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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
その前のできごと
48/50

魔女の伝言

本編の六年前の話になります。

 茶褐色の髪に赤い瞳の若者が馬に乗り、街道を逸れて森の獣道へ入っていく。

 まだ人の行き来の跡が残る辺りまでは、馬もひるまず進む。だが、徐々に人の気配が途絶え、真の獣道に分け入るとよく慣らされた馬の歩みも鈍りだす。


 若者は馬から下りると、手綱を引きながら微かに聞こえる水音のほうへ向かった。

 細く流れる沢が見えると、水に届く辺りの木に馬をつなぎ、彼は再び歩きはじめた。


 森のさらに奥深くへ。より濃い魔力の流れてくるほうへ。


 木々が生い茂り、木漏れ日は頼りなく細くなっていく。薄暗い中、木や草をかき分けて進む。

 魔力はまだ気配のみで、目に見えて感じられるものはない。だが、確実に一筋の流れがある。それを頼りに、彼は迷いなく進み続ける。


 どれくらい歩いたのか、再び陽がさし込み、空気に潮の香りが混じる。足下にふあんとまとわりつくような重みを感じる。そこには淡い緑の霧が薄くたゆたう。

 陽の光がさす茂みの一部分、確かにそこから魔力の霧が染み出していた。


「おい、若いの、そこから先は立ち入り禁止だ」


 若者が驚いて振り返ると、枯葉のような色の長い髪を、背中で無造作に束ねた大柄な男が立っていた。


 警戒を怠ってはいなかった。己の魔力を可能な限り研ぎ澄ませていた。それなのに、近づいてくる男にまったく気がつかなかった。


「聞こえたか。それ以上奥へは行けねえよ」

 男のいわんとすることは、若者に正しく伝わった。「行けない」のではなく、「行かせない」と。


「申し訳ない。迷ったようだ」

 男は緑色の瞳に猜疑心を隠すことなく、若者を見すえた。そして、ふんと鼻を鳴らすと、小石でも投げつけるように、若者に向けてなにかを(ほお)った。


 油断などしていなかった、だが男の放った緑色の魔力の塊を避けられなかった。緑の帳は若者を包み込むと、解けるようにはらはらと崩れていく。


 ため息を吐いた若者の姿は、くすんだ銀髪に青みの強い紫色の瞳に変わっていた。


「珍しい(なり)だな。なにしにここまで来た?」


 若者は、もう一度息を吐き出すと、男に真正面から向き合ってこたえた。

「探しもの、いや、探し人だ。どうやら見つかったらしい」


 ラルフ・ジークハルト・クヴァンツはクヴァンツ侯爵家の三男、先日二十歳になったばかりである。


 侯爵家は長兄が、領地の騎士団は次兄が継ぐことが決まっているが、彼の身の上は定まらないままであった。だが、ラルフは己の成すことをとうの昔に決めていた。


 それを求めるための(よすが)を探す旅の途中であった。



 ラルフが男についていくと、森が途切れた。その先には断崖絶壁、下には荒波が寄せては弾け、遠く海が広がっている。


 崖の上には、太陽の光を浴びた下草がはびこる開けた場所があった。男は転がっていた大きめの石に腰掛け、ラルフも適当な岩に座った。


「お前の探し人は俺じゃねえよ」

「でも、あんたは知ってるだろう?」


 男の緑の瞳が鋭い視線を向けるが、ラルフはひるまない。

「『氷』と『火』か。めったにお目にかかれない、複数の加護持ちだな。確かクヴァンツ侯爵家に生まれたと聞いたな」


「私の魔法を解いたのは、あんたがはじめてだ。結界を破ることなく、入り込まれたのもはじめてだ。この森の魔術士だろう?」


 男はかっかっと声をあげて笑った。ラルフの父よりは若そうだ。四十がらみであろうか、無精髭を剃れば、もう少し若く見えるのかもしれない。


「そんな大層なもんじゃねえよ。ずうっとこの森から出ない、変わり者の一族の(すえ)ってだけだ」

「森の番人がいると聞いて来た」


「それは確かに俺の一族だがな、お前が本当に探しているのは俺じゃあねえだろう?」


 機嫌よく笑う男に、今度はラルフのほうが苛立つが、それを表に出さない術は身につけている。男にはお見通しであったとしても、ラルフは無意識に装う。

「私の探し人を知っているだろう? どこにいるのか、教えてもらえないだろうか」


「お前が探している()()は知ってるけどな。俺は会ったことはねえんだ」

「そうなのか?」


「『森』と『水』の魔女だろう? 俺のじいさんは知り合いだったらしい。ほんの少しの間だが、(ここ)で暮らしていた、と聞いてる」


 ラルフの瞳に喜色が宿る。雲を掴むようなここまでの歩みが、やっとその端を捕らえた。


「今、どこにいる!」

「だから、俺は会ったことはねえんだよ。じいさんとお袋が、どのくらいかかわってるのかも知らねえよ」


 感情のこもらない男の言葉は、嘘とは思えない。掴んだはずの雲の切れ端は、また手をすり抜けていくのか。


 黙り込んだラルフに、男は少し柔らかい口調で問うた。

「魔女に会ってどうするつもりだ」


「取り戻す方法を知りたい」

「なにを?」


「聖女と、彼女の娘を」

「無理だな」


「どうして」

 間髪を入れずに返されて、ラルフは男をにらむ。しかし、男は容赦なく告げる。


「魔女も万能じゃねえんだよ。でかい器があればなんでもできるってわけじゃねえ。それはお前にも、よくわかってるだろう? それに、あいつはこっちが望んでも会えねえってじいさんが言ってたよ。気が向いたら出てくる、気が向くまで待つしかねえってよ」


「『あいつ』と言ったな。やはりあんたも会ったことがあるんだろう?」

 チッと男はわざとらしく舌打ちをした。


「育ちがいい割に小賢しいな」

「育ちがいいのは次男までだ。三男坊はほったらかしだ」


「会ったことがねえってのは嘘じゃねえよ。じいさんとあいつが話してるとこを、遠目に見たことがあるだけだ。ガキの頃にな」

「そうか」


 ラルフは視線を海に向けて、息を吐いた。これまで、魔女に繋がる情報をさまざまに集めてたどってきた。空振りに終わるものがほとんどであった。今度こそ、と意気込んでやって来たのだ。


「あいつに会えたとしても、望みを叶えてはくれねえぞ。それはよく覚えておけ。あと、探しても無駄だ。出てきやしねえよ」

「待っていれば会えるのか?」


「あいつが今までに現れた場所は知ってんだろう。あいつが魔女だと知ってる人間も限られてる」


 ラルフは脳裏に魔女にかかわりのあった人物を、順に映していく。


「そこにいずれ現れると?」

「あいつが必要だと思えばな。お前がどうしてあいつのことを知ってんだかは聞かねえよ。だが、知ってんならもう、かかわってるってことだ。必要なときに現れるさ」

「今は必要なときではないと?」


 男はラルフの、二つの精霊の加護を示す珍しい瞳をじっと見つめた。


「お前、目的を間違えんなよ。もう一度言っとくぞ。あいつは絶対に、お前の願いなんか聞いちゃくれねえ。あいつに会うことを目的にするよりも、今お前にできることをやっとけよ。時間を無駄にすんな」


 ラルフははっと息を呑んで、得心したようにうなずいた。そしてこのぶっきらぼうな男が、意外に親身になってくれていることに驚いてもいた。


「今、聖女が帰ってこられたとして、お前は恩を返せるのか?」

「……いや、あんたの言う通りだな。今の私にはなにもできない」


「ほかにもあんだろ、お貴族様の面倒なあれこれが。せっかく侯爵家に生まれたんだ、使えるものはすぐに使えるようにしとけよ」


 世捨て人のように暮らしているはずの男の、世俗にまみれた言葉に、ラルフは声をあげて笑った。男もにやりと人の悪い笑みを浮かべている。


「バレンシュテットの先代を知ってるか?」

「ああ、珍しい()()()()()()()のお方だな。お会いしたことはないが」


「あいつがもし(ここ)に現れたら、バレンシュテットに連絡してやる。顔をつないでおけ」

「わかった、挨拶しておこう」


「今の時節なら本邸にいるだろう、帰りに寄っていきな。森番から先代への使いだ、といえば会ってくれる」

「当主ではなく先代にか?」

「先代のほうが話がはやい。それに、お前なら先代も会いたがるだろう」


 わかった、とラルフは立ちあがった。来た道を戻る前に、男の顔をもう一度見て礼を言った。

「助かった。やはりあんたに会えてよかったよ」

 男は黙って座ったまま、手で追い払うような仕草をする。ラルフは笑って、森へ入っていった。


「まあ、がんばんな」

 ラルフが充分遠ざかってから男は声をかけ、立ち上がると振り返って言った。

「あんなんでいいのか? おふくろ」


 秋の夕陽のような赤い髪に、いくらか白いものが混じっている。緑の瞳が濃く鮮やかな初老の女が、ラルフが消えたのとは反対方向から近づいてくる。


「ああ、大丈夫だろう。腹が据わったようじゃないか」

「あの若いのになにかあるってのか? 確かに器はでかかったが、ただの貴族の坊ちゃんだろう?」


 ふるふると首を横に振って母親はため息を吐く。

「わたしらにはわからないさ。ただ、魔女(あのひと)がわざわざ出てきたんだから、それだけの理由があるんだろう」


 男はラルフが消えた先を見つめて、呆れたような声を出した。


「じいさんが死んだときにも来なかったくせに。あの坊ちゃんになにがあるってんだ」

「そんなこと気にしてたのかい? だから父さんが()()()に来てただろう、お前も見たじゃないか」


 男は驚いて、今一度母親を振り返った。

「じいさんが死ぬから来たってのか」

 うなずく母親の顔には、まだまだだねぇ、と書いてある。


「死んでから来たって話もできないだろう。……あの坊ちゃんがふらふらしてると、いろいろ面倒が増えるんだと」

「それでなにが変わるってんだ」


 母親は表情を変えぬまま、息子をじっと見ている。

「さあてね、誰しもが多かれ少なかれ、己の預かり知らぬところで動かされているもんさ。お前も、私も。それでも皆、生きてるのは自分の人生なんだよ」


 男は森に背を向けて、先ほどまでラルフが座っていた岩を見る。その先の崖から臨む濃く青い海、その上にはどこまでも続く淡い空が浮かんでいた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  六年。ラルフはこれまでも色々としてきたのでしょうが、ある意味決意の時、なのですね。  マグニと彼女、最期まで繋がれていた縁を知り、よかったなと感じました。  執筆お疲れ様でした。
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