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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
その前のできごと
49/50

魔法使いの子 前編

『魔女の伝言』の半年ほど前です。

「兄ちゃん、魔法使いを探してるんだって?」


 若者は、町の宿に十日ほど前から滞在しており、その夜は、食堂で少し遅めの夕食をとっていた。


 話しかけてきたのは下働きの少年で、何度か客室の掃除をしているのを見かけていた。宿屋を営む夫婦の息子らしい。

 十二、三歳だろうか、きびきびと動く姿はいっぱしの働き手だった。


 少年の青い瞳はじっとにらみつけるように、若者に真っ直ぐ向けられている。


 艶のある黒髪に、濃い緑色の『森の精霊』の加護の瞳。辺境の町には珍しい都会的な整った容姿は、ほどほどの旅装に身を包んでいても人目をひく。

 この若者がそれなりの身分にあることは、誰が見ても明らかだった。


「なにか知ってるのか?」


 仕事終わりの少年は向かいの席に座ると、声を落として話しはじめた。

「兄ちゃんが探してる奴かどうかわかんねえけどさ、ひとり魔法使いを知ってるんだ。案内してやってもいいよ」


 周囲の席には、町の住人と見える男たちがまばらに座って食事をしたり、酒を飲んだりしている。

 小さな町には酒場や、食事ができる店はあまりない。この宿の食堂は宿泊客よりも、町の常連のほうが多い。

 声をひそめても、誰かしらに聞かれてしまいそうだが、少なくとも若者は気にしていなかった。


「どこにいるんだ?」

「だから案内するって。俺を連れてってくれるんなら教えるよ。あれ、兄ちゃん、あんた……」


 少年の言葉をさえぎるように、若者は少し声を大きくした。


「お前の名前は? 明日、行けるのか?」

「俺はカミル。夕方ならいいよ」


 約束を取りつけると、カミルはいくらか上気した顔になり小さくうなずいた。


「じゃあ仕事が終わったら部屋に行くから、待っててくれよ。兄ちゃんの名前は?」

「エーリッヒだ。よろしくな、カミル」


 カミルが食堂を出ていくと、ちょうどほかの客も帰りだした。エーリッヒがひとりになり、厨房に視線を遣ると、女将が出てきてカミルが座っていた椅子にかけた。

 主人は出てこなかったが、奥で様子をうかがっている。


「……申し訳ないんだけど、お客さんが探してるのは魔女なんでしょう? いろいろ聞いてまわってるってのは噂になってます。あの森にいる魔術士は違うと思いますよ。男なんでね」


「どうして知っているんだ?」

「……あいつは、カミルの父親なんです」

「あの子は、ここの息子じゃないのか?」


 ふーっと大きく息を吐いて、女将は恐縮したようにエーリッヒに頭を下げる。

「お客さん、貴族様なんでしょう? 失礼があったら申し訳ないんで話しますけど、一応おおっぴらにはしてないんですよ。まあ、知ってるのはいますけどね」


 暗黙の了解があるらしい。エーリッヒは理解した、と首肯する。

「カミルはあたしの妹の子なんです。今年十二になるんですがね。その、妹はあいつにもてあそばれて、あの子を孕んだってわけなんですよ。カミルもあたしらが生みの親じゃないってことは、もう知ってます」


 十三年前、その魔術士はふらりとやってきた。女将と妹は、小間物屋を営む夫婦の娘だった。

 ローブを被った陰気そうな男は、町外れの空き家に棲みついて、ときおり店に日用品を買いに訪れた。


 妹がその男といつの間に懇意になったのか、家族の誰も気がつかなかった。


 半年ほど滞在した魔術士は、来たときと同じようにいつの間にか姿を消した。

 妹が身籠っているとわかったのは、それからふた月余り経ってからだった。彼女自身はもっとはやくに気づいていたのだろう。


 家族は当然、相手の男が誰なのかを問いただした。小さな町のこと、候補となる男はそれほど多くない。既婚者でないなら、一緒になればいい。

 決して端から反対していたわけではなかった。


 しかし、彼女は口を割らなかった。結局はその態度によって、知らせることになってしまったのだが。

 相手を明かさなくとも、子は育っていく。産月になってもなにも話さない娘を、それでも見捨てられず、両親は見守っていた。

 しかし、難産の末、赤子の命と引き換えに娘は儚くなってしまった。


「……結局その後、両親もがっくりきて立て続けに病で死んじまったんで、あたしが引き取ったんです。うちには子ができなかったし、旦那もいいって言ってくれたんで。あたしの子ってことになってますけど、小さい町ですからね、知ってる人はそれなりにいます。あいつが帰ってきて、いろいろ思い出した人もいたみたいで、最近カミルに余計なお世話を吹き込んだらしいんですよ」


 事情を聞いたエーリッヒは、女将の顔を見てうなずいた。

「なるほどな。それで実の父親に会ってみたくなった、ということか」


 実の父親に会いたい、という気持ちは自然なものだ。そうしたことに、敏感な歳の頃でもあるだろう。だが、女将のほうの大人の理屈も、理解できる。


「その魔術士はいつ戻ってきたんだ?」

「一年くらい前ですかね、またふらっと現れて。実家の店は畳んじまってたんですけど、町に宿はここだけなんでね。最初に来たときにあたしの顔を見てすぐに気づいて、妹はどこだってんですよ。こっちの気も知りやしないで」


 腹が立ったので話もせずに叩き出した、という女将の怒りは至極もっともだ。


 しかし、旅の魔術士という存在は、とかく人と深くかかわるのを避けるものだ。

 カミルの父親は、なぜ再びこの町を訪れたのか。


「確かにカミルの器は大きいな。この辺りでは珍しいだろう。父親譲りということか」


 女将は肩を落として、また大きなため息を吐いた。

「やっぱりそうなんですか。先代の町長の奥さんがここらでは一番の器なんですがね、その人もカミルの器は測れないってんで……」

「並の貴族くらいはあるぞ」


 『精霊の加護』の器は、生まれつき加護の種類と大きさが決まっている。器の大きさは、その器よりも大きな器をもつ者にしか知り得ない。


 この町では、おそらくカミルの器が最も大きい。それがどれほどのものか、これまで知ることはできなかったのだ。


「そんなにですか……。このままにしとくわけにもいかないんでしょうけど、あいつに会わせる気はないんですよ。そういうことなんで、カミルを連れてくのはやめてもらえませんかね。居場所は教えますんで」


「ついでにようすを見て、できれば追っ払ってほしい、といったところかな?」


 女将はきまりが悪そうな顔になったが、本音をこぼす。


「今さら父親面されても困るし、あいつはそもそも、子どもができたことも知らなかったはずなんですよ。なんで戻ってきたのか。とにかく、カミルが変に興味を持ってしまったんで、さっさと消えて欲しいんですよ。お願いする筋合いじゃないのは承知の上ですが、お客さん、相当強いんでしょう?」


 エーリッヒは、空になったゴブレットをのぞき込んで言葉を探していたが、顔を上げた。


「その男は精霊術士ではないんだろう? 俺が探してる魔女を知っているかもしれないから、行くのはかまわない。話が通じるかはわからんが、女将の伝言を耳に入れるくらいはしてもいい」


 貴族のように大きな器をもつ者が、ときおり民間に生まれることがある。そうした者の多くは、精霊を祀る精霊殿に預けられて精霊術士となるのだが、まれに在野のまま生きる者もいる。


 彼らは魔女、魔術士と呼ばれ、変わり者が多い。力を使って悪事をはたらくような者もいるが、基本的には気まぐれで、求められても力を貸すとは限らない。

 その男もそうした部類の人間かもしれない。


 女将は心底ほっとしたようで、丁寧に礼を言った。

「そうですか、ありがとうございます。町の北側の入り口に廃屋があるんです。……あいつが昔住んでたあばら屋ですけど。その脇に下り坂があるんですよ。獣道みたいなとこですが、道なりに進んで突きあたった沢を上っていくと、洞窟ってほどでもない岩屋があって、今はそこに居ます」


 エーリッヒが首をかしげる。

「そんなに近くに居るのか?」


 女将に追い払われても町を去らずにいるのは、カミルを気にかけているからだろうか。しかし、十年以上も音沙汰がなく、恋人の死も、息子の存在も知らなかったはずの男が、なにを思って居座っているのか。


「最初はあたしも怒ってたんで、文句の半分も言えずに叩き出しちまったんですけど、そのまま棲みつかれて、今じゃちょっと気味が悪いんですよ」


 一年の内に女将も冷静になってきたらしい。男がその後カミルに近づくことなく、しかし、町から去ろうともしないことに困惑していた。


「日が昇ってからここを出ても、昼前には着きますよ。昼に食べられるものを用意しとくんで、朝のうちに出てくれませんかね。カミルが気づく前に」

「わかった」


 翌朝、エーリッヒは宿を引き払って出かけることにした。宿代を渡し、女将から昼食の包みと水筒を受け取る。


「話ができたらそのまま、町を出るつもりだ。報告が必要なら書簡で送るが」

「いえいえ、そこまでしてもらうことはないです。あたしらが迷惑がってるって、言ってもらえたら充分です。すいませんが、よろしくお願いします」


 奥で主人も頭を下げている。エーリッヒはわかった、と言って外に出た。


 町の中心から北の外れまで、さほど時間はかからなかった。

 女将から聞いた廃屋もすぐに見つかった。かろうじて柱と屋根は残っているが、扉は蝶番が壊れて開いたまま、窓の雨戸は閉じられているが、いくつか板が落ちてしまっていた。

 男が出て行ってからは、放置されているのだろう。


 脇道に入ると、予想以上に急な下り坂になっており、ゆっくり降りていく。確かに獣道のようだが、ところどころ踏み固められたあとは、人が通った痕跡だった。


 エーリッヒは、まわりの薮草をかき分けて下まで降りると、振り返って大きな声で呼びかけた。

「連れてってやるからゆっくり降りてこい! 焦って転ぶなよ」


 がさがさと音を立てて、坂道の途中からカミルが姿を現した。悪びれることなく、少し悔しそうな顔を見せた。

「やっぱりばれてたかあ」


「そのくらいの身の隠し方で、気づかれないわけがないだろう。我流にしてはまあまあだがな」

「魔力で隠すのは上手いと思ってたんだけどなあ」

「この町では一番だろうが、王都へ行けばお前くらいの器はごろごろいる」


「そりゃそうか、瞳の色を変えられるなんて知らなかったもんな。兄ちゃんの瞳、本当は青いんだろ?」

 カミルは鼻を鳴らして胸を張ったが、エーリッヒはにやりと口の端を上げた。


「瞳の色を変えていると気づいたことは、ほめてやる。だが青じゃない」


「えー、絶対俺と同じだと思ったんだけどなあ」

「だから言っただろう、お前の器もそれほど立派なものじゃない。世間知らずのまま調子に乗っていると、苦労するぞ」

「はあ、なんかしょんぼりしちゃうなあ。全然だめじゃん」


 不貞腐れるカミルの表情が可笑しくて、エーリッヒは喉の奥を鳴らして笑った。

 それを見たカミルも機嫌を直して、ゆっくり慎重に降りてきた。


「それで、お前は父親に会ってどうする気だ?」

 ふたり並んで歩く。道なりに進むとすぐに沢に突き当たった。水は良さそうだが流れは少ない。

「うーん、別に会いたいわけじゃないんだけどさ……」


 カミルは大人びた仕草で腕を前に伸ばすと、口ごもった。意気揚々と父親に会いに行くわけではないらしい。

「女将が困っているからか」


 エーリッヒにさらりと言い当てられて、カミルは顔を赤らめた。瞳の青は特段濃いわけではないが、夏の終わりに咲き乱れる大きな花を思わせる、美しい色だ。


「俺は、今の母ちゃんと父ちゃんと暮らすので満足だからさ。ほんとの父ちゃんとか、正直どうでもいいんだ」

 カミルはわざと足もとの小枝を踏みながら歩く。ぱち、ぱちと乾いた音がついてくる。


「でも、母ちゃんはなんだかいらいらしちゃってるし、そんで父ちゃんまで困った顔するようになって、嫌だなぁって。……その、ほんとのとうちゃんが出て行かないのってたぶん、なんか俺に用があるんだろう? それなら、さっさと会ったほうがいいんじゃないかって」


 一生懸命に考えた理由も嘘ではないだろう。ただ、会ってみたい、という気持ちも隠しきれない。そしておそらくは、ひとりで会いに行く勇気も、少しばかり足りなかったのだろう。


 エーリッヒは大きな手で、カミルの頭をなでてやる。

「そうだな、それがいいかもしれないな。女将には悪いが、お前をちゃんと連れて帰れば、そんなに怒りはしないだろう」

「母ちゃん、怒ったら怖いんだぜ。父ちゃんだって、泣きそうになるんだ」


 エーリッヒは笑い、カミルは前を向いて歩みを進めた。


 木漏れ日を浴びながら早足で歩いて行くと、少し汗ばむほどに暑くなってきた。

 エーリッヒは荷物から水筒を出したが、カミルは首を横に振り、頭の上に両手をあげた。


 ぱんっと小気味よい音が鳴る。打ち合わせて開いたカミルの掌から、細かい氷の粒がいくつも飛び散る。落ちてくる間に溶けていく氷を、カミルは上を向いて口に含んだ。


 得意気なカミルに向けて、エーリッヒは指を鳴らした。長い指の間にぱちんっと小さく音が鳴った。

 ふわりと水の球が目の前に現れて、ゆっくりと大きくなる。ちょうどひと口分の大きさになったところで、エーリッヒはそれをぱくりと飲み込んだ。


「水筒なんかいらないじゃないか!」

「せっかく女将が用意してくれたんだ、そう言うなよ」


「『氷』じゃなくて、『水』だったのか」

「いいや、それもはずれだ。『水の加護』がなくても、『水』の魔法は使える」


 掌に同じ水の球を作ってカミルに放る。少年は器用に口で受け止めた。


「はあ、すげえな」

「これくらいはお前もできるようになるさ」


「本当に?」

「すぐには無理だがな」


 カミルはなんだよ、と拗ねる。圧倒的な魔力を目の当たりにして、自慢の器がちっぽけなものになってしまった。


 エーリッヒはもう一度手を伸ばして、カミルの背を軽く叩いた。

「まあ、これからの修練次第だ」



 女将が言った通り、洞窟というほどの奥行きはないのだろう。洞穴(ほらあな)には扉がわりの板が立てかけられており、その手前には火を焚いた跡があった。


「ここか」

「いるかなあ?」


 緊張を隠して、カミルは戸板の奥をのぞいた。そのとき、背後でばさり、と音がした。


 振り向くと、もとの色がなんであったのか、想像もできないほど薄汚れたローブをまとった背の高い男が立っていた。

 男の足もとには目の粗い籠と、中に入っていたらしい薬草が散らばっている。


 男は痩せていて、目は落ちくぼみ、とりあえずまとめてある伸び放題の薄茶の髪はところどころ絡まっている。

 しかし、生気のない顔の中で唯一、印象的な瞳はカミルのそれと同じ青色をしていた。

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