歌姫のはじめての冒険 3
森の中には道が通っている。町と町をつなぐ街道ではないけれど、森の恵みを得るため、あるいは狩りをするために住人が立ち入ることはままあり、それなりに手入れがされているのだという。
ギルドでもらってきた地図によれば、わずかに開けた場所より北の方角から、魔物が出てくるのが目撃されている。おそらくそのあたりが瘴気の中心なのではないかという予想だ。
「この先だよ。獣道ぐらいしかないけど、シリルは平気?」
「大丈夫。修行していた北の教会は結構田舎だったから、ぼくだって森に入って食べ物を取ってたんだから」
「そっか。なあ、そっちは平気ー?」
アニタは後方にいるヘイダルに声をかける。すると憮然とした声が返ってきた。
「俺は冒険者だぞ。この程度の森ぐらい屁でもねえや」
大股で歩き、距離を詰める。シリウスのすぐうしろに立つと、「とっとと進めや」と促してきた。
すこしは認めてくれたってことなのかな。
少なくとも『監視』はやめたとみていいだろう。
ガラは悪いけれど、まっすぐ。彼には彼なりの冒険者像があり、名ばかりのなんちゃって冒険者が増えてきた昨今、シリウスもそういった輩だと思われていたのかもしれない。
しばらく進んだところ、おとなが五人ぐらい手を繋いでやっと届きそうな、幹の太い老木があった。地面から近い位置が朽ちて穴を開けており、そこから靄のようなものが発生している。あれが瘴気だろうか。
確認のため近づこうとしたとき、先の見えない洞から黒く俊敏なものが飛び出してきた。
「障壁展開!」
シリウスが叫ぶ。向かってきたなにかはドーム状に展開された壁にぶつかり、痛みを感じるのか呻き声をあげる。
「時間稼ぎをお願いします」
「わかった」
「おう」
シリウスを挟み、アニタとヘイダルが構える。アニタは道中で拾った太い木の枝に硬化魔法をかけたもの。ヘイダルは自前の剣をそれぞれ手にし、障壁の外で魔物を迎え撃つ。魔物の数は増えていた。
その間、シリウスは頭のなかで魔力を練る。行使すべき呪を模索する。
ヘイダルが薙ぎ払った剣に貫かれ、一体の魔物がふたたび呻き声をあげたとき、シリウスは決めた。
中低音からはじまる旋律。
半音ずつ高低を繰り返しながら紡がれるそれは、なんの変哲もない、赤子に向けた子守歌だ。
ヘイダルの舌打ちと悪態が聞こえたが、シリウスは耳をかさず歌い続ける。瘴気に覆われて、どこに目があるのかもわからない魔物を見つめながら、一心に歌い続けた。
いい子 いい子 ねんねこや
きょうはおしまい おかたづけ
いい子 いい子 ねんねこや
あしたもきっと いいてんき
短いフレーズを何度も何度も繰り返し、風に乗せて広げていく。
それに伴い、魔物はすこしずつ沈静化していき、表面を黒く覆った靄が薄くなる。その下から現れたのは、野生の動物たちだ。体毛についた汚れを払うように躰を震わせると、身を翻して木立のなかへ去っていった。
シリウスの声はなおも続く。
子守歌からつながるように歌いあげるのは聖歌だ。
たったひとりで歌っているとは思えない圧を持った声が、一帯を支配した。
目には見えないはずの声は光の粒子となって渦を巻き、きらめきながら老木に絡みつく。燐光のようなそれは朽ちた表皮を癒し、黒ずんでいた幹は元の色を取り戻していった。
シリウスの視界の端で、アニタが動いている姿が見えた。彼女は周囲を見渡したあと、その場を離れ、なにかを抱えて戻ってくる。
それは大きな岩だった。道具を使わないと持ち上げることすらできそうにないそれを、まるで小石のように抱えたアニタは、大きく空いた洞の前に岩を置き、ぐっと押しこんで穴を塞いだ。
シリウスが近づくと、アニタは承知していたように脇に避ける。
大岩に手のひらを触れさせ、シリウスは魔力を乗せて囁いた。
「封印」
ざっと強い風が、下から吹き上げた。
淀んだ気を一掃する勢いで上昇し、生い茂っていた木の葉を巻き込んで空高くに突きあがる。
あとはもう、のどかな木漏れ日が降ってくる穏やかな森があるだけで、はてさっきまでのあれは幻だったのだろうかとシリウスが首を傾げたとき、横からアニタが抱きついてきた。
「すっごい、シリル、かっこよかったよ」
「ほんと?」
「うそ言うわけないじゃん。な、あんたもこれでわかったろ、シリルがすごいってことはさ」
得意げなアニタの弁に、ヘイダルは鼻を鳴らして言う。
「あの『壊し屋』の相棒が、うさんくさい『呪術師もどき』とは、冒険者の敷居も低くなったもんだよなあ」
「なんだとー!」
「本当のことだろ、いちいち騒ぐなよガキ」
シリウスはちいさく笑う。アニタは気づいていないようだが、ヘイダルはきちんと認めたのだ。自分とアニタは『冒険者』だと。しかも相棒だと言ってくれた。そのことが、とても嬉しい。
「うっせー、おっさん」
「誰がおっさんだ。俺はまだ二十二だぞ」
「うそでしょ、あたしと五つしか違わないの!?」
「それこそ嘘だろ、十二、三のガキじゃなかったのかよ」
「失礼だな。あたしはもう十七だぞ」
精神年齢は似たようなものじゃないだろうか。
ヘイダルに詰め寄るアニタを見て、さすがに止めようとしたとき、アニタが足元の石につまづいて転ぶ。進行方向にいたヘイダルがアニタを受け止めるが、バランスを崩してふたりして転倒。
ちょうど積み重なる形で倒れこんだため、シリウスはあわてて駆け寄った。
「アニー、大丈夫?」
「うん、平気だよ。あんたもごめんな、助けてくれてありがと」
シリウスはアニタに手を差し伸べて起こすが、ヘイダルは地面に尻をついたまま。自身の胸元を呆然と見つめ、なにかを確かめるように撫でている。
「ごめん、思いっきりぶつかったよな。簡単な治癒術ならあたし使えるよ、治そうか?」
「や! いい、このままでいい、全然いい! 痛いわけじゃなくてむしろ柔らかくて気持ちよかっ――」
赤い顔をしてまくしたて、そこで言葉を止めた。
気持ちよかった?
「あんた、痛いのが好きな変態だったのか」
「誰が変態だ、俺はまっとうな男だ。将来性もある冒険者だぞ」
「うん、たしかにあんた強かったな、すごい」
「あんたじゃなくて、ヘイダルだ。名前で呼べよ、……俺も、そうするから」
「いいけど。あんだけ敵対視してたくせに、距離を縮めるの早くない?」
「べ、べつにいいだろ、嫌なのか」
「ううん、仲間が増えるのはいいことだよ」
アニタが笑うと、ヘイダルは頬を染めて嬉しそうに笑ったので、シリウスはとてつもなく嫌な予感がした。
もしかして、もしかするのだろうか。
ヘイダルの視線がアニタの胸に集中しているのは気のせいか。
ゆったりとした服を着ているせいで体形がわかりにくいけれど、アニタのそれが年齢のわりに大きく豊かであることを知っているシリウスは歯噛みする。
あの男、事故とはいえアニーの胸の感触をたしかめたのか。ぼくだって触れたことないのに――
「シリル、帰ろうよ。ファリドおじさんに報告しよう」
「さっきの風がのろしになって、なにかあったことは把握してそうだけどな」
「だとしたら、さっさと報告しないと。今日は成功をお祝いしようね。父さんに美味しい料理つくってもらおうよ」
「……うん、そうだね」
もやもやを抱えたシリウスをよそに、ヘイダルはアニタに問う。
「アニタの親ってよ、元高位冒険者のドゥラン剣士って本当か?」
「父さんのこと知ってるの?」
「あったりめーだろ、俺の憧れの冒険者だぜ!」
「へえ、紹介しようか?」
「お、お、おやにしょうかいとか、まだはやくね!?」
ヘイダルが素っ頓狂な声をあげるので、アニタは首をひねった。
「? 憧れの存在すぎて会いたくないってんなら、無理にとはいわないけど」
「そうだよアニー。無理に紹介とかすることないって。ヘイダルさんは、森の問題が解決したんだから、元の町に帰るんですよね?」
シリウスはアニタとヘイダルのあいだに割り込み、そう言ってみると、ヘイダルは首を振った。
「いや、もともとギルドを移動しようかなって思ってたんだ。移住するのもいいかな、……アニタもいるし」
「へえええ、そうなんですかあ」
シリウスの睨む目に気づいたか、ヘイダルは虚を突かれた顔をしたあと、にやりと笑う。
「まあ、これからもよろしくなシリウス」
「負けませんから」
なにをと言わずに答えると、ヘイダルも頷く。
不思議そうなアニタを前に、男ふたりは不敵に笑いつづけるのであった。
エブリスタの妄想コンテスト「歌う」に合わせて、新規エピソードを書いてみました。
おかげで予想外にライバルが登場してしまい。
ごめん、シリル。
今回の投稿で新たに出会ってくださった方がいらっしゃいましたら、
ここまでお付き合い、どうもありがとうございました。
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