壊し屋のお仕事 3
シリウスが町を見てまわるというので、アニタはそれに付き添って案内をする。ゆっくりと発展していった町並みは、シリウスが住んでいたころとは随分と様子が変わっているはずだ。
懐かしさと新鮮さに驚いた表情を浮かべるシリウスを横目に、アニタの心は浮き立っている。
「ごめんね、アニーは他にも仕事があるんじゃないの?」
「これも仕事だって。それにね、今の時期は重力操作の能力が弱まるから、あんまり力仕事はできないんだ」
「そういえば、重力系の魔力は月の満ち欠けに強く影響するんだよね」
「そーゆーこと」
月が欠けていくに従い、出力が弱まるのがアニタの魔力だ。新月になると完全に枯渇してしまう。そのため、冒険者ギルドでも配慮してもらい、仕事をセーブしてくれている。
月の影響を受ける能力は他にも存在するが、アニタとは逆に新月が最高潮となる者もいるようで、ギルドとしては損失にはなっていないのが幸いだ。
祭りに向けて屋台の数が増えてきた通りを歩いていたとき、どこからか怒声と、なにかが壊れる音が聞こえてきた。何事かと立ち止まるひとびとを押しのけて、簡易鎧をつけた騎士が声の方へ走っていく。
「なにかあったのかな」
「お店にきたおっちゃんたちが言ってたけど、なんか素行の悪い自称冒険者が町に入ってきたんだって。ちょいちょい問題起こしてるらしいよ」
「それって捕縛対象じゃないの?」
「それがさあ」
シリウスの疑問に、アニタは声をひそめて告げる。
「リーダーの男がどっかのお偉いさんの息子らしくって、威張りまくって揉み消してるらしいんだ」
新しいダンジョンによって注目を浴びたとはいえ、地方の小さな町である。権力とは縁がなく、物見遊山でやってきた自称冒険者のボンボン相手に大きく出られないのだとか。
真新しい装備に、抜いたことがあるのかどうかもわからない綺麗な装飾の剣。
そんな格下の相手に腕力で負けるような男はこの町には居ないけれど、権力では敵わない。哀しい現実である。
「騎士団はいちおう国から派遣されてるし、民間である冒険者ギルドのひとが歯向かうよりはマシみたい」
それでも注意するのがせいいっぱいで、拘束はできないというのだから、いったいその男たちはどんな人物なのだろう。できれば近づきたくないし、シリウスが巻き込まれるようなことになってはまずいので、アニタは来た道を引き返すことにして、別の場所へ向かった。
◇
悪い予感や嫌なことは、どうしてかうまい具合にこちらへやってくることがあり、アニタは自分の運の悪さを嘆いて天を仰ぐ。
いつのまにか日も暮れて、視線の先では星が瞬いている。
なお、今宵、月は見えない。
しくったなあ……。
そんなぼやきを胸のうちに木霊させても現状は変わらない。
アニタの目の前には数人の男たち。まるで使い込まれていない輝きに満ちた剣を腰に佩いた男を筆頭に、似たような装備品の、なんちゃって冒険者風の男たちが、大通りへ続く路地への入口を塞ぐように並んでいる。
「なにも取って食おうってんじゃないんだ。ちょっと一緒に美味しい酒でも飲もうかなって、それだけなんだよ。美しいお嬢さん」
中心に立つ、リーダー格らしい男がそう言うと、背後に控える仲間が笑う。
それは嫌なかんじの笑い方。ひとをバカにするかんじの笑い方で、アニタの癪にさわった。
「へえ、そのお酒にはいったいどんな薬が盛られているんだか、わかったもんじゃないね」
わざと煽るように言ってやると、男たちの笑い声が止んだ。簡単に挑発に乗った男に対して呆れつつ、アニタは深くかぶっていたフード付きマントを脱ぎ捨てた。
あらわになった短い赤髪に、男たちは驚きの声をあげる。
「誰だ、てめー。おいガキ、あの女をどこへやった」
「さてね。女ってんなら、ここにいるじゃないか、最初っからさ」
彼らの狙いがシリウスであることには気づいていた。だから今日は外へ出ることをやめて、シリウスは厨房の奥でドゥランの手伝いをしているはずだ。巡業中は自分たちで食事を作ることも多かったらしく、彼は意外と器用に仕事をこなし、養父を喜ばせた。
問題を起こしがちな連中がシリウスに目をつけたかもしれない。
そのことをギルド長に報告しておこうと思ってアニタはひとりでギルドへ向かい、帰り際に商店街で明日以降の食材配達について相談。うっかり遅くなってしまったところ、誰かに付けられていることがわかったので、相手を巻こうとあちこち歩いてまわった。
誤算だったのは、奴らが意外と付いてきたことだろう。悪い方面での能力には長けているらしい。
アニタは不敵な笑顔を浮かべながら、そっと袖の下にある腕輪をさぐる。
今夜はよりにもよって新月。アニタの重力操作は役に立たず、養母仕込みのちょっとした魔法が使える程度だ。
ないよりはマシだと思いながら拳を握っていると、男たちがまた笑った。
「なんだ。男のガキかと思ってたら、女かよ」
「あの美人じゃないのはもったいないけど、今夜はこれでもいんじゃね?」
「顔はともかく、あの胸は悪くないよな」
相手の視線がそこに向いたことに気づいて、アニタは片手で胸元を覆う。顔と口調は少年のようだと言われながらも性別を間違われることがない理由は、背丈に見合わない大きさで張り出したそれにある。
こちらの手の動きを視線で追った男たちに向けて、アニタはもう片方の手を使い風の魔法を打った。鋭い突風は彼らのあいだをすり抜けて、路地の向こうへ消える。
「ざんねーん、はっずれー」
足もとの砂を踏む靴音を大きく響かせて、男たちは一歩ずつアニタのほうへ近づいてくる。距離を保つようにアニタは後ずさりをし、彼らはそれに併せてまたもゆっくりと歩を進めた。
わざとらしく、相手を追いつめるような行動は手慣れた雰囲気が漂っていて、彼らがこれまでにも同じことを繰り返していたのだろうことが伝わってきた。
いつもなら拳ひとつで片がつく。
アニタの小さな手で相手の体に触れたら、それだけで吹き飛ばすことができる。対象になるのが悪人であれば、怪我を負わせても多少は目をつぶってくれることになっていた。
けれど今夜ばかりはそうはいかない。この拳をちからいっぱい叩きつけたところで、たいした威力にはならないだろう。悔しいけれど、重力操作ができない自分はちっとも役に立たないのだ。
それでも逃げるわけにはいかない。
アニタがいつまでも帰ってこなければ、養父母が気づく。腕輪に触れたことで、仕込んである緊急救護要請がたぶん届いているはずだった。
ギルドへ行くことは伝えてあるので、連絡を取ってくれるだろう。
路地の向こうへ送った風魔法は、建物の外壁に設置している救助要請の旗に当たっていると思う。
やるべき手はすべて打った。
今、アニタに残されているのは、ギルドから誰かが来るまでの時間稼ぎ。
牽制するように、もういちど風の魔法を打った。
しかし笑いながらかわされる。
わかっている。避けられるのは想定内だ。
逃げながら、今度は光源魔法を出力を上げて放った。
これは危険を示す信号弾を兼ねている。間近で見た光にさすがに目が眩んだのか、男はよろめいた。
アニタがその脇を通り抜けて路地へ向かおうとしたところ、すれ違いざまに腕を掴まれ、たたらを踏んだ。腕をねじりあげられ、身をよじったところで手首のほうを掴まれる。
「てめー。こっちが優しくしてやったら図に乗りやがって」
「優しくなんてされたおぼえ、ないんだけど」
「気が変わった。乱暴なほうが好きなら、そういうふうにしてやんよ」
声に怒気がこもり、掴まれた手首に痛みが走る。目の端に捉えた己の手首は赤黒く変色し、長時間は持ち堪えられそうにないことが知れた。
「その手を放せ」
緊迫感に満ちた空間に声が響いた。