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竜告  作者: みやびつかさ
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01.不感

 あなたの目の前には巨大な竜がいます。

 家屋ほどの体躯を持ち、ごつごつとした泥色の皮に守られ、翼はなく、代わりにその巨体を容易く運ぶことのできるたくましい後脚がある竜です。

 竜はこちらを向いて牙を見せ、胸から立て続けに音を出しています。

 あなたを殺す気なのです。

 しかし、この竜はすでに尾を失っています。本来ならバランスをとる役目をもち、いちばんの武器でもあるはずなのに。

 なぜなら、ここは竜にとっては狭い会場だからです。

 しならせた尾が観客に直撃しては困りますからね。

 切った尾は街のレストランに卸されているころでしょう。

 ですので観客たちは今、自分たちが充分に安全だと理解しています。


 ほら、耳を澄ませなさい。聞こえるでしょう? 彼らが「殺せ」と叫ぶ声が。


 この「殺せ」は、あなたに向けられたものでしょうか?

 それとも、不利な立場に置かれた竜に向けられたものでしょうか?


 竜は諦めを知らない、誇り高い生き物です。

 すべての頂点に立つ生物で、瘴気に当てられた魔物などとひとくくりにするなんて無礼なことです。


 見なさい。竜はすでに、尾の欠けた身体の均衡を取り戻しました。

 上体を持ち上げ大きな牙の並んだ口を開き、あなたを噛み殺そうか、踏み殺そうかと思案しています。


 あなたもまた考えます。

 ですが、あなたの翡翠色の瞳の輝きは、すでに何かを諦めたかのように薄暗く弱々しいのです。


 竜が半歩、前に出ました。

 均された土の地面が沈み、会場全体がかすかに揺れます。


 竜を前に、あなたの脳はふたつの仕事を同時にします。

 思考による計算と、本能による闘争です。


 先ほど、ひとつ前の仕合では、下級闘士が泥仕合を披露しました。

 彼は仕合に勝つためにヒット・アンド・アウェイに専念したのです。

 あるいは、死ぬことが怖いのかもしれませんね。あなたと違って。

 相手が再生能力に長けた魔獣だったのも災いしたのでしょう。

 とにかく彼は、自由市民の立場でみずからこの白亜の闘技場にやってきて闘士になったくせに、観客を悦ばせる才能に欠けていました。


 闘士の使命は、観客を愉しませること。

 あなたもまた同じ使命を帯びています。


 この中立自由都市ドラクゥテロに出入りするニンゲンは、空気のようなものです。

 まるで都市が呼吸でもしているかのように、多くのニンゲンを吸いこみ、吐き出します。

 そしてそのニンゲンたちが落とすカネを、ドラクゥテロに暮らす者たちが血液にするのです。

 ゆえに、観客を満足させることは、あなたとあなたを取り巻く世界を存続させることに必要不可欠といえます。


 さあ、竜が駆け出しました。

 あなたはもうすでに、竜の顎の下を通過しています。

 黄金と白金の交った美しい髪をなびかせて、そのか細い腕には不釣り合いな、身の丈よりも長いやいばを持つつるぎを引きずって。


 竜の後ろ脚にたどり着きました。

 あなたは立ち止まり、両脚を地面に踏ん張り、両腕で柄をしっかりと握り、まっしろなやいばを振るいます。

 鎧にも用いられる竜の分厚い皮膚や、巨躯を操るしなやかな筋線維に、鋭いやいばが潜りこんでいきます。

 やいばは鋼よりも硬い骨に到達しますが、このやいばもまた竜骨製で、さらにニンゲンの技術の恩恵を受けています。


 それにしても不思議なことです。

 巨大な脚を切り飛ばしたというのに、あなたは特に手ごたえを感じません。


 脚部が転がり、観客席下の壁に衝突すると、悲鳴と歓声が世界を揺るがしました。

 あなたは竜が倒れる前に、と身体の下から飛び出しました。

 あとは首でも斬ればいいかな。そう考えたのでしょう。


 ですが、竜は誇り高き生き物です。

 尾っぽと後ろ脚の片方を欠いてなお、前脚を踏ん張って倒れることを拒み、首を振ってあなたに喰らいつかんとしてきました。


 あなたの肉体は、とても美しい。

 こんな血と泥にまみれた世界ではなく、脂ぎったカネ持ちのベッドの上や世界一の娼館にいるほうが自然なほどに。

 髪は黄金と白金、瞳は翡翠。肌は滑らかな絹のようで、抱き寄せやすいくびれと、子を宿すのに充分な腰と、子を育むのによさそうな胸をしている。

 それだのに、あなたは竜の骨を削って作った白い鎧を身にまとい、オスの獣人の身の丈よりも巨大で重たいつるぎを振るっているのです。


 あなたの昏い翡翠に映った竜が遠ざかります。

 眼下、跳躍したあなたを見上げる竜。

 竜は開口します。奈落のような穴があなたを待ち受けています。

 跳んでかわしたのは悪手だったでしょうか?


 いいえ、あなたは大剣を振り下ろしました。


 竜の鼻先から侵入したやいばが顎を左右に開き、眉間を砕き、ぶちゅりと脳を潰します。

 やいばはまだ止まりません。

 そのまま竜の首を頸椎ごと割りはじめ、頸椎の節目ごとにこりこりとした震動をあなたの腕に伝えます。


 あなたは、はっとしました。


「夕食は、鳥のなんこつを揚げたやつがいい」


 ……油分と旨味が口に広がり、それをエールで一気に流しこむ。

 炭酸の刺激がスパイスをまとって、喉から鼻や口へと突き抜ける。


 あなたの可愛い唇が、きゅっとゆがみます。


 そして竜の胸部で止まったつるぎを引き抜き、やいばについた血を振り払いました。


 会場は再び大歓声に包まれています。

 声に「竜の開きだ!」、なんてのが紛れているせいで、あなたは余計に空腹を覚えます。


 そう、感じるのは空腹と渇きばかりです。

 生還の悦びも、つるぎの重みも、竜を斬った手応えも、ふりしきる血の雨の熱さも、あなたは感じないのです。


 あなたの名前はラプエラ。「白亜の処刑人」の異名を持つ乙女、ラプエラ。

 この中立自由都市ドラクゥテロ、白亜の闘技場一番人気の女闘士。


 その細腕で獣を、魔物を、竜を、そして無数のニンゲンを斬り捨ててきました。



 たくさんの、たくさんのいのちをころしてきたのです。



 ですが、あなたは感じません。

 最初に殺したときは、あんなにもたくさんの涙を流していたというのに。

 あなたがここにたどり着くまでには、きっとたくさんの屈辱と憎しみがあったはずでしょうに。

 ああ、ラプエラ。いったい何があなたをこんなふうにしてしまったのでしょうか。


 ……まあ、いいでしょう。


 あなたはこれから、闘いでついた返り血と汗を流し、酒場に繰り出して一杯やるのです。

 そこにはきっと、「あの人」も来ているかもしれません。


 あなたには、それだけで充分ですものね。


***

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