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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第二章 アンティリア王国
35/50

35.王宮からの退出

「大公邸を出発する前に、王宮への到着が遅れても構わないから、ローザリンデと話をしたらどうか、と申し上げた。だが、『なにを話しても言い訳にしかならない。どんな言葉をかければ良いのか、言葉がみつからない』と仰った」


 どういう意味かわかるかと、ラルフは美晴にきいたが、わかるはずがない。ただ首を横に振る。


「そうだろうね、私にもわからないが、叔父上はローザリンデに、なにか負い目のようなものがあるのだと思う。だが、もし君が父親に対して含むところがあるなら、そもそもこちらへ来ることはなかっただろう?」


「私はお父様の名前しか知らなかったわ」

 困惑する美晴にうなずいて、ラルフはおだやかに続けた。

「そうだね、私も言った。なにも知らずに、たったひとりでこちらへいらした、それで充分ではないですか、とね」


 美晴は驚き、そして目から涙があふれそうになるのを必死に我慢した。美晴の瞬きの理由にラルフは気づいていたが、それには触れなかった。


「だが、叔父上は『私の問題はそういうことではない』と仰ってね、これも意味はわからない。『私の』と仰ったからには、叔父上がなにかを()()()()()()()のだと思う。こう言っては申し訳ないが、叔父上はずっと人を避けて過ごしておられたから、ちょっと頑固な面が強くなってしまっている。この二年間でさらにひどくなった」


 クラウスのそうした部分は、エマにも覚えはあるらしく、小さくうなずいている。それを見た美晴は、自分が父から奪ってしまった時間の長さを思う。だが、ラルフは美晴を見つめて首を横に振る。


「さっき君が言った通り、それは『自分では決められない』ことだよ」

 美晴もラルフの視線をまっすぐに受け止める。

「はい」


「正直なところ私は、君にとっては考えもしなかった、というようなことではないかと思っている」

「だから、勘違い?」

「そう、でもこればかりは直接叔父上と話すしかない。大公邸に帰ったら、ゆっくりふたりで話すといい」


 ラルフは腕を伸ばして美晴の頭をぽんぽんと、優しくなでた。

 美晴は子ども扱いね、と思ったが知恵熱を出したばかりでは苦情も言えず、大人しくされるがままになっていた。


「さあ、まだ疲れているだろう。もう何日か休んで、陛下にご挨拶したら大公邸へ帰ろう」

「ラルフも一緒に?」

「私はローザリンデ殿下の護衛ですよ」


 わざとらしくかしこまったラルフに、美晴はもうひとつ気になっていたことを口にした。


「ラルフはそれでいいの? よくわからないけど、近衛騎士って簡単になれるものではないのでしょう?」

「近衛を辞めるわけではないよ。ローザリンデの身分は王族に準じるから、もともと近衛の護衛対象者だ」


 そういうことを聞いているのではない、という美晴の視線を受けてラルフは肩をすくめる。


「私は近衛騎士になりたかったわけではないから、気にしなくていい。簡単にはなれない名誉ある騎士ではあるけど、実際に剣を振る機会は少ないからね。クヴァンツ騎士団という手もあったのだけど、二番目の兄が騎士団長を継ぐことは決まっているから、私がいるとやりにくいだろう。それで国境警備の騎士団に入ろうとしたのだけど、陛下に邪魔をされてね」


 国王が邪魔をする、という意味がわからなかった美晴は小さく首をかしげる。


「大公の護衛を入れ替えるから、近衛に入ってお前がやれ、と言われた。実際にはさっき言ったように、叔父上を監視しているふりだ。しかし、私の前任者は真面目に任務を果たそうとして、叔父上はかなり不快に思っておられた。私の仕事は、月に一度大公領にご機嫌うかがいに行くことと、年に一度、王都の大公邸に滞在する叔父上の護衛だけだ。あとは王宮で通常訓練に参加するだけで、実は暇だった」


「暇……」

「部下たちも、今話題の大公女殿下の護衛になれると喜んでいたよ」

「話題!?」


「虹色の真珠の瞳のお美しい大公女殿下は、お父上譲りの美貌で夜会の出席者の視線を釘づけになさった……との評判ですよ」

 なにそれ、とつぶやいた美晴はじっとりとラルフをにらんだ。ラルフは喉の奥で笑いをこらえている。


「王宮で本当にそういう噂が流れている」

「そういうのは、いらないです」

「なら、はやく帰ろうか」


 幼子をなだめるようなラルフに、美晴は素直にうなずいた。



 結局、その後三日は寝室から出ることを許されず、美晴が王宮を退出する頃には、当初ラルフが言った通りひと月が過ぎようとしていた。


 退出の挨拶の場で国王が、望むことはあるかと美晴に問うた。

「私は父に会うためにアンティリアへ来ました。父と過ごす時間を得られれば、ほかに望むことはありません」


 きっぱりとこたえた美晴の表情に、国王は少し驚いてから声を上げて笑った。

「クラウスにそっくりな顔に騙されておったな。そなたは確かにアヤノの娘だ」


 さんざん引きとめて、このまま王宮で暮らせばいいのに、と美晴を困らせた王妃は、大公殿下とまだほとんど話していない、というラルフの言葉にようやく諦めた。


「お部屋はそのままにしておきますから、いつでもいらっしゃいね。王宮は近寄り難いでしょうけど、貴女から来てくれないと、わたくしからは会いに行けませんからね」


 王太子フェルディナント・アルブレヒトは髪こそ国王と同じ金髪だが、顔はどちらかといえば母親似で、その瞳も母譲りの美しい紅が目立つ虹色である。


「母上がそのうちなにかと呼び出すでしょうから、お願いしますよ。叔父上によろしくお伝えください」

「まあ、母に対してなにを言うのかしら。シャルロッテも、もっとお話ししたかったわよねえ」


 王太子妃シャルロッテ・ウルリーケは、飴色の瞳を同じく細めてうなずく。華奢でまさにお姫様といった可愛らしい王太子妃は、それでも美晴よりふたつ歳上だという。


「本当に、またぜひいらしてくださいませ。いつでもお待ちしていますわ」


「ありがとうございます。また必ず参ります」

 日本ではまったく縁のなかった親族が、アンティリアには確かに存在していた。


 この国で母が頼りにしていた人たちが、美晴のこともとても大切に思ってくれている。



 帰途には王家の馬車が用意されていた。大きさや設えは大公邸の馬車も引けを取らないが、扉に施された王家の紋章の存在は、それに詳しくない美晴の目にも風格が感じられた。


 あらためてラルフの部下たちの挨拶を受け、馬車に乗り込むと美晴はほっと息を吐いた。

 続けて乗り込んできたラルフは美晴の正面に座ると、なにやらうなずきながら笑った。


「なあに、にやにやして」

「いや、王宮は居るだけで緊張しただろう? おつかれさま」


 ラルフ自身も王宮は苦手らしいが、近衛騎士にとっては職場であるはずだ。美晴がそれを口にすると、だから近衛は嫌だったんだと肩をすくめる。


「白亜の宮殿は、遠くからながめているのが一番美しいんだよ」

 美晴はくすくす笑いながら、気になっていたことを聞いた。


「王家の馬車で帰ったら、目立ってしまわない?」

「今度は目立つことが必要なんだ。大公女殿下が大公邸へ戻られるとね。そろそろ王都に噂は広まっているだろうから、本当だと市井の人びとにも知らせるためにね」


 国王が認めた大公女が王家の馬車に乗っている。大公女が帰国した、と喧伝しろということらしい。


「やっぱり国王陛下にかかわることは、いろいろ面倒が多そうね。……お父様には、私が帰ると連絡してくれたのよね?」


 王宮に滞在している間、ラルフは不自然なほどクラウスの話をしなかった。美晴が気づいていることもわかっているはずなのに、それでもなにも言わない。


 クラウスに口止めされているのか、美晴には聞かせたくなのか、どちらかだろうと考えていた。

 予定を詰め込まれ、その後体調を崩したことで、美晴からは聞き難くなってしまった。


 クラウスから美晴へ直接の連絡もない。不安に思っていたことが、やはり事実なのではないかと恐れていた。


 ――お父様は、私と居ることが辛いのかもしれない――


 クラウスは美晴を娘として受け入れてくれた。

 それでも、美晴が愛する妻を失ったことを突きつけ、また別れの原因となった存在だという事実が、美晴の心にずっとのしかかっている。


 下を向いた美晴の視界に、可愛らしいピンクのリボンがかかった箱が差し出された。


「ほら、またいろいろ考えない。叔父上にはもちろんお知らせしてあるよ。王宮でのあれこれも逐一報告している。『わかった』くらいの返事しかないけれど、それはいつも通りだ」


 美晴は手を伸ばして箱を受け取り、うなずいた。

「直接会って話すまでは、楽にしていればいいよ。それでも食べてて。ほらエマにも、約束のものだよ」


 エマは、リボンの色が異なる箱をふたつ受け取った。

「わあ、覚えていてくださったんですね。ありがとうございます! ここのクッキー、お高いのにすぐ売り切れてしまうそうですね。女官の方々が言ってました」


 ひと月の間にエマは王宮の女性たちに、かなりの伝手を得ていた。


「侯爵家の地位もこういうときには役に立つよね。母上の名前で注文したら、すぐに用意してくれたよ。ああ、そうだローザリンデへの贈り物は後から届くから、よろしく頼むよ」

 エマはえくぼを見せて、承知しました、とこたえた。


「贈り物って?」

 ラルフはうんざりした顔でため息を吐いた。


「両陛下からドレスやら、アクセサリーやらいただいただろう。それに王妃陛下から()()に、ローザリンデの採寸表が渡って、クヴァンツ侯爵家からもかなり届いている。ああ、あとお近づきになりたい貴族たちからも、あれやこれや。大公邸に届けるように、手配だけはしておいた」

「採寸表……」


 聞き捨てならない単語に、美晴のこめかみがぴくりと動く。王妃の侍女たちにもみくちゃにされて、身体のありとあらゆる箇所を採寸された。

 夜会のドレスが必要だと王妃に言われれば、したがうしかなかったが、なぜ妹のクヴァンツ侯爵夫人にまでそれが渡ってしまうのか。


 美晴は甥であり、息子であるラルフに非難の視線を浴びせる。

「私じゃないよ。あのふたりは昔から本当に仲がいいんだ。陛下も父上も止められないんだから、諦めてくれ」

「いや、だって、そんなの!」


 美晴の叫びが響く車内で、ラルフとエマは生あたたかい視線を向ける。


「まあまあお嬢様、せっかくですからクッキーいただきましょう。とっても美味しいそうですよ」

「太ったらドレスが入らなくなるじゃない!」

「大丈夫ですよ、お嬢様はちっとも太ってませんから」


 美晴とエマのやりとりを聞きながら、ラルフはほっとしていた。


 しかし、大公邸で美晴を出迎えてくれたのは、これ以上ないほどの渋面を作ったハンスとアルマだけで、そこにクラウスの姿はなかったのである。

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― 新着の感想 ―
[一言]  王宮内でも文乃に近しい人々は、本当に美晴にも優しく。彼らの態度を通して、ここでの文乃の存在の大きさを窺えるようでした。  王妃様も、ラルフの母君も。いいですね!  もう少し、向こうの言葉を…
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