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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第二章 アンティリア王国

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32.文乃の過去

「予想外の娘が現れた、と思ったものだ」


 国王と王妃が、異なる色の瞳で同じ過去を追っている。美晴はといえば、母の醜態に恥いるばかりだ。

「それは、なんと申しますか、お恥ずかしい限りです」


「いや、歳の割に肝の据わった娘でよかった、と父上も仰っていた。最初は大変だったがな、なにしろ話を聞かない」


 追い討ちをかけられて、美晴は自分のことのように顔を赤くしたが、国王らが確かに母と会っていた事実に安堵もしていた。


「クラウスがどうやって説得したのかはわからぬが、アヤノは『王家の泉』へ行くことを承諾し、秋には蓋を継ぐことに成功した。王都の霧は晴れ、おかげでアンティリアは、こうして今も健在だ」


「本当に、アヤノが来てくれなかったら、どうなっていたことか。彼女はわたくしたちの恩人なのです」


 国王夫妻の真摯な瞳には、美晴への親愛の情も含まれている。

 文乃は、アンティリアで重要な役目を果たしていた。今も心を寄せてくれている人がいる。


「母はアンティリアに残ると、すぐに決めたのでしょうか」


「いや、当初はこちらが引きとめたのだ。『精霊の加護』の泉が確実に元に戻ったと確認できるまで、少なくとも次の春までは、留まってほしいとな。すると、アヤノのほうからきいてきたのだ。『ここに残ることはできますか?』と」


 自らの意思に関係なく連れてこられた文乃は、自らの意思で残った。

 自らの意思で来たはずの美晴は、まだ目的を果たせていない。


 ぼんやりとした不安が、少しずつ形になっていく。


 ――私はなにを求めてここへきたのかしら。お父様に会いたかっただけ? ――


 沈みかけた美晴の思考を、国王の明朗な声が引き戻す。


「我々としても、恩人にできうる限りの礼をしたい、アンティリアに留まるのであれば、王族同様の待遇を約束すると伝えた。……その年の冬は流石に厳しい状況であったが、国庫の備蓄を開放してどうにか乗り切った。新たな年を迎え、やっと落ち着きを取り戻しつつあった頃、アヤノはまだ考えているように、予は思っていたのだが……。クラウスが突然『アヤノと結婚する』と言ってきた」


「驚きましたわね。クラウス殿下のお気持ちは、皆知っておりましたけれど」

 王妃の言葉にはどこか茶目っ気がある。文乃と仲がよかったという話は、本当なのだろう。


「『まさか、元の世界へ帰さぬ、と脅したのではあるまいな』とクラウスを問いただした。正式に結婚を申し込んで、承諾を得たと申すから、アヤノにも確認をして、父上にお知らせしたのだ。あやつがどうやってアヤノを口説いたのか、未だにわからん」


 それは野暮というものですよ、とラルフが呆れて口にしたが、国王の不服そうな様子は変わらず、王妃は美しい顔に少し陰を見せつつも笑っていた。



 いつも通りの春が過ぎ、アンティリア王国がすっかり日常を取り戻した初夏、救国の聖女と聖女の騎士、第二王子クラウス・ヴィルフリートの婚約が国王の名の下に発表された。


 厄災を逃れたばかりの国民は、祝福に沸いた。翌年には結婚式が行われ、王子夫妻は王都の外れに新居を構えた。


 その次の年の夏には、文乃が懐妊した。クラウスはもちろん、国王夫妻、王太子夫妻、そして五歳のラルフも多いに喜び、出産を心待ちにしていた。


 しかし、お腹が少しふくらみはじめた頃。文乃が体調を崩し、治ったはずの悪阻のような症状が再び現れ、寝込む日が続くようになった。


 それがどの様な状態なのか、覚えている者もまだ多かった。


『精霊の加護』の力を、受け止めきれなくなっているときの症状であった。


 器をもたないはずの文乃の体内に、『精霊の加護』の力があふれ出していたのである。


 この世界の人間は胎児でも器を備えているが、母親の胎内にある器に『精霊の加護』の力が注がれることはない。


 生まれてはじめて『精霊の加護』の力が器に注がれ、加護の種類がわかる。

 胎内では、母親の器が力を受け止めているからとも、赤子の器が未熟であるからともいわれている。


 だが、文乃とお腹の子はどちらもその真逆であった。


 母の体に器はなく、対して子は、胎児にしてすでに王族の器を備えていた。

 胎児の大きな器に注がれる『精霊の加護』の力に、文乃の体が悲鳴をあげていた。


 苦しむ文乃の体から、クラウスは闇の魔法で『精霊の加護』の力を吸収することを何度も試みた。しかし、とめどなく注がれる『精霊の加護』の力は、胎児の成長とともに増えていく。

 産月はまだ先であり、このままでは母体が出産までもたないかもしれない。


「なす(すべ)がなかった。アヤノとそなたを守るために、どうすればよいのか、誰にもわからなかった。すると、またあの魔女が現れたのだ。今度はアヤノのもとに」


 国王は忌々しいことだ、と眉間にしわを寄せる。隣の王妃の目の縁には、涙が溜まっている。


「あの者が、アヤノになにを語ったのかはわからぬ。アヤノは『魔女に子どもを救う法を教わった』としか言わなかった。子の器が満ちる前に元の世界へ帰れ、というようなことであろうと、今となってはわかるが」


 当時、王太子であったアルトゥールに、突然文乃から「クラウスに気づかれぬように、『王家の泉』まで連れて行ってほしい」と連絡があった。


 アルトゥールは困惑したが、魔女に教わった法をクラウスが拒否したのだろう、ということは想像できた。

 本当に子は助かるのか、文乃にも危険はないのかと何度も確認すると、アルトゥールは自ら迎えに行った。


 細かい雪が降っていたその日、文乃は「今日は気分がいいから、湖を見に行きたい」とわがままを言い、クラウスが出かける準備をしている間に、アルトゥールの馬車に乗った。


 アルトゥールと護衛に抱えられて、洞窟の奥の『王家の泉』に着くと、()()()()()()()()()()()()()と言った。

 そこで、アルトゥールは『王家の精霊石』を渡したのである。


 文乃は礼を言ってペンダントを身につけると、少しふっくらしたお腹を右手でゆっくりとなでながら、左手で泉の蓋に触れた。


 文乃の両方の手の下からそれぞれ、虹色の霧が立ちのぼり、強い光に包まれる。まぶしさにアルトゥールが目を閉じた瞬間、文乃の声が聞こえた。


「王太子殿下、ありがとうございました。クラウスに勝手をしてごめんなさい、と伝えてください。どうしてもこの子を産みたいのです。大丈夫、必ず元気な子を産みますから」


「アヤノ!」

 アルトゥールが、文乃の言葉の意味を理解して、目を開けたときには、もうその姿は消えていた。


 妻の不在に気づき、アルマに口を割らせたクラウスは間に合わなかった。


「後にも先にも、人に顔を殴られたのはあのときだけだ」

 王太子アルトゥール――国王は、いまだにそこが痛むかのように左の頬をさすった。


「それ以来、予はクラウスと口をきいておらぬ。父上が亡くなられたときも、顔を合わせただけであった」

 もう二十年以上になるのだな、と国王は肩を落とした。

「そんな、陛下は母の願いをきいてくださっただけなのに……」


 むしろ母に利用されただけではないか。

 国王はそれも承知の上でなお悔いている。かすかに首を振って、苦しげな声を絞りだした。


「クラウス自身の後悔もあるだろう。同時に、予に対する恨みがあるのも道理だ。なぜ知らせなかったのか、とな。召喚術を否定したときも、クラウスは自らの力への自信とは別に、あの魔女に対して、不信感を抱いていた。魔女と聞いただけで、聞く耳をもたなかったのではないか、と考えたのは予の不明だ。せめてもう少し、アヤノと話すべきであった」


 言葉を失う美晴に、王妃が柔らかく語りかける。

「わたくしはアヤノに恨み言を言いたかったわ。なぜ相談してくれなかったの、と。親しくしていたと思っていたのよ。でもわたくしたちの心配が、アヤノを追い詰めていたのかもしれないわね」


 王妃は窓の外に顔を向けて、高くなりはじめた太陽を探した。夏の庭に花は少なくなっており、濃く繁る緑が目に映る。


「ちょうど今頃の季節でしたわね。クラウス殿下から連絡をいただきました。『春に娘が生まれたと、アヤノから手紙が届きました』と。アヤノがつけたという名前も書いてあったわ。貴女に相応しい名前ね」

「相応しい?」


 美晴は母から聞いた名前の由来を思い出す。王妃が向き直って、美晴を真っ直ぐ見つめる。


「『美しく晴れた空』を意味するときいたわ。国難の魔力の霧を払い、アンティリア王国に青空を取り戻してくれたふたりの子に、とても相応しい名前だわ」


 美晴の涙腺が崩れる。涙の止め方がわからない。

「母は、私が、生まれた日の空のことだと、でも、同じ空を、違う場所でも、見たと、美しい青空を……」


 あふれ出す涙がぽたぽたと落ちて、美晴の手を濡らす。ラルフがそっとハンカチーフを握らせた。


 結局、美晴の涙がおさまらなかったので「親族の会話の場」もそのままお開きとなった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  母と周りの関係。  そうであって良かったと思う反面、美晴は複雑でもあるでしょうね。  もちろん母の愛を疑うことはないでしょうけれど。  お父上と国王様。そういう理由もあったのですね。 …
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