34.勘違い
「瞳の色が生来のままだったのも、そのせいだろう。すべての魔力を使いきって、あちらの子どもとして生まれた。そのために、帰らなければならなかった……」
美晴は黙り込み、広い寝室から音が消えた。その中で、エマがふたりのようすをうかがいながら、ためらいがちに口を開いた。
「ラルフ様、私は席を外したほうがよろしいのでは」
「いや、ローザリンデにかかわることは、なるべくエマも聞いておいてほしい。エマが知らなくていいことは話さないから。ローザリンデ、謁見で陛下が君だから話されたことはわかっているね?」
国王は「公にすることはできぬ」と言った。「王家の史書」という言葉もあった。それらはエマが知らなくていいことだろう。美晴はうなずいた。
「この部屋は防諜もしっかりしているし、むしろローザリンデと私が、ふたりきりになるほうが良くない」
「……承知しました」
大公女が、護衛とはいえ男性とふたりきりになるのは、どんな噂を呼ぶかわからない。
王宮の侍女や女官たちは表面上は親切だが、突然現れた太公女殿下に興味深々であることは、エマも知っている。
「それで、私はなにに気をつけたらいいの?」
「気をつけないといけないと、わかっているだけでも今は充分だけれどね。ローザリンデの器はアンティリアで、いや、おそらくこの大陸でも、最も大きいのではないかと思う」
「はい?」
美晴は無意識のまばたきを、ぱちぱちと繰り返す。
「君の加護は国王陛下がお話になった通りだけど、複数の加護が均等というよりは、それぞれがかなり強いのではないかな」
美晴の加護は『光と闇』であると国王は言ったが、それは王家の秘密だ。ラルフですら話を聞くまでは、すべての加護が均等なのだと思っていた。
実際に、美晴の魔力はほかの加護のものも、一般の貴族がもつ魔力より、よほど強い。
「『精霊の加護』の器が満ちるということは、それこそ二十五年前のようなことでもなければ、ありえない。だが、私の器が満ちた状態よりも、今のローザリンデのほうが、はるかに魔力は多いはずだ」
ラルフには『氷』と『火』のふたつの加護がある。精霊石を作れる貴族の中でも、かなり大きな器だ。そのラルフの最大量よりも、美晴の常態のほうが魔力が多い。
それがどれほどなのか、自分の魔力を感じることもできない美晴には想像もつかない。
「それを、知られないようにしないといけないのね?」
ラルフは、膝の上で手を組みながらうなずく。
「そういうことだ。私は叔父上の監視役を仰せつかっていると言っただろう? 陛下は叔父上に叛意など微塵もないとご存知だが、周囲の者は警戒する。だから、監視をしていると示すために、私がそういう動きをしている。叔父上も私がうろつくのを拒否すると、もっと面倒なことになるから、受け入れていらっしゃる」
「お父様の器も陛下より大きいのね?」
ラルフはもう一度、首を縦に振った。
『光と闇』の加護は表裏一体、光が闇も司る。そして光の精霊が六つの精霊を生んだ、と国王は語った。
『光と闇』の加護がほかの六つの加護の上位にあるとすれば、当然クラウスの器は国王のそれをしのぐことになる。
「器の大きさは、一見してはかれるものではないけれど、貴族は精霊石を作るために、ある程度わかってしまう。叔父上は隠しておられたが、二十五年前の一件で隠しきれなくなった。表向きは、当時王太子でいらした陛下に、万が一にも危険があってはならないから、叔父上が動いていることになっていた。それでも、叔父上の立場はかなり難しいものになった。今の王太子殿下の器が、陛下よりも小さいとわかってからは特にね」
第二王子であったクラウスは、召喚術にかたくなに反対した。ならば、アルトゥール王太子殿下が行えばよいではないか、という声は少なくなかった。
アルトゥールの派閥に属さない者たちにとって、「アルトゥール殿下は国王に相応しくない」とする材料は魅力的だった。
その後も、クラウスを玉座にまつり上げようと近づいてくる者はちらほら現れたが、クラウスはその度に、父王に注進に及んでいた。
父王が崩御してアルトゥールが即位すると、クラウスはリューレ大公に封じられ、以来王宮には近寄らなくなった。
「ローザリンデの瞳の色は、突出した加護がないように見える。おそらく陛下はそのような話が流れるようにはからわれるだろう。それでも叔父上の娘だからね、いろいろと想像する人はいる」
ラルフは器用に右の眉だけを動かした。不快なときにその癖が現れると、美晴は気づいていた。
「私の器が大きいと知られると、よからぬことを考える人が私のところへも、なにかささやきにに来るかもしれない?」
美晴はラルフの顔をうかがう。ラルフは音を立てずに手を叩いた。
「今さらだけど、大公女ってどういう地位?」
「大公殿下には王位継承権がある。大公女殿下にはない」
美晴が考えている様子を見ながら、ラルフは続ける。
「王太子殿下は一昨年にご結婚されたが、まだ御子はいらっしゃらない。王太子殿下に男子でも女子でも御子が生まれれば、叔父上の継承権はなくなる」
そこでまで話すと、ラルフは一段と声量を落とした。
「だが、現状のまま王太子殿下に万が一のことがあれば、叔父上が王位継承順位第一位となる。もしそうなれば、ローザリンデにも継承権が発生する」
美晴は目を見開いて息を詰めた後、意識して大きく深呼吸をした。
「国王陛下が謁見を急いでいたのは、私のためじゃなかったのね」
ラルフは苦笑を隠さないが、なだめるように言った。
「ローザリンデのためだけではない、が正しいかな。君が叔父上の娘だ、と陛下が認めることも必要だった。その上で王女ではなく、大公女であると早急に発表する必要もあった。叔父上は王子と呼ばれることはなくなったけれど、身分がなくなったわけではないからね」
「怒ってるわけではないの。当然のことなのでしょう? それでも私を通して、お父様に働きかけようとする人はいるかもしれない、ということね?」
ラルフは美晴が複雑な王家の事情について、予想以上に理解がはやいと驚いていた。ラルフの意外だ、という表情に美晴は自嘲気味に笑った。
「知恵熱のおかげで、頭の中が整理されたのかもしれない。私は勘違いをしてたんだと思うの」
「勘違い?」
アンティリアに来てから、ゆっくり考える間もなく連れ回された。体はともかく、頭と心には負荷が大きかった。
二日間ゆっくり眠ったことで、自分の思考回路が、やっと動き出したような感覚になっていた。
「三年前、母がもう長くないとわかって、寂しさと、自分の将来とか、ひとりになってしまうとか、不安でたまらなかった。その後、母が亡くなってとても悲しかったけど、父が生きているって聞かされて、大混乱だったわ。なにも教えてくれないまま逝ってしまった母に、ちょっと怒ってもいたのよ」
ラルフは視線で続きをうながした。美晴が吐き出せなかったことを、話せるようになったのはいいことだ。
ラルフにも、これまで美晴の話を聞く時間はなかった。
「精霊石は、春にみつけたの。鍵つきの箱に入っていたけど、その鍵は母が友人に預けていたの。友人にはなんの鍵かも言わずに、私が探さなかったら捨ててほしいとだけ伝えて」
「捨てる?」
ラルフが怪訝そうな表情を見せる。それは、アンティリアと美晴のつながりを捨てることになる。
「そう、結局私は箱をみつけてその人に話したから、ここにいるのだけど。母の手紙にはもって回ったような言葉が多くて、らしくないなと思ったの。はっきりとものを言う人だったのに」
ラルフの記憶の中にある文乃も、そういう人だった。幼いながらも強い人だと思っていた。美晴の話す文乃の行動を、ラルフも彼女らしくないと思う。
「お父様に会いに行くかどうか私が悩むだろうと、母にも葛藤があったのかと思っていたの。『美晴を連れて行くことが、美晴にとって幸せなのかは、私が決められることではありません』とも書いてあったし。でもそういうことではなくて」
ラルフもエマも黙って美晴の言葉を待つ。美晴から、アンティリアへ来た頃の不安の色は消えていた。
「私が精霊石をみつけたら、必ずお父様に会いに行くと母はわかっていた。その上で『考えなさい、自分で決める覚悟をしなさい』と言いたかったのだと思う」
「……どうしてそう思う?」
「ラルフのお母様と話したときに思い出したの」
「『人生なにがあるかわからないんだから、自分で決められることははやく決めなさい!』?」
美晴は笑った。ラルフも文乃から聞いたことがあるのかもしれない。
「母は、私がずっとお父様に会いたがっていると知っていた。たとえ異世界でも、絶対に会いに行くだろうとわかっていた。だから、精霊石をみつけるかどうかを運にまかせた」
ラルフの表情が少し曇るが、美晴はそのまま話を続けた。
「精霊石をみつけたら、私はどんなに悩んでもアンティリアへ行く。だから記憶を閉じて仕掛けを施して、みつけるかどうかを私には決められなくした。母がここへ連れて来られたときと同じく、自らの意思に依らないように」
ラルフの眉間には深いしわが刻まれる。それをゆっくりのばすと、ため息を吐いた。
「ここへ来るかすごく悩んだけど、お父様に会わなかったら絶対に後悔すると思ったの。だから、母は正しかったと思うわ」
エマがおずおずと口を開いた。
「でもそれなら、最初からすべてをお話しされてもよかったのではないですか?」
「そうしたら、私は三年前にここへ来たと思うわ。でも、母を失ったばかりの私と、それを聞かされるお父様が親子としてやっていくことは、今よりもっと難しかったと思うの」
ラルフは形のよい眉をゆがめている。文乃の死を受け入れられなかったクラウスを憶えている。今もまだ、完全に受け入れられた、とはいえないだろう。
「アンティリアへ来て、ここの人たちは加護がなにかとか、器の大きさがどうかとか、自分ではどうにもできないことに振り回されるのね、と思ったけど、自分で決められることって、もともと多くないのよね。それはあちらでも同じ。だから『自分で決められることは、はやく決めなさい』」
人生には、自分で決められないことのほうが多い。だから決められることを決断するときには、それを逃してはならない。
「私は自分で決断してアンティリアへ来たつもりだったけれど、精霊石をみつけたのは私の意思ではなかったのよ」
美晴はやっと、アンティリアへ来たことを実感していた。
――美晴にとって幸せなのかは、私が決められることではありません――
文乃は「わからない」ではなく「決められない」と書いていた。アンティリアで幸せになる、と決められるのは美晴自身だと。
「やっと、覚悟が決まったわ。こちらへ来てからというのがちょっと情けないけど。だから、ここでで生きていくために、自分にかかわることは、なるべく知っておきたい」
晴れやかな顔の美晴とは対照的に、ラルフは神妙な面持ちをしている。
「今の話を、叔父上にも聞いていただかないといけないな」
そうね、と美晴はこたえたが、ラルフの表情を不思議そうに見つめる。
「叔父上は母君を召喚したことを、ずっと後悔しておられた。それでも一緒に生きようとしたのに、叶わなかった」
クラウスは二十年間ずっと妻を忘れなかった。その間、会うことも言葉を交わすことも、できなかったのに。
「母は自分の意思ではなく、アンティリアへ連れて来られたけど、その後に自分で決めたことには悔いはなかったはずよ。死の間際まで会いたいと思える人と出会えた。私は母に愛されていた自信がある。だから、母はアンティリアでお父様に出会ったことを、絶対に後悔していないわ。でも、私が生まれるために、お父様がずっと辛い思いをされていたことは確かなのよね……。お父様にとって私の存在は、母を失った悲しみを呼び起こしてしまうもの?」
急速に曇る美晴の顔を見つめて、ラルフは柔らかく微笑む。
「その心配はないと思うよ。母君を失ったことが叔父上の中で消えることはない。それと、君の存在はまったく別の話だよ」
ただ、とラルフは手を顎にあてながら、ちょっと困ったような顔をした。
「叔父上は、ローザリンデとはまた違う勘違いをしているのではないかな」
「勘違い?」
先程のラルフと同じ調子で、今度は美晴が同じ言葉を口にする。互いにそれに気づいて、ふっと空気がゆるんだ。




