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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
その後のおはなし

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47/50

葡萄酒祭りにて 後編

 翌日、美晴は町歩きための装いを、とエマに伝えた。

 こちらはいかがですか、とエマが出してきたのは冴子に買ってもらったワンピースドレスであった。

「もってきてくれたのね!」


「はい、もしかしたらこのような機会があるかと思いまして。王都でお嬢様がお召しになるのはちょっと難しいですけど、こちらのお祭りならよろしいのではありませんか? ラルフ様」


 ラルフははじめて美晴に出会ったときの姿を思い出して、微笑みながらうなずいた。

「いいと思うよ、華美でなく上品だ。いいところのお嬢様に見えるのではないかな」


 ラルフの感想に美晴は目を大きく見開いて驚くと、声を出して笑った。ラルフは腕を組んで首を傾げた。

「どうかした?」

「これをプレゼントしてくれた人が、まったく同じこと言っていたのよ。『いいところのお嬢さんに見えるわよ』って。だから可笑しくて」


 ひとしきり笑った美晴は、ふと気になっていたことを思い出して自分の瞳を指さした。


「そういえば、私はこのままでいいのかしら?」

「大丈夫だよ。私の顔は知られているし、ローザリンデと婚約したことも、もう広まっている。まあ、人目を集めるだろうが、下手に他人を装って、浮気していると噂されるほうが面倒だ」


「あら、そんな噂が立つようなお心あたりが?」

「お祖父様のようになるのは、やっぱり難しいのね」

 息の合った主従に、ラルフの眉間に皺が刻まれる。

「君たちは最近、よく似てきたよね……」

 渋い顔をするラルフに、美晴とエマは一際大きな声で笑った。


 淡い水色のワンピースに、ユリアーネから贈られた葡萄染めのストールを羽織る。つばの広い日よけの帽子も葡萄染めで、こちらはラルフが用意したものである。

 それらを身につけた美晴は、確かに地元の資産家のお嬢様に見えなくもない。しかし、瞳は王族の証、七色を閉じ込めた真珠の輝きを放つ。祭りの群衆に紛れることは難しいだろう。


 伯爵邸から町までは馬車で移動して、催しの中心である広場の手前からは歩く。

 ラルフも今日は簡素な上着に、いつもよりは少し細めのタイを紫水晶のピンでとめているが、領主の甥として顔の知られている彼は、もとより祭りの人だかりに慣れている。


 美晴がラルフの腕に手をおいて歩き出すと、すれ違う人が次々と驚きをあらわにする。覚悟していたとはいえ、美晴の顔は上気する。

 少し離れて、護衛のエッカルトとオリヴァーがついてくるが、彼らも今日は騎士服を脱いでいる。


 広場に入るところでラルフはエッカルトに声をかけた。

「今日は張りついていなくてもいい。どうせいたるところでクヴァンツ騎士団が警備についている。お前たちも楽しんでこい」


 エッカルトがゆっくりと首を振りながら、ため息を吐く。

「そういうわけにはいかないでしょう。ローザリンデ様がおられるのに」

「それを言うなら、私がいるのだから安心しろ」

「言っても無駄なのは承知してますけどね、もう少し部下の仕事のことも考えてくださいよ」


 美晴は、アルマに同じような言葉で叱られたことを思い出し、まっすぐに口を引き結ぶ。

「わかってるなら、言わなければいいだろう。もう部下ではないしな。まあ、なにかあれば連絡を入れるから」


 肩を落とすエッカルトと、笑うしかないといった様子のオリヴァーに、美晴が声をかける。

「ごめんなさい。無茶なことはしないわ。なにかあったら必ず連絡します」

「いえ、ローザリンデ様に謝っていただくことではありませんから。……我々はこの辺りで待機しております」


 ラルフとふたり、がやがやとした人いきれの中を歩いていく。美晴は大量の視線を浴びて落ち着かないが、祭の空気に気持ちは浮き立っていた。それをごまかすように、ラルフに話しかける。


「エッカルトも苦労するわね、仕える人が自由すぎると」

「あれで、切り替えがはやいのが取り柄だから。今ごろはそれなりに楽しんでいるよ」


「そうしないと、やっていられないということではないの?」

「諦めることも大切だよね」


 涼しい顔のラルフと隣の美晴の顔を見て、警備の騎士が慌てた様子で敬礼をする。ラルフが視線を返し、美晴は微笑を向ける。こういうときに頭を下げてはいけない、いやいかなる時も、と美晴はアルマに厳しく言われている。


「警備はクヴァンツ騎士団の人なのよね?」

「アルンシュタットはそれほど広い領地ではないからね。普段は伯爵家直属の騎士と、領民の自警団が治安維持を担っている。祭には自警団の者たちも参加するから、警備の人員はクヴァンツ騎士団から出している。お祖母様の里帰りのお供もあるしね」

「壮大な里帰りねえ」


 広場にはさまざまな露店が出ており、その間を領民や旅人、子どもたちが賑やかに行き交う。土産物の店や食べ歩きできる料理の店を冷やかしたり、ときおり「おめでとうございます」などと声をかけられたりしながら、祭の空気を味わう。


 広場からのびる大通りにも露店が並び、その先の第二会場には、旅芸人や芝居の一座が訪れて興行している。

 芝居小屋に入ってみたが、男女の恋愛模様を描いた喜劇に美晴は満足しなかった。


「昨日のユリアーネ様のお話のほうが楽しかったわ」


 苦笑するラルフは、お祖母様の話もかなり脚色があると思うよ、と言ったが、それでもユリアーネの物語のほうが芝居向き、ということには変わりない。

 芝居にするとなったら、さすがのアルベルトも反対するだろうか、いやそれでもユリアーネのおねだりには逆らえないかもしれない。


「日が傾いてきたね。葡萄畑のほうに行ってみようか。明日には実のついた樹はなくなってしまうから」

 町の外れ、伯爵邸の反対側から葡萄畑に向かうと、なだらかな斜面に葡萄の樹が連なっている。

「少しのぼるけれど大丈夫?」

「これくらい平気よ」


 踏み固められた土の上を、編み上げの靴で踏むと柔らかい感触がする。石畳を歩いて疲れた足には心地よい。葉の下からのぞく葡萄の実はたわわに実って、素人目にも収穫時だとわかる。


 伯爵邸からは見えなかったが、斜面の中ほどに少し広く空いたところがあり、素朴な木製のベンチとテーブルがおいてある。農作業の合間に休憩を取ったり、作業を行ったりするための場所らしい。


 ラルフがそこで立ち止まったので、美晴は来た道を振り返ってみた。少し暗くなりはじめた空に、祭の明かりが吸い上げられていく。


「手を出して」

「はい?」

 ラルフを見上げると、右の拳を美晴に向けて突き出している。掌を並べて差し出すと、ラルフは拳を開いて美晴の手を包み、なにかを握らせた。


 美晴が手を開いてみると、銀色の輪に虹色の石が乗った指輪があった。


「先に言っておくけれど、母上の入れ知恵だ。あちらでは婚約者に指輪を贈るそうだ、と」

 ラルフが照れながらも、少し残念そうにしているのは、指輪以上の贈り物を自分で思いつかなかったからだ。


「そう、ね。そういえばこちらではあまり指輪を見ないわね」

「精霊石の指輪は多いよ。魔力を使うのに便利だからね」


「実用品になるのね。この石は?」

蛋白石(オパール)だよ。美晴の精霊石ほどではないがよいものが入ったと、これも母上が。こういったものに今まで縁がなかったから、自分で選んだものでなくてすまない」


 ラルフの表情に、美晴は思わず笑みがこぼれる。

「選ぼうとしてくれた気持ちが嬉しいわ。ありがとう」

「どの指につける?」

「……左の薬指、かしら」


 ラルフは指輪を取り上げると、美晴の左手を取って薬指に通した。

 そのまま握った手が紫の光に包まれると、指輪は美晴の指にぴったりに納まった。


「えっ、ああ、魔法で大きさを変えたのね。ありがとう」

 うなずくラルフに、美晴は笑顔でもう一度礼を言う。


「気に入った?」

「ええ、とても。あ、でも……」

「気に入らないなら、別のものに変えるから言ってくれ」

「とても気に入ったわ。嬉しい」

 不安そうなラルフに、慌てて首を振るが一度口にしたことを忘れてくれるわけはない。


「私が選んだものではないから、気にしなくていい。たまにはわがままを言ってみたら?」

「ええと、指輪を贈ってくれて嬉しいし、とても綺麗だわ。ただ、石をそれと交換できたらいいなと思って……」


 薄暗い中でも顔が赤くなったことがわかる美晴が、ラルフの胸元を指さす。そこには青みの強い紫水晶(アメジスト)があしらわれたタイピンがある。美晴の言葉の意味を正しく理解したラルフは、頬をゆるめていとも容易く言った。

「いいね、私もそのほうがいいな」


 ラルフは美晴の手を引き、指輪の石をタイピンに重ね合わせる。紫水晶と蛋白石がカチリと小さく音を立てると、再び紫の光が美晴の視界を奪う。ゆっくりまばたきをした美晴が目を開くと、指輪とタイピンの石は入れ替わっていた。


 まるく見開いた瞳の上でまぶたををぱちぱちさせながら、美晴の口もとがゆるむ。


 指輪には紫水晶、ラルフのタイには虹色の蛋白石が輝く。それでも素直になれないのはきっと、今日のふわふわした気持ちが伝わっているとわかるから。


「魔法を気軽に使いすぎではないの?」

「たいした魔力は使ってないよ。お気に召しましたか? お姫様」


 銀色の台に青みの強い紫水晶の指輪は、ラルフの色そのままで、美晴は今度こそ素直にありがとうを伝えよう、と顔を上げた。


 だが、美晴が口を開くよりも先に、宵の空を背負ったラルフはおだやかに微笑んで、大切な婚約者の身を引き寄せると、静かに唇を重ねた。



 葡萄踏みは、アルンシュタット領の一大行事である。

 朝から伯爵家の葡萄畑では、流れるように葡萄の収穫作業が進んでいる。ほとんどの葡萄農家の収穫は終わっているため、領内の農家が総出で行う。


「お嬢様は今年もご機嫌だわねえ」

「もう、おばあちゃん、お嬢様じゃなくて、大奥様でしょ」


「いやー、お嬢様が侯爵夫人になったと思ったら、ラルフ様は大公女様とご婚約だなんて、アルンシュタットは安泰だなあ」

「じいちゃん、ラルフ様はアルンシュタットのお孫さんじゃねえよ。侯爵様のほうだよ」


 ユリアーネが子爵令嬢であった頃を知る者にとって、彼女は今でも自慢のお嬢様である。

 ユリアーネの父子爵がはじめたワイン事業は、アルベルトによって拡大し、エルネストの代になると、観光収入も増えてアルンシュタットはより豊かになった。


 領民は皆、侯爵家との縁をありがたく思っている。それをもたらしてくれた、ユリアーネお嬢様のための葡萄踏み。

 準備には力が入る。年に一度のこの行事はアルンシュタットの領民も、楽しみにしている。


 収穫された葡萄はすぐに選別され、葡萄踏みの会場へと運ばれる。大きな桶の中に次々と大粒の葡萄が放り込まれていく。満面の笑みで葡萄を見つめるユリアーネの側には、当然アルベルトが寄り添っている。


「いい天気でよかったね。今年の出来はどうかな」

「粒ぞろいの綺麗な実がつきましたね。いいワインになりますわ」


 桶の周りで侯爵家と伯爵家の子どもたち、葡萄農家の子どもたちが今か今かと待ちわびている。

 領内の若い女性も多く、彼女たちの視線を浴びる美晴も、真っ白なワンピースを着て興味深く作業を見守っていた。


「葡萄踏みをするのは子どもと女性だけなの?」

「男たちは葡萄運びが忙しいからね。それに女性と子どもが踏むほうが、美味しいワインになるそうだよ」


 ラルフの説明に美晴は胡乱(うろん)な目を向ける。

「印象だけの話でしょう?」

「いや、本当に。潰し過ぎると渋味が多くなって味に影響するらしい。だから身軽な子どもや女性が踏むと、ちょうどいいと聞いたよ」

「そうなのね。知らなかったわ」

 感心する美晴に、ラルフは不穏な言葉を投げかける。


「でも、エルネスト叔父上は、今年は大公女殿下が参加されるから、特別なラベルに変えて売り出そうかと言っていたけれどね」

「なにそれ、ちょっと詐欺みたいに聞こえるわよ」


「あの人は商売上手だからなあ。伯爵が役不足に思えるよね。ローザリンデが参加するのは嘘ではないから、大丈夫だろう。今年の“アントイネッテ”はよく売れそうだ」

 葡萄踏みで仕込む伯爵家のワインの名前は“アントイネッテ”、もちろん赤ワインである。


「……エルネスト様に、ラベルを変えないようにお願いして」

「言っておくよ。さあそろそろはじまるようだ。お祖母様の近くについていてあげてくれるかな。はしゃいで転ばないように」

「わかったわ。でも、私もはしゃいでしまいそうよ」


 美晴はユリアーネのもとへ行き、手を繋いで桶の中に足を踏み入れる。足の下で葡萄の粒が弾けていく。同じ桶に入ってきた子どもたちはあっという間に、紫紺色に染まる。

 遠慮のない子どもたちは、美晴やユリアーネにも手ですくった葡萄を浴びせかける。皆が葡萄にまみれるのに、さほど時間はかからなかった。


 賑やかな喧騒の中で、アルベルトの目には過ぎし日のユリアーネの姿が映る。あの日と変わらずきらきらと瞳を輝かせる妻に、目を細めているとラルフが隣にやってきた。


「お祖父様のお気に入りはこれをご覧になることでしたね」

「この世で一番美しい絵だ」

「そうですね、お気持ちが少しわかりましたよ」

 そうだろう、と満足そうにうなずくアルベルトは、ラルフの視線の先に目を移す。


「ローザリンデ様も楽しんでおられるご様子で、よかったな」

「お祖母様のことが大好きになったそうですよ」

「それは、ありがたいお言葉を。ユリアも喜ぶだろう。カールたちはグリュークス城へと言うだろうが、またここへもいらしてくださるよう、お願い申し上げてくれ」


 先代侯爵であるアルベルトにとってもクヴァンツ領は、自らの領地である。養子に出した次男が継いでいるとはいえ、アルンシュタット領はあくまで妻の実家に過ぎない。

 だが、妻に出会い、毎年彼女の最も美しい姿――アルベルトにとっての――が見られるこの土地を愛している。もしかしたら、自領以上に。


 祖父の胸中を思いやってラルフも笑みを浮かべる。

「また来年も来ますよ。ローザリンデも喜びます」

「是非、そうしてくれ」

「そろそろお祖母様はお疲れでしょう。引きあげますか」


 揃って妻と婚約者を迎えに行くと、ふたりとも手足はもちろん、真っ白だったスカートも斑らに葡萄色に染まり、顔や髪にまで果汁が飛び散っている。


 ラルフに笑顔を向けて美晴は興奮した様子で言った。

「楽しかったわ。すごい格好になっているでしょう? これがあの綺麗な葡萄染めになるのね、楽しみだわ」

「華やかな色にはなりにくいですけれど、染め方を変えると違う色合いにもなりますわよ」

「そうなのですね。ユリアーネ様にいただいたストールも素敵な色でしたけど、別の色も見てみたいですわ」


 すっかり打ち解けたようすの美晴とユリアーネに、ラルフも自然と笑顔になる。

 そして、ラルフはふと思いついたことを美晴の耳元で囁いた。

「あの指輪と近い色合いにもできると思うよ」


 美晴はわかりやすくときめいた表情になるが、少し考えてからつぶやいた。

「あんまりやり過ぎると、お父様のご機嫌が悪くならないかしら」

「確かに、そうだな……」


 その頃、王都にひとり残されたリューレ大公が、毎年愛娘をアルンシュタットへ連れて行かれることを恐れて、林檎祭りの開催を考えはじめていたことを、ふたりはまだ知らない。

本編完結後、たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございます!

ブックマークしてくださった方、評価やいいねをしてくださった方、とても嬉しいです。

ありがとうございました!!

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― 新着の感想 ―
[良い点]  その後のふたりの様子、とても微笑ましく読ませていただきました。  美晴とエマもいい関係になりましたね。  お父様。ふたりにとっては少々難儀かもですが、本当によかったです。大変だった分、…
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