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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第三章 父と娘

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36.大公の不在

 美晴はひとり、大公邸の自室のソファに行儀悪く体を投げ出していた。

 ドレスがしわになるとか髪型が崩れるとか、ご令嬢は大変だな、と他人事(ひとごと)のように思う。


 窓の外には、夏の終わりの夕陽が、名残惜しそうに赤い光を広げている。あの夕陽は、日本で見た太陽と同じものだろうか。それともまったく違う別の太陽なのか。


 クラウスの不在を聞かされた美晴は、とりあえずひとりにしてほしいと、部屋に閉じこもった。

 心配するラルフやエマに、大丈夫だからお願いだからひとりにして、と強引に扉を閉めた。


『気持ちが落ち着かないのに、ひとりでいるのはよくないわ』


 いつかの冴子の言葉が、浮かびあがる。

 でも今はとにかくひとりになりたかった。心配されることが辛い。


 なにか考えないと、これからどうするか。でもなにもしたくない。体を動かすこともおっくうで、ただただ沈む夕陽をながめていた。



「どういうことなんだ」

 うなだれるハンスとアルマを前に、ラルフは苛立ちを隠さないが、もちろん彼らに非がないことはわかっている。


「昨日の昼過ぎに急に、城へ帰ると。もちろんお止めしましたよ、明日にはお嬢様が戻られるのですよと。ですが、まったく聞き入れてくださらなかったんです!」

 ラルフ以上に苛立っているアルマは隠すどころか、あからさまに怒っている。


「お帰りになるなら、準備をいたしますからと申し上げたら、我々にはここに残ってお嬢様のお世話をするようにと仰いまして、その後すぐに転移の魔法で」

 ハンスはひたすらお嬢様に申し訳ないと、肩を落としている。


 ラルフは声を荒らげて、姿を消した彼らの主人に怒った。

「転移で帰った? なにを考えているんだ、あの人は!」


 美晴を王宮へ連れて行く際に、国王は転移して来いと軽く言ったが、実際には転移の魔法はそう簡単に使えるものではない。


 離れた場所に精霊術士や魔術士が組んだ魔法陣を用意して魔力を注ぐと、陣の上に載せた物を転移させることはできる。

 ただし、その方法で人を送ることはできない。多くの術士たちが長い間研究し、試みてきたが、いまだ成功していない。


 魔法陣の上に載った生き物は、空間を転移することなくその場で命を失う。もしくは転移はするが、転移先の魔法陣には現れないまま、永遠に消え失せる。


 しかし、アンティリアの王族だけは、魔法陣を使うこともなく、身ひとつで望む場所に転移することができる。また、『王家の精霊石』を用いれば、人が魔法陣で転移することも可能となる。しかし、『王家の精霊石』は貴族にさえ、滅多なことでは下賜されない。


 したがって転移の魔法は事実上、アンティリアの王族しか使うことができない。王族とて、多くの魔力を要するその魔法を頻繁に使うことはない。


 要するに、クラウスはそこまでして()()()のである。


「アルマ、叔父上がここまでする理由に心あたりはないのか」

 アルマは怒りを鎮めて考えていたが、首を横に振った。

「わかりません。ラルフ様もご存知の通り、この二年は口数も少なくなっておられましたから」


「そもそも、ローザリンデがこちらへ来る手段をととのえたのは叔父上だろうに。それでいて、彼女と話そうとしないのはなぜなんだ。いい歳した父親が、娘に対してすることではないだろう」


 ラルフが銀の髪に手を入れてかき回す。絹糸のようなそれはサラサラと指をすり抜けて、ほとんど乱れることはない。

 黙っていたハンスが、ラルフ様と声をかけた。


「殿下のお気持ちを私が拝察するなど、おこがましいことですが」


「いや、もうあの人の考えていることは、誰にもわからないと思うよ。なにか気づいたなら、教えてくれ」


「お嬢様にお会いになりたい、と思われていたことは、間違いないです。妃殿下がお帰りにならないことも、ご理解はされていたはずです。ですがそれが現実となって、あらたに後悔されているようにお見受けしました」


 クラウスが山ほどの後悔を抱えていることは、ラルフもよく知っている。

 文乃を召喚したこと、引きとめたこと、引きとめられなかったこと。


 そのときどきに、出来る限りのことはしてきたはずだった。


 だが、それは間違っていたのではないか、と考えてしまう自分から、クラウスは逃れられないのだろう。


「後悔? ローザリンデを呼んだことを?」

「いえ、そうではなく。お嬢様に実際にお会いになって、ご自分が妃殿下を失ってしまわれただけでなく、お嬢様も母君を亡くされたのだと、実感なさったのではないでしょうか」


「それも叔父上のせいだと? なにもかもご自身のせいになさる。悪い癖だ。謙虚を通り越して、いっそ卑屈だ」


 さすがに言い過ぎだとハンスは思うが、ラルフの怒りももっともなので苦笑にとどめる。

「お嬢様が王宮へ向かわれてから、ずっと考え込んでおられましたが、一度ぽつりとこぼされたのです。『なぜ、行いが自分だけに返ってこないのか』と」


「ローザリンデは母君を失ったことを、叔父上のせいだなどと思っていないだろう。ほかの誰であっても。病だったときいている」


「それもおわかりになった上ででしょう。ああいうお方ですから。私の見当違いかもしれませんが」


 ハンスにも、いろいろな思いがあるのだろう。いつもおだやかな男の顔に、苦悩の色が浮かぶ。


「会いたいが、あわせる顔がない、といったところか。……自分で決められることは少ない、か。自らの心ですら、ままならないのだな」


 いくらか冷静さを取り戻したラルフは、主人に振り回されて疲れきったふたりの表情を、少しでも解そうと軽口を叩いた。


「本当に、あの人はどうやって、妃殿下に結婚を承諾してもらったのだろうね? あの調子で女性に気の利いたことを言えたとはまったく思えないな」


 アルマがやっと頬をゆるめて、柔らかな顔になる。

「気の利いた言葉をいえないお方だったからですよ」

 ハンスも少し目尻を下げてうなずいた。


 そこへばたばたと足音を立てて、エマがかけ込んできた。

「ラルフ様!」

 途端にアルマが厳しい顔でたしなめる。

「なんですか、騒々しい」

「も、申し訳ありません。ですが、お嬢様が!」



 ラルフが三階まで階段をかけ上がると、足下にふわりと光る霧が立ちのぼった。目指す扉から虹色の霧が漏れだしている。


 窓の外はすでに陽が落ちて暗い。壁の灯しかない廊下が、床に流れる虹色の輝きに照らされて煌めく光景は、不安をかき立てる。


 急いで扉にかけ寄り、強く叩くが不自然な抵抗にラルフの拳は手応えなく弾かれた。

「ローザリンデ! ローザリンデ!」


 追いついたエマは、息を切らして肩を揺らしている。

「お食事を運ぼうとしたら、このようになっていて。扉は開きませんし、ドアノブもまったく動かなくて」


「……結界が張られている」

「結界! お嬢様が?」

「おそらく無意識だろうが、完璧な結界だ」


 ラルフは腕組みをしてうなる。美晴は魔力の流れも、その使い方も知らないはずだ。

 だが、ラルフがこれまで見た中で、最も強固で美しい結界が目の前にある。


「これを破るのは私には無理だな、ローザリンデに気づいてもらわないと。魔力で干渉するからエマは下がって」

「はい」


 エマが離れたことを確認してから、ラルフは右手に魔力を集めはじめた。紫の光が掌の上で球になると、ラルフは部屋をぴったりと包む結界に向けて叩きつけた。


 バリンッと硬質な音がして、紫色の粒子が火花のように飛び散るが、扉はびくともしない。だが、結界の内部に、外でなにかが起こったことは伝わったはずだ。


 伝わってくれ、という思いでラルフはもう一度魔力をまとわせた拳で、扉の表面に張りつく結界を叩いた。

「ローザリンデ!」


 そのとき、ラルフの騎士服の胸元で虹色の光が輝いた。ラルフは急いで取り出した通信石を掌にのせる。


「……ラルフ?」

 不安そうな美晴の幻影が現れ、ラルフはほっと息を吐いた。


「ローザリンデ、よかった」

「なにか起きたの? 私、少し眠ってたみたいで。さっきの大きな音はなに?」


 美晴は夕陽をながめているうちに、眠りに落ちていた。無意識どころか、覚醒していない状態で結界を張っていたのだ。


 ラルフの魔力を結界が弾いたことで、その音と結界への干渉に驚いて目を覚ました。

 部屋の中で光る虹色の霧から逃れようにも、扉はピクリとも動かない。途方にくれたところで、通信石の存在を思いだしたのである。


「とりあえず、結界を解かないと。私にはできないから君が自分で解くしかない」


「結界?」

 美晴の掌の上で、紫の光に包まれたラルフの像が揺らめく。

「これほどの結界を、本当に無意識に発動したのか」


 通信石が機能しているから、美晴はラルフを拒絶しているわけではない。「ひとりになりたい」と言った通り、ひとりになれる場所を作りだしてしまっただけだ。まったく意図せずに。


 ラルフは片手を額にあてて考えていたが、小さくうなずくと美晴に語りかけた。

「ローザリンデ、まだひとりでいたい? 私と話はできるか?」


「話せます、ごめんなさい、……ひとりにしないで」

 ラルフは一緒にいるから大丈夫だと、虹色の美晴を安心させるようにいった。


「ゆっくり息をして、周りに霧のように魔力が見えているだろう? それが動いているのがわかるか?」

 足下で光る霧は、確かにゆっくりと波のように動いている。


「わかる。波のように動いている」

「その動きを感じることができるはずだ。大丈夫、落ち着いてゆっくり呼吸をして」


 美晴が意識して呼吸を整えると、魔力の波がゆるやかになっていく。美晴の呼吸が波と同調している。


「私の呼吸で動いているの?」


「そう、それでいい。その動きが体の中にもあるから。目を閉じて、自分の中で動いている流れが外につながっていることを感じるように。大丈夫、できるからゆっくり息を吸って」


 ラルフの声が耳に心地よい。目を閉じて呼吸に集中する。呼吸と鼓動が和らぐと、その振動が体の外へと響いていくのがわかる。


 まぶたの裏に虹色の光がふわりと届く。その中に一点、紫の光がさしてくる。ラルフの魔力に意識が引き寄せられる。美晴は逆らうことなく、その力にすべてを委ねた。


 パチンッと鋏で糸を切るような音が聞こえた。


 すぐに扉が開き、廊下の灯を背にしたラルフが入ってきた。

 虹色の霧は、急速に渦を巻いて一点に集まると、美晴の胸へと吸い込まれていく。


 ラルフの顔を見て安心した美晴は、その場に座り込んだ。ラルフは側にかけ寄り、背中をさする。


「大丈夫か? 気分は?」

「大丈夫、……ごめんなさい。私がやったの?」


「気にしなくていい、自分で解けただろう? はじめてでよくできたよ」

 ラルフは美晴を支えてゆっくり立ち上がらせると、ソファに座らせた。


「ラルフが手伝ってくれたのでしょう? 貴方の魔力が見えたわ、ありがとう」

 ラルフは軽く首を振ると、扉の側で様子をうかがっていたエマに声をかけた。


「エマ、お茶を用意してくれ。ハンスとアルマにはもう大丈夫だからと。あと、エッカルトを呼んでくれ」

 エマはすぐに動き出した。


 エマがいなくなると、すぐにエッカルトがやってきた。

「エッカルト、ご苦労だがこれから叔父上のところへ行ってくれ。いつでも連絡が取れるように。叔父上に逃げられるなよ。今日のことをお知らせして、私が怒っていると」

「承知しました」


 エマとエッカルトが一緒に下がると、ラルフは美晴に向き直ってようすを確かめる。

「本当に具合は悪くないか? 頭痛やめまいは?」


「大丈夫よ、驚いただけで。心配かけてごめんなさい。ねえ、ラルフ、お父様にお知らせするのは……」


 やめて、と言おうとする美晴をラルフはさえぎる。

「叔父上のせいで、このようになったのだから、報告するのは当然だろう。ローザリンデが嫌だと言っても、これは譲れない。私は怒っているんだ」


 ラルフの口調はおだやかだが、表情は険しい。


「ローザリンデ、君も怒っていいんだ。いや怒るべきだ」

「私に怒る権利はないわ。ここへ来た日に、お父様は『会いたかった』って言ってくれたの。それは本心だと思うけど、でも、私がお父様から母を奪ったことも事実なのよ。お父様が私を見て辛い気持ちになるのなら、一緒に暮らすことはできないでしょう。お父様は悪くないわ」


「君も悪くない。それに、叔父上がどう思っているのかもわからない。なにも話さずに勝手に結論を出すことはない」


 ラルフは怒りを表さない美晴にも、怒っているようだ。だが、美晴に怒りの感情は湧いてこない。

「ラルフはどうしてそんなに怒っているの?」


「君が、たったひとりで、ここへ来たのは父親に会いたかったからだろう? 君の望みはそれだけなのに、叔父上自身であっても、邪魔はさせない」

 ラルフの声が一段と大きくなり、美晴は驚いて目を見開いた。


「すまない、大声を出してしまった。怒っているのは私だけだな。ローザリンデ、君は怒っているわけではないな。我慢しなくていい。泣きたいなら泣けばいい」


 ラルフは言い終える前に、美晴の体を引き寄せた。

 虹色の瞳から涙があふれだしたからだ。


 大きな掌の動きにうながされるように、涙が次々とこぼれ落ちる。

 はじめてクラウスに抱きしめられた、あのときを思いだす。父の大きな胸の中でやっと会えた、とただうれしかった。


 しかし、クラウスにとっては悲しみを呼び起こしただけだったのかもしれない。なんと残酷なことをしてしまったのだろう。

 それでも、父を恋しく想う気持ちは、日々大きくなる。


 ラルフはわかってくれた。自分の代わりにこんなにも怒ってくれている。それが、うれしいのか、悲しいのかわからないまま、美晴はラルフの胸にすがって泣き続けた。

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