魔法使いの子 後編
相対する同じ色の瞳が、ふたりの関係を物語っていた。互いに黙ったまま、立ちつくす。
エーリッヒがカミルの背をぽんっと叩いた。
「言いたいことがあって来たんだろう。しっかりしろ」
ぎこちなく動き出したカミルが、ゆっくりと近づくのを、男はまばたきもせずに見つめている。
ふたりの距離が、手を伸ばせば届くところまで縮まったところで、カミルは足を止めた。
「えっと。と、とうちゃんさあ、いつまでここにいんの?」
顔を真っ赤にしたカミルが放った言葉は、はじめて会う実の父親に対して、あまりにも淡白なものだった。そこに含まれていた「とうちゃん」という呼びかけに、男は気がついただろうか。
「え?」
「とうちゃんがずっとここにいるから、町のみんなはいろいろと噂するし、母ちゃんはピリピリするし。ああ、宿屋の母ちゃんのほうな。俺を産んだかあちゃんがもういないのは知ってるんだろ? 俺の顔が見たいってんなら、とっとと会いに来ればいいのに。うちじゃなくたって、どこでだって会おうと思えばできるのにさ。なのに来ないし、でもずっといるし。正直迷惑になってるぞ!」
なにを言おうか、考えていたのだろう。一息に喋るとカミルは、大きく息を吸った。
ははっ、と吹き出したエーリッヒは、目と口を開けたままの男に向き直った。
「俺はただの付き添いなんだが、この子の育ての親に伝言を頼まれた。あんたがここに居着いてるのが迷惑なんだそうだ。理由は今、こいつが言った通り」
男は、カミルとエーリッヒの間に視線をさまよわせて、そのまましゃがみ込んだ。
「そうか、そうだな。迷惑だな……」
「まあ、それは大人の事情ってやつだ。仕方ないだろう。でもな、カミル!」
じっと父親から目をそらせずにいたカミルが、びくっと肩を震わせて振り向く。エーリッヒはおだやかな笑みを浮かべた。
「言いたいことは、それだけじゃないだろう?」
口の端をむにむにとゆがめて、カミルはぷいと横を向く。先ほどの勢いはどこへいったのか、か細くつぶやいた。
「……会いに来ればよかったのに」
エーリッヒが側に来て、カミルの頭をがしがしとなでた。
「あんたも、そのつもりでここへ戻ってきたんだろう? どうして今までカミルに会わなかったんだ」
男はその場で胡座をかくと、顔を上げた。
「精霊術士になって迎えに来ると約束したんだ。でも、十年かかってもなれなかった」
精霊術士になるには、それなりの規模の精霊殿で修練を積み、精霊術師の資格をもった者に認められなければならない。
器が大きいことは最低条件でしかない。精霊術士になるためには、修練によって器の魔力を充分に使いこなす能力を身につける必要がある。
厳しい修練を積んでも、それを得られる者は決して多くない。
「それでも忘れられなかった、か」
エーリッヒの言葉に、男はうなだれるように首肯した。
「どの面下げて、とは思った。ただ、幸せに暮らしているなら、姿を見るだけでもいいと、本当に。それが……」
「子どもを遺して亡くなっていた。お前の子を」
「彼女はいない、俺の子がいる。どうしたらいいのかわからなくて。ただ、このまま去ることもできなかった。俺は、昔からなにもかもいいかげんなんだ。故郷では少しばかり器が大きいとおだてられて、その気になった。でも王都の大精霊殿どころか、田舎の分殿の修練にすらついていけなかった。一度は諦めたんだ。それから魔術士まがいの流浪人を気取って……」
深くうつむいた男の肩は震えていた。情けない父親に落胆していはいないか、エーリッヒが隣を見ると、カミルは呆れたような、困っているような複雑な表情をしていたが、突然、笑った。
「俺を生んだかあちゃんはさあ、待ってなかったと思うんだよ。どっちでもよかったんじゃないかなあ?」
「え?」
男の二度目の間の抜けた声に、カミルはさらに笑った。エーリッヒは驚いたようすで、右の眉を上げた。
「難しいことはわかんないけど、精霊術士ってそんな簡単になれないんだろ? それにもしなれたら、それはそれで忙しいんだろ?」
問われたエーリッヒが、うなずく。
「どこの精霊殿でも術士は足りていない。任地の希望もなかなか通らないと聞くな」
「たぶん、かあちゃんもそれくらいは知ってただろうし、とうちゃんがもし精霊術士になったら、帰ってこないと思ってたんじゃないかな」
「俺が術士になりたかったんだ、とこぼしたら、まだ頑張ってみればいい、と彼女が言ったんだ。だから、最後にもう一度と思って、それなりの精霊殿へ行ったんだ」
「お前の未練に気づいていたんだろうな。精霊殿はどこも人手不足だから、ある程度の器があれば入殿させる。ものにならないだろうというのは承知の上でな。お前もわかっていたんじゃないのか?」
「……ああ」
男の器は、修練を積んでも精霊術士にはおそらく届かない。それはエーリッヒにも測れる。それなりのというからには、精霊術師がいたはずで、入殿者の器は、最初に検分されていただろう。
「故郷を出て最初に入った分殿では、二年目には諦めろと言われた」
「それはまた随分と親切な術師がいたんだな、珍しい」
「術士、だったけどな。術士がひとりで、あとは村人の手伝いがいるだけの小さなところだった。そこの術士は厳しいが、真っ当だった。この町を出てから入ったところの術師は、『見込みはある』と言い続けた。それにすがって、このざまだ」
己の器では足りないと知りつつも、一縷の望みを捨てられなかった。十年が過ぎて、なにも得られないまま精霊殿を去った。いまさら故郷の土も踏めず、彼女にあわせる顔もない。それでも詫びと、送り出してくれた礼だけは伝えたかった。
後悔を語る男は、カミルの瞳をまぶしそうに仰ぐ。カミルは笑ったまま、両手を広げた。
「だからさ、帰ってくるならだめだったときで、そしたら、仕方ないから面倒みてやるかあ、くらいに思ってたんだよ。きっと」
男は呆然として目をしばたたかせている。あんぐり口を開けて、言葉が出ない。
「とおちゃんが意外に頑張っちゃったのと、かあちゃんが死んじゃったのが、予想外だったんだろうなあ」
他人事のように言うカミルは、それでも、男を励まそうとしているらしい。
エーリッヒは声をあげて笑い、来た道を振り返って言った。
「そうだな。十年も粘れるとは思わなかったんだろう。こいつは女将の妹のために、それなりに頑張ったようだぞ」
沢に沿って生えている木の陰から、女将が出てきてエーリッヒに頭を下げた。
「なんだ、母ちゃんもついてきてたのか。まあいいか。ほら、さっさと謝っちまいなよ」
男は慌てて立ち上がったが、口を開かない。近づいてきた女将は呆れ顔で、ひとつ息を吐いた。
「どうしようもない駄目男だから、好きになっちゃったんだと!」
張り出した腹を愛おしくなでながら、打ち明けてきた妹の顔は、今も鮮やかに思い出せる。
「子どもみたいな人だからって。もし戻ってきたら、赤ん坊と一緒に面倒みないといけないから大変だって、笑ってたんだよ。私らも、そこまでいうなら好きにしなって、やっと腹くくったところだったのに」
「申し訳なかった!!」
男は膝をついて叩頭した。やっと口にした謝罪に女将とカミルは顔を見合わせて、同時に首を横に振った。
「もういいさ。十年も精霊殿にいたとはね。あんた、どうせ行くあてなんてないんだろう。実家の店は閉めたけど、家はときどき風を通してある。井戸はほったらかしだけど、どうにかできんだろう? 中のものは好きに使っていいから、とりあえず身綺麗にしてから、うちに来な。カミル、ほら鍵。逃げないように見張って、連れて帰っといで」
女将が投げた小さな鍵を、カミルは受け止める。隣で頭を上げた男の顔は、涙でぐしゃぐしゃになって見られたものではなかった。
女将は呆れ顔で、もう一度エーリッヒに丁寧に頭を下げてから、沢を下っていった。
「とおちゃん、ほら立ちなって。じいちゃんちに行くよ」
カミルは嬉しそうに手を出して、男を引き上げる。重みに苦戦するカミルに、力強い手が助勢してくれた。
その腕の先に目を向けたカミルは、気まずそうに緑の瞳から目を逸らした。
「ごめん、兄ちゃんを騙すつもりじゃなかったんだけど……」
エーリッヒは気にするでもなく、男が立ち上がると手を離してカミルの頭をなでた。
「『水』と『森』の魔女を知らないか?」
はっとして眉を寄せた男に、エーリッヒはうなずいてみせた。
「……得体の知れない魔女がいる、という噂は知ってるが、俺は会ったことはない。西の森に住んでいたと聞いたことがあるが、かなり前だ」
「どこで聞いた?」
「俺の故郷はバレンシュテットなんだが、西の森の近くに、領主の精霊殿とは別に小さい分殿がある。最初はそこにいたんだ。そのときに耳にした」
「わかった」
「かかわるな、とも聞いたぞ」
「それは知っている。だが俺はかかわりたいんだ」
大きな器を持ち、瞳の色を変え、いわくつきの魔女を探している。エーリッヒのほうが、よほど魔術士らしい。カミルはあらためて、濃い緑の瞳をのぞき込んだ。
それに気がついたエーリッヒは、身を屈めてカミルと目をあわせる。
「カミル、その器はお前の親父よりでかい。この町では、生き辛いかもしれない。魔術士になるなら別だが、それなりに身を立てる気があるなら、王都へ来い。精霊殿なり、騎士見習いなりの口を聞いてやる。もちろん、ものになるかはお前次第だが」
「とおちゃんみたいに苦労だけして、ものにならなかったとかは嫌なんだけど」
ちらちらと父親の顔を気にするカミルに、当の男は苦笑いを返した。
「お前の器は、少なくとも修練を積む価値はある。それは保証してやる」
カミルが、しかつめらしくうなずいたので、エーリッヒはもう一度頭をなでてやる。
「空の石はあるか?」
男が懐に手を入れて、汚れた手堤を取り出した。中から小さな黒い石を取ると、エーリッヒに手渡す。
エーリッヒの掌の上で、石はより小さく見えた。大きな掌に、ふわりと紫がかった青い霧がまつわる。
一瞬、霧が強く光ってカミルは目を閉じた。まぶたを開けると、石は青みの強い紫に色を変えていた。
「紫……」
「俺の加護は『氷』と『火』だ」
目を見開いて呆気にとられているカミルに、エーリッヒは片目を閉じて見せた。
エーリッヒは手荷物の中から、封筒と彼の魔力と同じ色の蝋を取り出す。手早く『氷と火の精霊石』を封筒に入れ、魔力で蝋をとかすと指で閉じる。
指先がまた紫に光った。
「これはお前たちには開けられない。その気になったらこれをもって、王都のクヴァンツ侯爵邸に来い。『エーリッヒにもらった』と言えば、話が通るようにしておく」
カミルが神妙に受け取った封筒の上に、エーリッヒはちゃり、と音を立てて銭入れを置いた。
「とおちゃんと、あと母ちゃんたちともよく相談して決めるんだ。お前の器は充分に魅力的だ。どういう意味かわかるな?」
器の価値を知る者が、善人とは限らない。カミルの意思にかかわらず、それを欲しがる者はいる。
「鼻が効く輩はどこにでもいるからな」
エーリッヒは、同じく神妙に聞いていた男に向けて言った。心当たりのあるらしい男は、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「じゃあ、俺は行く。達者でな、もうカミルに心配かけるなよ」
小さな手に乗せられた、いくつかの未来をじっと見つめていたカミルは、我にかえると遠ざかるエーリッヒに向けて叫んだ。
「兄ちゃん、ありがとう! 俺、きっと行くよ、王都に!」
若者は振り返らず、荷物をもたないほうの手だけを振って去って行った。
沢を下り、獣道をのぼる。あばら屋まで戻ると、来たほうとは逆に街道を進む。このまま行けば、今日中には、少し大きな町までたどり着けるだろう。
そこから西に向かうには、馬を調達したほうがいい。
ここから、西のバレンシュテット辺境伯領へは、馬を駆っても七日ほどかかる。
今日の空は青く、雨の気配はない。ふと立ち止まり、ぽつんとひとつだけ流れていくはぐれ雲をにらむ。
『待ってなかったと思うんだよ。どっちでもよかったんじゃないかなあ』
この先に、そのような心境を得る未来があるのだろうか。
首を左右に大きく振って、若者はまた歩き出す。
まだ、なにも見つけていない。あがく時間はまだたくさんあるはずだ。
上空では風が雲を散らし、細かく広がって空へとけていった。
この後、バレンシュテットの西の森へ向かい、『魔女の伝言』につながります。




