歌姫のはじめての冒険 1
シリルは声がきれーだし、おうたがじょうずね
キッカケは些細な一言。
それでも大好きな女の子が褒めてくれたから、シリウスは歌い手になった。
◇
最後の音が伸びやかに響く。
楽器を思わせるその声が静まったころ、あれほど騒がしかった魔の気配は消え去っていた。
耳に届くのは木々を渡る風のざわめき。
魔物の脅威が去ったことで、隠れていた鳥や獣も戻ってくることだろう。
息を整えていると、ほぅと感嘆の吐息を漏らした幼なじみの声が耳に届いた。
「すごいねシリルの歌。姿勢もピーンと張ってて綺麗だし、月の女神ってかんじ」
「女神……。やっぱり切ったほうがいいんじゃないかな、この髪」
「なに言ってんのさ。すっごく綺麗な銀髪なんだから勿体ないこと言わない。あたしなんて、こーんなだよ?」
頬を膨らませ、自身の短い髪を引っ張っているアニタ。
彼女は自身の髪を赤煉瓦色と称するが、昼間の陽光を浴びると黄金色になるし、夕暮れ時にはあかがね色に輝くところが魅力的だとシリウスは思う。柔らかな髪質で、触るとふわふわしているところもすごく好きだ。
「アニーは髪を伸ばしたりはしないの?」
「あたしはいいや。邪魔だし」
そう言ってカラリと笑う。
アニタは重力操作の魔力を持った冒険者であるため、体を動かすことが資本となる。たしかに長い髪は邪魔になるかもしれないが、シリウスだって冒険者の端くれだ。初級の資格を得てようやく一歩を踏み出したばかりとはいえ、ギルドに名を置く冒険者には違いない。
いま、こうして魔の森に来ているのだって、己の女じみた姿が発端になっていることを思えば、いっそ切ってしまったほうがすっきりすると思うのだが、アニタはよしとしない。
「あんなやつの言うこと、シリルは気にしなくていいんだ」
「でも、そのせいでこんな任務を割り振られちゃってさ。アニーが普段請け負っている仕事とは種類が違うし、いまからでも遅くないから引き揚げて――」
「これはあたしにも責任があるの。あいつを煽って必要以上に怒らせたんだから、あたしも一緒に仕事をする。シリルはまだ駆け出し冒険者なんだし、先輩のあたしが一緒に行くのは当然でしょ」
◇
かつて、歌い手として興行に出ていたころは、性別を曖昧にする意味でもシリウスの長い髪は推奨されていた。
男にしては高めの柔らかな声質、小柄で細身の体。すべてがよい方向に働き、年端もいかない少女や後ろ盾のない若い娘たちを、下卑た視線を向ける男たちから守ることができていた。
腕力に欠けるシリウスにとって、それは己が男であることを誇れる機会であったのだ。
ところがいざ歌い手を引退し、歌声に魔力を乗せて魔に対抗する冒険者として身を立てようとしたとき、それらはいかにちっぽけな矜持であったのかと思い知らされた。
ギルドに来る冒険者は皆そろって体格がよく、腕も太ければ首も太い。筋肉質で固く、ちょっとやそっとのことではびくともしない。シリウスなど、彼らがすこし腕を払うだけで床に転がってしまうだろう。実際、からかいを兼ねていたであろう冒険者のひとりに胸を押され、尻もちをついてしまった。
情けなさに顔が赤くなったとき、シリウスの体を押した男の太い腕を掴んで捻りあげたのは、幼なじみのアニタ。
「乱暴なことしてくれるじゃん。ギルド建屋内での揉め事はご法度だよ」
「ってーな、なんだてめー」
「あたしを知らないってことは、他所から来たひと? だからここの流儀を把握してないんだねえ」
やれやれと首を振るさまは、相手を存分に煽っているように思う。言われた男は顔を赤くしアニタの手を振り払おうとしたが、それを見越した少女はさらにちからを込めたらしい。微動だにしない己の腕に驚愕の眼差しを向けたのち、信じられないといった顔でアニタを見ている。
「なにしやがった。一定部位における拘束・硬直魔法か? 建屋の中での攻撃魔法使用こそ、ギルド禁止事項だろうが」
「これはただ掴んでるだけ。あたしの能力は重力操作なんだ」
「じゃあ、てめーが噂の『壊し屋』か。あちこちぶっ壊してる暴れん坊が、こんなガキだとはなあ」
「そのガキんちょに掴まれて動けない冒険者ってもの、たかが知れてるんじゃないの?」
「生意気なくち聞きやがってっ」
腕は動かせないと悟ったか、男はもう片方の腕を振り上げる。上段から拳を叩きつけようとしたとき、シリウスは声に魔力を乗せて叫んだ。
「動くな!」
ギルドにいた全員がその場に硬直した。
傍観していた者、仲裁に入ろうとした者、すべての人間が固まって動けなくなる。
アニタの頭上、拳ふたつ分ほどの位置で男の手は止まり、シリウスは安堵の息を吐く。なんとか立ち上がるとアニタの手を引いて己の横へ移動させ、目を見開いて驚いている男の前に立つ。
「魔法を使いました。すみません。ですが女性に暴力を振るうのは見過ごせません。お咎めは受けますので、一旦収めていただけませんか」
「そこの短髪が女性ってガラかよ。おまえのほうがよっぽどいい女だ。このまえ酒場で歌ってただろ、連れ込み宿ならとっくにしけこんでるところだぜ」
「ぼくは男です」
「シリルをエロい目で見んな! はっ倒すぞ」
フロアにいる皆が動けない中、騒ぎを聞きつけて二階から降りてきたギルド長のファリドが仲裁の声をあげる。
「なんの騒ぎだ。シリル、拘束を解け」
「はい」
シリウスが魔法を解くと、全員がなんとなく大きく息を吐いた。ファリドの声を契機に、集まっていたひとは散り、渦中にいた三人が奥に呼ばれる。受付カウンターの内側にある応接スペースに腰を下ろし、「で、なにがどうしてああなった」と促されて、それぞれが言い分を述べた。
「よし、わかった。まずヘイダル。うちのギルドは見てのとおり小規模で顔なじみが多い。おまえさんのように他所から来た冒険者は奇異な目で見られがちだが、悪意があるわけじゃない。そこは理解してくれ」
「喧嘩を売られたけどな」
「そこは悪かったよ。アニー、反省しろ」
「でもおじさん、こいつが最初にシリルを突き飛ばしたんだ」
「だからって喧嘩をふっかけるのはなしだ。謝罪を要求するなら、やり方があるだろう。おまえ、客の態度が悪いからっていきなり殴りつけるか? ドゥランやトーニャはそういうときどうしてる」
呆れたように言われ、アニタはぐっと黙る。理不尽な客を相手にしても、たしかに養父母は口喧嘩で対抗したりはしない。
「次にシリル。不用意に音声魔力を使うな、と言いたいところだが、状況が状況だから大目にはみよう。だがおまえの魔力は声の届く範囲すべてに及ぶことを忘れるな。対象を絞らなければ、相手の動きを止めたところで意味がない。おまえ単独でどうにかできるわけじゃないんだ。味方も拘束しちまったら、誰が敵を攻撃するんだ」
今度はシリウスが黙る。ファリドの言うことはもっともだった。
けれど、誰かが危険にさらされているのを見たとき、おそらく自分は同じことをしてしまう気がする。
「危ないとわかっていても、人間ってのは反射的に手を出しちまうもんだからな。シリルが咄嗟に叫んじまっても仕方がねえところもある。ならばこそ、そのあとでもうひとつ別の魔法を使って味方を補助すればいい。組み立てを考えろ」
「がんばります」
そうやって場の空気がすこしゆるんだとき、ヘイダルがくちを挟んだ。
「身贔屓するのは結構だがよ、俺としては納得してねえんだわ。噂の壊し屋は思った以上にガキだし、弱っちい女みてーな奴を連れてるしよ。ここの冒険者ギルドはそんなに人手不足なのかよ」
「ぼくはたしかに冒険者としては素人です。ですが、他の方を貶めるのはやめてください」
「事実だろ。ギャーギャーわめいて壊すだけの男女と、酒場でヘラヘラ歌いながら媚び売ってる女男。冒険者を自称するなら、クエスト攻略でもしてみやがれってんだ」
反論しかけたアニタを制してシリウスは考える。
冒険者の定義は広い。魔王と呼ばれる存在はすでに御伽噺と化しており、その残党とされる魔物が生息しているだけだ。
地底から漏れる瘴気によって魔物は発生するとされるが定かではない。自然発生するのか、生殖行為によって増えるのか。捕獲して飼育できれば謎の解明も進むのだろうが、現状それは難しかった。
今現在、冒険者が生業としているのは魔物の討伐、ダンジョン探索、危険個所でのレア素材の採取などに加えて、護衛任務、野党討伐といった治安行動。アニタのように、生まれ持った魔力を駆使して雑用を請け負う仕事も冒険者の管轄だ。
国が定めて冒険者ギルドの定義に刻まれており、文句を言うのは筋違いなのだが、この男のように「魔を滅してこそ冒険者」を謳う者は少なくない。勇者と魔王の物語は、小さな子どもが最初に触れる物語で、そこに憧れて冒険者を志す者は多いのである。