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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第三章 父と娘

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45.美晴のこれから

「霧はどこから流れてきているのかしら」

 返事はしないでラルフの手を離すと、ひとりごとのようにつぶやいた。

 ラルフは目を細めて美晴の視線を追う。


「泉から湧く力のほとんどは、洞窟の中で地下に沈むそうだ。それが森の地面から再び湧き出して、湖へと流れてくる。ここからだとよく見えるだろう」

「これを見せたかったの?」

「いや、まだ少し時間があるから、私の話をしても?」


 ラルフの顔を仰ぎ見た美晴は、思いの外真摯な紫水晶の瞳に息を呑んだ。


「あらたまって、どうしたの?」

「あらたまった話だからね。先程のローザリンデの疑問にもかかわることだよ」


「それなら、ここでなくても」

「ふたりきりで話したかったからね」


 そう言うと、ラルフは美晴の正面に立ち、跪いた。

 美晴はたじろぐが、ラルフに右手を握られて動けなくなった。


「ローザリンデ・美晴・リューレ大公女殿下、ラルフ・ジークハルト・クヴァンツは騎士として、命ある限り貴女をお護りすることを誓います」


「……ラルフ?」

「どうか、『許す』と」


 美晴はラルフの態度にとまどいつつも、『美晴』とラルフが、正しく()()したことに気づいて驚愕していた。


「わ、私の護衛はずっとラルフだと思っているわよ?」

 美晴の言葉にラルフはこたえない。ただ、真っ直ぐに美晴を見上げてくる。

「……許します」


 ラルフは美晴の手の甲に口づけると、ゆっくりと立ち上がった。

「ありがとう」


「私の護衛はずっとラルフでしょう? どうして?」

「陛下の命令ではなく、ひとりの騎士として君の側にいたい」


 突然のことに、美晴の気持ちは追いつかない。だが、どうしても気になることを問う。

「『美晴』って……」


 ラルフは恥ずかしそうに視線を逸らした。耳が赤く染まっている。


「実はあの魔女には、二度会ったことがある。二度目は君が生まれたと知らせに来た。そのときに名前も聞いて、発音できるように教えてもらった」


 叔父上には内密にしてほしい、と言うラルフに美晴は納得できない。

「『発音に自信がない』なんて、嘘ばっかり!」


「大切な人の名前を正しく呼びたいと思ったからね。叔父上はご不快だろうけど」

「だって、そんな会ったこともないのに……」


 湖から柔らかい風が吹いて、ラルフ銀の髪を揺らす。銀糸の間から、美しい青紫の瞳は真っ直ぐに美晴を射抜く。


「妃殿下と約束をした。女の子が生まれたら騎士になって護ると。だから騎士になった。触れ回ったわけではないが、陛下や叔父上は私が騎士になった理由をご存じだ」


「……ラルフがずっと心配してくれていたのは、知ってる。ここへ来てからも、私が悩みすぎないように、気を使ってくれていたでしょう?」


 ラルフが美晴をあえて苛立たせたり、からかったりしていた理由は、もう美晴もわかっている。美晴の言葉にラルフは肩をすくめて、苦笑する。


「気づいていたのか。それでは格好がつかないな」

「はじめからではないわ。それに、感謝してるのよ」

 ならよかった、とラルフは目を細めた。


「私が国境警備の騎士団に入りたいと裁可を求めたら、陛下に反対された。本気で美晴の帰国を待つ気なら、近衛で大公殿下の護衛の任にあたれと。私はそれ以前も、叔父上のところへ出入りしていたから、込み入った話もある程度知っている。陛下としては、要らぬ情報を知っている私を、手もとに置いておきたかったのだろう。私が叔父上の事情に詳しいのは、中途半端に興味を持たれるよりは、と陛下が直接教えてくださったからだ。ちょうど王太子殿下にお話しされる機会に、同席させられた」


 そのときは不本意だったけれど、よかった、とラルフは溢した。

「美晴が現れたとき、やっと会えたと素直に思った。本当に待っていたんだ」


 熱を帯びる青紫の瞳に気圧されて、美晴は下を向く。だが、口からは素直な気持ちを言葉にする。


「ありがとう」

「美晴の騎士になることは、子どもの頃からの夢だった。それは叶ったが、満足はしていない」


 力強い声に美晴はうつむいたまま、ラルフの手を見つめる。

「美晴の後ろではなく、隣に立ちたい。どうか、私と婚約を結んでくれないだろうか」


「えっ」

 美晴が視線を戻すと、ラルフは少しだけ口角を上げている。


「美晴がこちらで育っていたら、本当に許婚(いいなずけ)になっていたかもしれない。小さいころから、結婚するんだよって言われてたら、その気になっていたかもしれないよ。うちの両親がまさにそうだ」


 クヴァンツ侯爵夫妻は幼馴染同士で、子どもの頃の口約束の婚約から、結婚までたどり着いた。それでいて、社交界で評判になるほど仲が良い。なかなか稀有な例である。


「そんな仮定の話で決められないでしょう」

「そうだね、なら現在からの未来の話。私は本気だけど、美晴はまったく考えられない?」


 真剣に詰め寄られ、美晴は思わず目を逸らした。顔に熱が集まる。


「……だって、吊り橋効果かもしれないし」

「それもわからない言葉だな。どういう意味?」


「危険なときや不安なときにどきどきしてるのを、そのとき一緒にいる人への好意だと勘違いしてしまうこと……」


 美晴は手で口を覆ったが、遅かった。ラルフは口の端をさらに上げてにやにやしている。


「好意はあるってことでいい?」

「勘違いかもって……」


「ならずっと勘違いしてて」

「どうして、急にそんなことを言いだすのよ」


「もう叔父上のご機嫌を気にする必要がないなら、いいかと思って。それに……」


 そこまで言って口を閉じたラルフは、明らかにしまった、という顔をしていた。

「それに?」

「いや、」

 続く沈黙に耐えられなかったラルフは、渋々口を開く。


「伝えるのも伝えないのも、どちらもずるいような気がして、悩んでいたのだけどね……。王宮と、あとクヴァンツ侯爵家に、大公女殿下への面会のおうかがいが殺到している」


 ため息とともに吐き出された言葉に、美晴はまばたきを我慢できなくなった。


「……お父様にお会いしたいから? どうして侯爵家にまで?」


「叔父上にではないよ。王家に連なる妙齢で美しい独身の姫君が突然現れた。お近づきになりたい貴族は、いくらでもいる。特に独身の息子がいる貴族がね。叔父上に伝手がある貴族はクヴァンツ侯爵家くらいだから、我が家にも探りを入れてくる。今のところ、王妃様と母上がすべめ握り潰しているけれど」


 ラルフは、夜会に出席した美晴を見てその気になった者も多い、という事実までは話さなかった。

 美晴は自分の容姿に無頓着だが、真珠のような虹色の瞳の美しい姫君は、今年の社交界で最も話題の人となっている。


「それらを黙らせるために、私と婚約するのは有効だけど、そのために申し込んでいると思われたくなかった。だが、公爵家などからも話がきている。会うだけでも、となっても困る」


 ラルフの右の眉が細かく震えながら上がる。

 美晴は、はあ、と呆れともため息とも自分にもわからないなにかを吐き出した。


「本当はもう少し待つつもりでいた。でも、叔父上と洞窟から出てきた美晴の顔を見たら、待っていられないと思って」


 美晴は左手を口にあてて、視線でラルフに問いかける。ラルフに握られたままの右手が熱い。


「憂いがなくなった美晴は、今までよりさらに美しく見えた。ほかの男が候補に上がることすら許せない」


「ちょっと待って、そんなことを急に言われても、私」

 今までのラルフとは人が変わったように、切迫した態度にとまどう。


 大切にされていることはわかっている。アンティリアで一番側にいてくれたのもラルフだった。

 自分の中に好意があることに、美晴も気づいている。でも、まだ出会って二か月も経っていない。


 ラルフは頬を緩め、しかし少しだけ眉を下げて左手も奪う。美晴の両手の指先を揃え、そこに軽く口づけを落とした。


「美晴の気持ちが固まるまでは結婚は待つよ。でも、婚約しないと、見合い話がなくならない。私のことを考えてくれる気持ちがあるなら、婚約は受け入れてくれないだろうか。考えた末に破棄することになっても構わない。それでも私は側にいるから」


 目の前の銀の髪を見ながら、美晴はアンティリアへ来てからの日々を思い返す。

 短い間に様々な出来事と感情に振り回された。期待と喜びに入り混じる苛立ちと不安。

 揺れ惑う美晴の心が迷子にならないように、ラルフがずっと手を取ってくれていた。今と同じように。


「私はラルフのことをなにも知らないわ」

 ラルフは美晴の指先を見つめたまま、黙っている。

「でも、ずっとラルフが私のことを想ってくれているのはよくわかったわ」


 つ、と美晴がラルフの手を引くとラルフが立ち上がり、ようやく視線が交わる。


「ずっと、美晴のことを想っていた。やっと会えてうれしかった。今は美晴が愛おしいと思っている」


 ラルフの唇が少し震えている。ラルフの緊張している姿を、美晴は可愛いと思った。素直な言葉が口をついて出てくる。


「私もラルフが好きだわ」


 大きな腕の中に抱き締められる。ありがとう、という言葉が耳元に届くと、美晴は体中の熱が顔に集まったような気がした。


 力強い腕と恥ずかしさに身動きが取れない。

 それでも体を離そうと美晴が身じろぎすると、ラルフの腕がゆるんだ。


 ほっと美晴が息を吐いた瞬間、唇の端にラルフのそれが落ちてきた。唇は重なってはいない、長い長いひとときが過ぎ去ると、空を見上げてラルフが言った。


「ああ、終わったようだ。ほら」

 ラルフは固まっている美晴の肩に手を回して、泉の洞窟のほうへ体を向けさせる。


 美晴の視界が虹色に染まる。対岸の丘の上から美晴の瞳と同じ色に渦巻く輝きが、空に弧を描いていく。

 今まで見た中でもっとも美しい虹に、美晴が感嘆のため息をもらす。


「叔父上が洞窟を封印すると魔力の虹が現れる。これを見せたかった。……今までは叔父上の瞳の色だったのにな。私たちがここにいるとわかっていて、わざとなさったのだろう」


 封印を施す際に必要な魔力は、ほかの魔法よりも多い。クラウスでも、転移の魔法で駆けつけ、さらに異世界の扉を開いた後に、封印の魔法を使うには時間がかかる。

 それを見越してラルフは美晴を連れ出したのだ。


「今までは?」

 美晴はクラウスの魔力の虹の美しさに見惚れていたが、それでもラルフの言葉の違和感に気がついた。

 ラルフの表情も普段の引き締まったものに戻り、肩をすくめる。


「毎年王宮に帰ったふりをして、叔父上が泉に向かうのをここから見ていた」


「ラルフはなんでも知っているのね」

 ハンスとアルマに素知らぬ顔で詰め寄っていたのは、何だったのか。呆れた美晴がこぼす。


「そうでもない。どうすれば美晴に結婚を承諾してもらえるのか、皆目わからないよ」

「待つと言ったばかりよね?」

「私はいつまででも待つけれど、うちの母は待てないと思うよ」


 美晴がラルフとの婚約を承諾した、とフリーデリケの耳に入ったらどうなるのか。美晴の目にもその光景がありありと浮かぶ。


「……それはずるいでしょう」

「とはいえ、まずは叔父上だな。どれだけ渋い顔を見せてくださるのか楽しみだ。さあ、帰ろうか」


 手を引くラルフをにらみつけながら、美晴は彼の背後の空に微かに光るクラウスの魔力の残滓に気づいた。


 美晴の魔力と同じ、七色を閉じ込めた真珠のような輝き。その光に美晴は親友への思いを託した。

お付き合いいただきありがとうございました。

ひとまずここで完結といたします。

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― 新着の感想 ―
[一言]  完結おめでとうございます。  十万字を超える物語、本当にお疲れ様でした。  ラルフ、いろんな意味でよくやりましたね。  間違いなく一番の功労者なのでしょうから。幸せになってほしいと思いま…
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