない。
闘いに負けても、アミカが死んでも、主人や鎖を失っても。
わたしはまだ生きているんだ。
教えて。おまえはいったい何者なの?
行かなきゃ。わたしに与えるだけ与えておいて、奪ったおまえのところに。
「トリナ。ドラクゥテロに囚われた始祖竜の話は知ってる?」
「始祖竜? 聞いたことはありますけど」
「そいつがどこにいるのかとか聞いてない?」
「そういうおとぎ話の好きなお客さんもいらっしゃりますけど……」
トリナは頬に指を当て、小首をかしげて思い出す仕草をしている。
紫のリップを輝かせ、わたしに視線を送りながら。
「トリナ! あなたの趣味に付き合ってる暇はないの。居場所でなくとも、関係のありそうな噂ならなんでもいいから!」
したくなかったけど、わたしは竜の爪を立てて彼女の首筋に軽く押しあてた。
トリナは気持ちよさそうに短く息を吐いたけど、わたしが反応を示さないでいると体温を下げたようだった。
「役に立つ話かどうかは分かりませんし、無関係かもしれませんが……」
「構わない。教えて」
「掃除人たちが運ぶ遺体のゆきさきをご存知ですか?」
ドラクゥテロで出た死者の処遇。
身分のはっきりした者の場合は、所属する国に送り届けられる。
ここに暮らす自由市民なら、墓所に埋められる。
しかし、手配者や愛されていない奴隷のように帰る場所がない場合や竜人が死んだ場合は、掃除人が遺体をどこかへと持っていってしまう。
「下水道は竜人だけが就労する場所です。掃除人はそこに遺体を運びます」
「捨ててるだけじゃないの?」
トリナ・ドクトリーナいわく。下水道のさらに奥、ずっと地下深く。
噂ではそこに始祖竜が囚われており、死体を餌にしているのだという。
「枕のお供に話されたことなので、眉唾ものですが……」
ふいにトリナが目を見開いた。
驚き一瞬、けれどもすぐにいつもの変態趣味の恍惚を見せる。
トリナ・ドクトリーナのお腹から、槍の穂先が突き出していた。
わたしは彼女への心配や、「これ以上わたしから奪うな」という抗議は口にせず、槍を突いた者の首を素手で刎ねてやった。
別に薄情というわけじゃない。
ほら見て。トリナは自分で槍を引っこ抜いて治療魔術で傷を塞ぎつつ、「今のはよかったわ」なんて身体を震わせている。心配するだけ損。
それに、ここで喜ぶようなことを口にして気絶でもされると困る。
「助かりましたわ。でもラプエラさん、彼を殺してしまっては……」
地面に倒れるは、ぼろを全身にまとった掃除人。
掃除人が何者なのかは誰も知らない。
死体処理を引き受ける忌み人で、市民は関わるのを禁止されているのだ。
……といっても、この正体にもまことしやかに囁かれる噂があって、現にその噂を裏づける頭部がわたしたちの足元に転がっているのだけど。
「掃除人も竜人でしたのね。噂には聞いてましたけど」
「下水道の奥に行ってみる」
「わたくしもお供しますわ。闘技場からも入れる通路があるはずです」
わたしたちは、一部の敗者が運びこまれる下り坂へと向かう。
下りた先の部屋では、大きすぎる対戦相手――竜や魔物なんか――を解体するための部屋があって、いつでも腐ったようなにおいを放っている。
あった。下水道への通路だ。
ここから先の道の狭さを思うと、アミカもここで解体されてしまったのだろうかという考えがよぎり、胃の中から酸っぱいものがこみ上げた。
どうしてアミカは殺されなければいけなかったのか。
アミカがわたしを連れ出そうとしたから?
それはそうかもしれない。
けれど、アミカが死んだからといって、わたしがここを出ない保証はない。
市長が死んだ今なら、なおさら。
おまえの呪縛から解き放たれた今なら、なおさら。
わたしから奪ったって、何も変わらなかったのに。
あいつは、わたしのことを何も分かっていない。
……教えて。教えなさい、竜よ。
おまえはどうして、そこまでわたしにこだわるの?
セルヴィテス市長に鱗があった理由は?
竜人はいったい、どこから来ているの?
わたしたちは下を目指して進む。
網目のように張り巡らされた通路をゆき、水の落ちる方向、闇の深くなる方向を目指して、深く、深く、ドラクゥテロのはらの中へ。
「邪魔をするなら全員、斬る」
立ちふさがったのは掃除人と下水作業の竜人たち。
連中の瞳に色はなく、人語も発さず、ただ槍や工具を手にしている。
「ラプエラさんが剣を振るうと下水道が崩れてしまいますわ。ここはわたくしに任せて、先に行ってください」
白いローブの袖が振られると、細い何かがいくつも煌めくのが見えた。
竜人たちの身体に細い針が刺さる。
トリナが両手をかざすと、治療魔術でよく見る白い光が起こった。
すると、針の刺さった患部から急速に腐ったり、泡のように膨らんだりして竜人たちはつぎつぎと崩れ落ちた。
「治療魔術の応用? トリナには慈悲は無いの?」
「彼らには人権はございませんから。先ほどは不覚を取りましたが、わたくしにも腕に覚えがあります。上から来る連中は引き受けますわ」
わたしはトリナを残し、先へと進む。
下水路はあまりにも酷いにおいで、通路の脇にある水路には、ありとあらゆる汚物を混ぜたようなどろどろの液体が流れていて、わたしの鼻はすでに麻痺していた。
にぶく流れるヘドロに音はなく、追っ手も現れなくなり、灯りも途絶え、ただ床と壁の感触のみを頼りに先に進み続ける。
今はもう、ずっと頭の中で響いていた声すら聞こえない。
わたしを決めつけ続けた、説明し続けた不快な声。
不快な女の、メスの竜の声はもう、聞こえない。
……。
ゆいいつ確かだった、足元の感覚が消えた。
身体が宙に浮く。
わたしは落ちる。雫のように落ちる。
かなりの高さだ。だけど、見ずとも姿勢の制御はできる。着地。
地面は堅い。そばではべちょべちょと湿った何かが降り注ぐ音がする。
そして、大きな大きな気配があった。
『よく来ましたね、ラプエラ』
ぱっと、世界が明るくなる。いや、明るくなったのはわたしの周囲だけ。
光は闇に呑みこまれ、果てまでは届かない。
広いけれど何もない、大きな空間。
まるで自由だけど何もできないような、もどかしさに包まれた世界。
そして、光がゆいいつ映し出したのは、醜くただれた巨大な竜の姿だった。
「おまえが始祖竜ね」
『そう呼ばれていますね』
瞳のない眼窩がわたしを見る。
すべてを包みこむような、吸い尽くすような、無のまなざしだ。
「おまえがアミカを殺したのね」
『竜人たちにそう命じました。そうすれば、あなたがここに来ると思ったから』
「赦さない……!」
髪が逆立つのを感じる。今すぐに首を刎ねてやる。
わたしは剣を握る手に力を籠めた。
……籠めたつもりだったけど、わたしは膝をついていた。
酷い頭痛。不快なにおい。吐き気。視線はただれた竜に釘づけ、外せない。
「殺してやる、絶対に殺してやる!」
『どうしてそんなことを言うのですか、ラプエラ』
「わたしは、ラプエラなんかじゃない!」
『いいえ、あなたはラプエラです。偽りの記憶がまだ残っているのですね』
「偽りの記憶は、あなたが勝手に語ったことでしょう。この名前だって……!」
『あれはいささか盛り過ぎでしたね。でも、あなたのためを思ってやったことなのです。不幸な過去など忘れて、本当のあなたに戻るために』
本当の、わたし?
『それに、あなたがラプエラであることを否定するということは、アミカたちとのことも否定するということですよ。せっかく、あなたに相応しいゆりかごを用意してあげたというのに』
「でも、取り上げた! わたしのアミカを返して!」
『取り上げられたのは、わたしのほうなのです。あの頃のあなたは、まだ卵だったから……』
卵。
「おまえは……あなたは誰なの?」
竜は笑う。
短く、静かに、ゆがんだ口を引きつらせて、けれども声は、優しく見守るように。
『わたしは、あなたのお母さんですよ』
***