7.父の手がかり
美晴は、便箋をめくろうとするが、指先は震えて何度も紙の上をすべる。冴子と由香里は手を出すことはせず、美晴の手もとを見つめている。
美晴はなんとか紙をつかまえ、指を震わせたままめくった。
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王家の精霊石を身につけ、精霊石をすべて掌にのせて、精霊への誓いを述べる。
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その後に書かれている文字を美晴は知らない。見たこともない、どこの国の言葉かもわからないはずの文字。それなのに、なにが書かれているかわかった。
「美晴ちゃん、そこになにが書いてあるか、わかるのね?」
美晴は大きく息を吸い込んで吐き出してから、口を開く。
「……文字は読めないけど、書いてあることはわかる。お父さんの名前と、たぶんお父さんの国の名前。そこへ行くと宣誓する、ようなことが書いてある」
美晴は慎重に言葉を選んだ。一枚目に父の名前が書かれていなかったのは、それを口にするだけで力が働く可能性があるということだろう。
「国の名前は聞いたことがない。お父さんの名前はヨーロッパあたりでありそうな感じだけど、文字とは結びつかない」
「『現実をフィクションにすることはできないから』ってこのことだったのね。文乃先生が小説家になっていたら、これは最後のプロットね、で無理矢理納得したふりができたかもしれない。そうさせたくなかったのね」
冴子の言葉に美晴はうなずいたが、確認せずにはいられない。
「冴子さんはこれを信じられるの?」
「文乃先生は、こんなに手の込んだ悪戯をする人ではなかったでしょう?美晴ちゃんがこれをみつけるかどうか、開けるかどうか、賭けたんじゃないかな。『日本で育った美晴を連れて行くことが、美晴にとって幸せなのかは、私が決められることではありません』って、本心だと思うわ。美晴ちゃんとお父様のこと、本当に愛していたからでしょう」
美晴がテーブルに置いた一枚目の便箋を見ていた由香里が、口を開いた。
「『お父様』って、文乃先生がお嬢様だったからかと思ったけど、違うんだね。文乃先生のことはお母さんって呼ばせてたわけだし。これが本当なら美晴のお父さんは王子様で、それなら当然お父様で、美晴はそのお姫様ってことだよね?」
「由香里もこれ、信じられるの?」
「少なくとも、その意味不明な文字を読まないで、と言うくらいには信じるわ。美晴がいなくなるなるなんて嫌だから……」
由香里の目にも涙があふれる。美晴の涙もまだ止まらない。冴子はふたりの娘を落ち着かせるために、努めて穏やかに言った。
「私はこの手紙を信じるわ。でも、これからどうするかは美晴ちゃんの自由だし、文乃先生も美晴ちゃんが決めることだと思ってたはずよ。それに、今すぐに決めないといけないことでもないでしょう。三年も気づかなかったのよ? これから三年かけて決めたっていいじゃない」
冴子が柔らかい笑みを作って、ね? と美晴の目を見つめる。
「とりあえず、今日のところはこれはしまって。しばらくはうちに来なさいな。気持ちが落ち着かないのに、ひとりでいるのはよくないわ。人と話して頭が整理されることもあるし、この話ができるのは私と由香里だけなんだから」
「いいの?」
「もちろんよ。今さらうちに来るのに遠慮はないでしょ。ちょっと長めにお泊まり会をするだけよ」
美晴は涙をぬぐうと「わかった」と言って、リビングを出ていった。冴子は手紙を封筒に入れて日記帳に戻し、テーブルに広がった光る石を全て瓶に戻して蓋をした。
虹色の光は幻のように消え、部屋はカーテンの隙間から届く頼りない日の光だけになる。瓶は元通りに、ベロアのケースの隣に置いた。
「ママ、美晴はいなくならないよね?」
冴子は日記帳に見えた箱を閉じて、鍵をかけようとしたが、鍵はくるくると空回りしてかからなかった。
「それを私たちが、どうこう言うことはできないのはわかるでしょう? 美晴ちゃんが決めることよ。私たちにできるのは、美晴ちゃんが後悔しないように見守ることだけよ」
そう、文乃は「後悔はしていない」と言った。冴子に手紙を渡すとき、すっきりした美しい笑顔できっぱりと言ったのだ。
『冴子さん、私ね、これまでの人生で選んできたことは全て、後悔はしていないの。ああしてれば、こうしてれば、とかいろいろ考えたこともあったけど。でも、なにかひとつでも間違えていたら、美晴が存在しなかったと考えたら、嫌だったことも苦労したことも、全部必要なことだったと思えるようになったわ』
冴子には文乃が遺したものを暴いてしまったのではないか、という思いもある。
美晴が鍵を探すかどうか、文乃はどちらを望んでいたのだろうか。
冴子は文乃の苦悩に気づいていながら、寄り添えきれていなかった自覚もある。だからこそ、美晴が望む未来へ進めるように、そして由香里が、自分と同じ思いを抱えることにならないようにしたい。
全てがまるく納まる正解などないだろう。由香里をなだめつつ、冴子は今後に思いをめぐらせた。