13.火花華々、散りぬるを
もはや多くを語る必要はないでしょう。
筋書き通りの展開。予定調和。決勝戦における二大女王の激突。
ひとつ注意を払わなければならない点があるとするならば、セルヴィテス・ドラクゥテロ市長の死はまだ伏せておかねばならない点でしょう。
新たな支配者の誕生は、勝利の栄光を背に宣言するのが相応しいのです。
陽射しに溶けて混ざる白亜の闘技場。
舞台を囲う観覧席では、熱気に汗を流す地底小人や同族同士で固まる獣人たち、これを観るために森暮らしをやめてきた精霊びとに、今日ばかりは対戦相手の品定めではなく一個の観客に戻る闘士たち、日よけの下で配下に扇がせる貴人など、ありとあらゆる人種にありとあらゆる立場のヒトが並び、固唾を呑んで仕合の開始を待っています。
まさにこの瞬間こそ、ドラクゥテロが中立自由都市であることのすべてが詰まっているといえましょう。
此方に立つはドラクゥテロが愛でし美しきあなた、ラプエラ。
彼方に待つはあなたが求め欲する闘いの女神、慈愛のアミカ。
両雌ともに巨大な得物を脇に突き立て腕を組みあいたいするは、まるで歪んだ鏡写しのよう。
「驚いたよ、ラプエラ。おまえが決勝に来るまで一人も死なさなかったなんて」
筋肉の柱のごとしの女は白い歯を見せてあなたに笑いかけます。
しかしあなたは、それどころでありません。
「あなたも死なさずに倒して、わたしが貰い受けるわ」
あなたは対戦相手を観察します。
アミカの左手側には使い馴染んだ鋼鉄の大戦斧が突き立てられ、背には共に考えた飛翔大戦斧、そして右手側には見覚えのない、白い大戦斧がそびえ立っています。
「気づいたか。ラプエラと愉しむために用意した特注品だよ。さすがに砥ぎまでは間に合わなかったけど、これならその剣と打ち合っても平気だろ?」
竜骨製ということでしょう。
やや黄色味がかったやいばを見ていると、背筋に冷たいものが流れます。
……あなたは首を振りました。
「そんなことない。わたしは焦ってもいないし、不安もない。今日という日を待ちわびていたの」
死は怖くないのですか? あの斧が恐ろしくないと?
「恐ろしい。だからよ。アミカと仕合うにはそれがいちばんだから」
そうですか。変な独り言だと思ってアミカが首をかしげていますよ。
「今日だけは邪魔をしないで」
……仕合開始の合図とともに、あなたとアミカは武器を引き抜きました。
観覧席最前列に配置された障壁魔術の使い手が身構えるのが見えます。
アミカの初手は使い慣らした鋼鉄の大戦斧の投擲。
あなたはこれを竜骨の大剣を横に構え、やいばの腹に腕を当てて盾として弾きます。
火花が散り、あなたの身体にアミカの手による振動が行き渡り、観客たちもまたこれが真の仕合開始の合図だと捉えて大歓声を上げました。
あなたが剣を構え直すとすでに風を切る轟音。
アミカは第二投として思い出の飛翔戦斧を射出していました。
そんなものは叩き落とせばいいのに、あなたは不利を承知で高く飛んで回避します。
アミカは手のひらを掲げて魔導をおこない斧の操作をします。
あなたは折り返して迫りくる漆黒の円盤に振り返ることもせず、宙で身をよじるだけでかわしてみせました。
なるほど、アミカと斧を結ぶ魔力の気配は、互いに身体を探り合ったあなたには見なくとも分かるというわけです。
飛翔戦斧のやいばを受け止めるほんの一瞬、アミカは無防備になります。
あなたはその隙をついて、アミカに向かって大剣を突き立てました。
けれども彼女はやいばの脱着の衝撃を利用して立ち位置を下げ、あなたの剣は地面に直撃、舞台に長い亀裂を作り出すに終わります。
アミカはただ回避をしたわけではない。隙を作ったのはあなたのほうです。
アミカは余った力を乗せてさらに身体を回転、カウンターを放ちます。
あなたは深く突き刺さった剣を回収するのを一旦諦め、姿勢を低くして斧の一撃を潜り抜け、アミカのふところへと潜りこみます。
「アミカ、あなたには優勝させない。ずっとわたしのそばにいて」
「そばにいるさ。なんであたしとあんたが離れなきゃいけないんだ?」
あなたは「嘘つき!」と叫びました。
闘いのついでの会話ではなく、完全に言葉を発するためだけに叫んだ……。
ゆえに、あなたはアミカの蹴りの直撃を受けてしまいました。
視界の中のアミカが小さくなっていきます。
背中に衝撃、あなたは舞台の壁にめりこみ、砂ぼこりが全てを覆いました。
闘士の勘。アミカとのつながり。
それに突き動かされ、あなたは眼前に迫った巨大なやいばを両手のひらで挟みこんで受け止めました。
「違う、これは……!」
飛翔戦斧ではなく、ただの鋼鉄の大戦斧。また別の気配が迫ります。
あなたは斧を受け止めた姿勢のまま強く念じ、全身の魔力を集中して、飛来物へと素早く送りこみました。
飛翔戦斧は来ず、風だけが砂煙を吹き飛ばします。
向こうではアミカが「マジかよ!」と声を上げつつ、跳ね返ってきたやいばを柄で受け止め損なって、黒い円盤が宙に弾かれる様子がありました。
あなたはアミカの鋼鉄の戦斧を携えて迫ります。
「アミカのことはお見通しなんだから!」
「お見通しなら、仕合を降りれくれればよかったんだ! 市長から何も聞いてないのかよ!?」
あなたの斧の一撃はアミカに片手で止められてしまいます。
あなたはそのまま斧を返し、自身の剣へと戻り大地から引き抜きました。
「ご主人様は、市長は死んだ」
「は!? どういうこ……」
アミカは慌ててあなたの横薙ぎを斧で受け止めましたが、先ほどのあなたと同じように壁へと吹き飛んでいきました。
アミカはひしゃげた古い戦斧を放置して、新規の得物である竜骨の斧へと駆けます。
「おい、市長がどうしたって言った!?」
「わたしが殺したの!」
「どういうことだよ!?」
あの子は死んだのです。誰が殺したかなんて、いまさら無意味です。
ただ、あなたは勝利してすべてを手に入れなければならない。
さもなくば、あなたは何もかもを失うのです。
「だからわたしは勝たなきゃいけないの。勝って、勝ってあなたをわたしのものにする!」
あなたはアミカに斬りかかります。
当然それは回避され、代わりに地面がえぐられました。
白い斧へと寄せつけまいと放つ乱切り、アミカが飛び、身をよじり、土が弾けます。
土に紛れて、けちくさい魔力の弾丸が数発、あなたに直撃しました。
アミカのこぶしに撃たれるよりは遥かに弱い威力です。
アミカは追撃を掛けず、ため息をつきました。
「なんで殺しちまったのかは今は聞かない。でも、死んじまったんならもう言ってもいいよな?」
「なんの話?」
「ラプエラ。あたしはもうすでに自分の身分を買い戻しているんだ」
「知ってる。出ていく気なんでしょ?」
「ああ。そしてこのトーナメントで望むものは、あんたの身柄だ」
「わたしを? そんなの無理よ。誰も許さない」
「無理じゃないんだよ。市長にも話は通してあったんだ」
……やはりあの子は裏切っていたのですね。
「ラプエラ。あたしと一緒にここを出よう。この街はいいところだけど、あんたにはよくないと思う。自由になって、あたしと旅をしよう」
耳を貸してはなりません。外は危険だらけです。
お互いにお互いを欲しているのなら、ふたりでここに残ればいいだけのこと。
「アミカ、闘って」
そうです! あなたはドラクゥテロの娘! 闘技場に咲く花!
誘いに乗って降参もしなければ、観客たちをがっかりさせることもありません!
「おい、ラプエラ」
「アミカはわたしのことを分かってない」
ふふ、それなら分からせてやりましょう!
「あなたが勝ったら、わたしはあなたのもの。わたしが勝ったら、わたしはあなたとの自由を望む。そしてわたしは、あなたと闘いたい」
……ラプエラ?
「なるほど。そっちのほうがいいな。あたしも、ちゃんとやっとかないとすっきりしないなとは思ってたんだ」
「さあ、斧を取って。おそろいの武器で一緒に咲こう」
「そうだな。それが闘士ってもんだ」
やめなさいラプエラ。自由など不要です。
闘いたいのならお好きになさい。
ですが、あの斧を取らせてはいけません!
あなたは本来、死を恐れることはないのです!
あなたは竜の力をまだ使っていない!
炎にかけては魔力もなしに大魔導士に匹敵し、竜の肉体はアミカの膂力を凌駕し、竜の骨格は鋼鉄の武器などでは砕けない!
今ならまだ間に合います。全力を出して、アミカを安全に倒すのです。
あの竜骨製の斧を受ければ、あなたも無事では……。
「うるさい!」
会場が静まり返った。
わたしは大地につるぎを叩きつける。
あいつに届け。
わたしの叫びは地を割り、会場を揺らし、障壁魔術の光をまたたかせる。
「わたしは、あなたの操り人形じゃない」
ふっと、身体が軽くなった。
アミカは首をかしげていたけれど、わたしが笑いかけると、同じように笑ってくれて、「じゃ、いくぞ」と、まっさらな色をした斧を構えてくれた。
白と白がぶつかり合い、わたしたちは震える。
小さな火花が散り、その中でアミカが白い歯を見せてきらきらと笑う。
彼女の瞳に映るわたしも、黄金と白金の髪に火の粉を浴びて、とても綺麗だ。
北側の上流区画の公園に、素敵な花畑がある。
白い白い花がたくさん咲いている。わたしはその花の名前を知らない。
アミカは知っていたようだけど、恥ずかしがって知らないふりをしていた。
わたしとアミカは、そこでよく語らった。
内容はその……戦術がどうとか武器がどうとか、景色に似合わないものばかりだったけれど、本当に幸せだった。
わたしの大地を割った一撃は当たらずしてアミカの肌を引っ掻く。
うっすらと血を流す彼女は、とても嬉しそうに傷を舐め、アミカもまた研ぎの足りないはずの斧を当てずにして、わたしの肌を引っ掻いた。
咲く。わたしたちは咲いている。
いつだって茎を伸ばすようにしなやかに、いつだってつぼみが膨らむようにういういしく、いつだって花開くときのようにあでやかに。
そして、最後には必ず散るときが訪れる。
わたしたちは少しはしゃぎ過ぎていた。
地面はめちゃめちゃで、気をつけないと足を取られそうだったし、もはや観客を守る魔術師たちは魔力切れを起こしていたから、飛び道具も封じられていた。
わたしはまだアミカと戯れていたかった。
だから、彼女の足場が比較的ましなタイミングで、落下の力も載せた大切断をお見舞いすることにした。
頭上からの一刀両断。
白亜の処刑人の名を得るきっかけになった、わたしの得意技だ。
アミカだって、それは承知してたと思う。
アミカはわたしのことはなんでもお見通しだから。
優勝のことだって、わたしが勝手に誤解してただけだったし。
わたしは、アミカのことを考えられていなかった。
自分のことばっかりで、アミカの気持ちをほったらかしにしすぎていた。
ううん、こころだけじゃない。身体のことも。
つるぎを打ち下ろす瞬間、アミカの手首が腫れていることに気づいた。
膝の角度からしても、足首をかばっているのが分かった。
アミカが苦痛に顔をゆがめたのが、はっきりと見えた。
わたしたちはこの闘いで数えきれないほど咲き乱れた。
わたしたちはわたしたちを欲する。
よく似たわたしたち同士で、同一になることを求める。
けれど、わたしは竜の血を引く娘で、彼女は人間だった。
――アミカ、避けて。
声にはならなかった。
だって、わたしの顎に何かが触れたと思ったら、すぐにまっくろな世界に放りこまれてしまったのだから。
アミカはなんだってお見通しだ。
ひょっとしたら、わたしたちの身体が根本から違うことも、ずっと前から気づいていたのかもしれない。
アミカは欲張りだ。愉しんだうえに、ちゃっかり勝ちまで貰いにいくのだから。
そういえばベッドでも、わたしはまだ愉しみたいのに、いつも彼女が先に終わるのだった。
……選手控室の天井が見える。
「ずるい!」
わたしはそう叫んで跳ね起きた。
「お目覚めになったのね」
寝起き一発目に変態偽教誨師トリナ・ドクトリーナの顔。
なんだか妙に、昏い表情。
わたしは不意に胸が押しつぶされそうになって、しぼり出すようにして訊ねる。
「し、仕合は?」
「アミカさんの勝利です」
「わたし、アミカを斬ってないよね?」
「ええ、あなたの最後の一撃は不発に終わりました。アミカさんは斧を捨て、あなたの顎にこぶしをお見舞いしたのです」
なのに、トリナはまるで粘土で作られたような表情をしている。
わたしは恐る恐る訊ねる。
「トリナ、どうしてそんな顔してるの?」
「落ちついて聞いてくださいね。アミカさんは処分されました」
「しょ、処分って、どういう? なんで?」
世界が揺れる。足元が崩れ去る。
曖昧なことしか聞いていないのに、涙が溢れてくる。
トリナが先に泣き出した。どうして。なんで。
分かっているのに、頭の中を疑問で埋め尽くそうとしてしまう。
そうしてわたしは、やっとのことで訊ねる。
「アミカは死んだの?」
「はい」
トリナが顔を上げる。
「この眼で見ました。表彰式の終わったあと、掃除人たちに、槍で……」
「掃除人が? どうして?」
「それは……わたくしが思うに、あなたを欲したからですわ」
わたしのせい?
わたしのせいでアミカが死んだ?
……違う。
あいつのせいだ。
***