壊し屋のお仕事 2
シリウスを連れて家に戻ると、店はちょうど夜に向けて仕込み作業中。裏口から店内に入ると、養母のトーニャが風魔法で店内の床を掃除している最中だった。
「おかえりアニー。ファリドからの依頼はどうだった?」
「うん。連れて帰ってきた」
そこでアニタは、自分のうしろをこっそり付いて歩いてきたシリウスを前へ押し出す。美貌を隠すためずっとフードを被ってここまで移動してきたが、もう大丈夫だろうと、それを無理やり剥ぎ取る。
「ちょ、やめてよアニー。まだ心の準備が」
「なに言ってんのさ。普段はたくさんのひとの前で歌ってるんだろ」
「お客さんはみんな知らないひとだもの。それに顔とかあんまり見てないし」
「それ普通に失礼だろ」
お客さんの顔を見ないなんて、失礼極まりない。物心ついたときから客商売に身を置いてきたアニタは、シリウスに苦言を呈する。
いつだってアニタの背に隠れていた気弱な少年。その性格は未だ健在らしい。
「まったくあんたたちは、男と女が逆転しているみたいな性格だよね」
「店で暴れる酔っぱらいを言い負かして泣かせてる母さんには言われたくないな。あたしが男っぽいって言われるなら、母さんだって男っぽいはず」
烈風の魔女とまで言わしめた元魔法使いの養母は、娘の頭を遠慮なく叩く。そしてシリウスに目をやって笑顔で声をかけた。
「えらく美人になったもんだねシリル。元気そうでなによりだ。ゆっくりしていきな」
「……ごめんなさい、よくしてもらったのにずっと連絡もせず、不義理なことを」
「いい、いい。まったくあんたはちっさいころから遠慮ばっかり。変わらないねえ」
「そのとおりだ、シー坊。元気でやってるなら、それでいいんだ」
厨房のほうから顔を覗かせたのが、アニタの養父・ドゥラン。魔獣の毒を浴び、片目を失ったことで冒険者業を引退した男だ。
隻眼の冒険者は少なくはないが、ドゥランが受けた被害はそれだけではなく、片足に麻痺を残したことで引退を余儀なくされた。生活に支障はないが、わずかな隙が命取りとなる冒険者稼業を続けるのはむずかしい。
趣味の料理を生かした酒場を始め、魔獣の肉を食用に転化し、町の産業に寄与。今では、冒険者ギルドと商業ギルドの顔つなぎ役として、信が篤い。
夕食を兼ねた賄い料理を四人で食べる。会話は自然と幼いころの話題になり、そこからは離れていたあいだ、互いにどんなふうに過ごしていたのか広がっていく。
語りは尽きず、空白の期間があったことも忘れてしまうほどだ。心が弾んで、嬉しさと楽しさが胸の奥からこんこんと湧き出してくる。
だからアニタは言った。
「ねえシリル。今日は昔みたいに一緒のベッドで寝ようよ」
「な、にを言ってる、のアニー。ぼ、ぼぼ、ぼくは男なんだけど」
「知ってるよそんなの。昔は一緒に水浴びだってしたじゃない」
ゲホゲホとなにかを喉に詰まらせたらしいシリウスに水を渡してやりながら、「落ち着いて食べなよ、取らないから」と笑うアニタに、大人ふたりはなんとも言えない顔つきだ。
顔を赤くしたり、泣きそうになったり。
ぐるぐる表情を変えるシリウスに、同じ男としてドゥランは助け船を出してやる。
「アニー。あまり喉を疲れさせるような真似はしてやるな。こいつの声は商売道具だぞ」
「そっか、そうだよね。ごめんねシリル、あたし嬉しくってさ」
「そんなことないよ。ぼくだってアニーといっぱい話せて嬉しいんだ」
ただちょっと、同じ敷布にくるまって、横になって夜通し一緒にいるのは支障があるだけなのだ。主にシリウスの精神面で。いや肉体的にも障りがあるかもしれないが。
すっかり話題を変え、シリウスの公演を楽しみにしていると語るアニタの笑顔を見て、シリウスは肩を落とす。そんな美少年を元気づけるように、ドゥランは背中を優しく叩いてやった。
◇
アニタが得意とする重力魔法について、シリウスは店内でそれを目の当たりにすることになった。
テーブルのあいだを渡り歩き、注文を届けていく。
エールがたっぷり注がれた大ジョッキを小さな手に数個持って運ぶと、去り際にはテーブルに積まれていた空ジョッキといくつも重なった大皿を回収する。通りすがりに渡された皿も上乗せし、まるで曲芸師のようなバランスで厨房奥へ消えていくのだ。
カウンターの隅に座って店内を眺めていたシリウスは、思わず自分の前にあるジョッキを持ち上げる。
特別重くはないが、かといって軽いわけでもない。中身がたっぷりあると、もっと重量が増すだろう。アニタはそれらを反転させて重さを相殺し、軽々と運んでいるのだと推測する。
日も暮れて賑やかになった酒場には、大柄な男たちが大半を占めていた。常連らしい客がアニタに気安く声をかけ、それに対して笑顔を見せる姿に胸がモヤモヤする。
もちろん彼らの視線に、色を帯びたものはない。不埒なことを考えそうな客はいないし、もしもそうなったとしても厨房からドゥランが出てくれば一瞬で片がつくに違いない。
歌い手として活動してきたシリウスにとって、こういった場所は慣れたもの。誤解されることも多いが、美しく整えられた建物で歌うだけが仕事ではないのだ。
冒険者を讃えたり、慰安のために派遣される仕事も請け負ってきた。無邪気に歌っていた小さな子ども時代ならともかくとして、体の成長とともに違った視線を投げかけられる仲間たちをたくさん見てきてもいる。
細身で小柄なため声変わりも遅く、十八歳になった今でも、優しい声色は時として女性じみており、ずっと性別を曖昧にした状態でやってきた。
しかしそろそろ潮時だろう。上からも、身の振り方を考えるよう言われている。
シリルは声がきれーだし、おうたがじょうずね。
幼いころにアニタが発した言葉が、シリウスの支えになっていた。
この声を失ってしまえば、再会したときに気づいてもらえないのではないかと危惧していたことが、己の成長を止めていたような気すらしている。声の魔力とは、呪いにもなるのだと、シリウスを指導してくれた師匠も言っていた。
今回の公演は、シリルという名の歌い手としては、最後の仕事になるかもしれない。だからこそ、大切な思い出の場所での舞台に志願した。
だというのに、こうしてアニタが立派に働いている姿が眩しくて、たまらない気持ちになる。
昔からずっとアニタは己の先を進んでいて、追いつきたくても追いつけない。くだらない嫉妬ばかりに身を焦がして、情けない気持ちでいっぱいだ。
「シリル、起きてて平気? べつに待ってなくても大丈夫だよ」
「いいんだ。アニーがどんなふうに仕事しているのか、見てみたいから」
「ならいいけどさ。あー、ちょっと、このひとはうちの大事なお客さんなんだから、おっちゃんたちの太い腕で触らないで。壊れちゃうでしょ」
アニタの軽口に笑いが起こる。
周囲にあわせて笑いながら、シリウスは心の内で涙をこらえた。