31.おとぎ話の真実
「なぜ、お父様だけが泉に近づけたり、召喚術を行えたりできるのでしょうか」
国王の寛容に甘えて、美晴は素直に疑問を口にした。だが、避けたい話題であったようで、国王は渋い顔をラルフに向けた。
「私に振らないでください。私は存じませんよ」
「白々しい。ああ、またクラウスに恨まれるのか。そもそもクラウスが話すべきだろうに」
「もうすでに随分恨まれていらっしゃるのですから、ひとつふたつ増えてもたいして変わらないでしょう」
「カタリーナ!」
甥と妻にそろってあしらわれている様子は、とても国王とは思えない。そういえば王妃様とラルフは血縁者だったなと、美晴は思い出すと同時に、国王の言葉が頭の中に響いた。
――クラウスが話すべきだろうに――
「大精霊の伝説は聞いたかな?」
諦めた国王が、多少威厳を演出したようすで話し出した。
「あ、はい。大精霊様が七つの精霊を生み、その加護によってアンティリアが築かれた、という?」
「その話を聞いてどう思ったか、あるいはなにか気づいたことはなかったか?」
試されているような、単に反応を見られているだけなのか。正しい答えを導き出せるのか、そもそも正しい答えは存在するのか、美晴はしばし考えた。
「失礼ながら、よくあるおとぎ話かな、と思いました。自然の成り立ちと、国の成り立ちとを結びつけて、国が人びとに正統なものだと認識されるように導く、といった話はあちらにもよくあるものでした。先ほどお聞きした大陸の七か国と……」
なにかが引っかかる。気づいた瞬間にすぐ、たいしたことではない、よくあることと……。
黙り込んだ美晴に、国王は気づいたかと口角を上げて感心し、王妃は興味深く見守っている。
ラルフは仕方ない、という顔で助け舟を出した。
「馬車の中で、エマが話していたことを覚えている? 精霊石を作れないと貴族籍に加えられないという話から」
――そう、エマは『森の加護』とか『木の加護』って――
「『七つの精霊』なのに、加護は六つ?」
「『大地』『水』『森』『風』『火』『氷』」
国王が指を折りながら数えていく。
「そう、六つ、これは古くからの謎とされているが、いくつかの説もあるな。『森』と『木』に別れるとか、『星』の加護が含まれるのだとか。だが、六つの加護は明らかに存在するが、七つ目の加護は判然としない。学者どもがいろいろと言い立てて、王家の古文書を見せろとうるさい。だが、少なくともこのニーベルシュタイン王朝が続く限り、紐解くことはない」
きっぱりと言い切った国王は、ここからは王家の秘密だと笑みを浮かべたが、その瞳の奥には別のものがある。
「王家に伝わる話には、大精霊という存在は現れない。光の精霊が六つの精霊を生み、それぞれに加護を授けたという」
「光の精霊……」
「光の精霊が大精霊に代わるものとして在る。しかし、光はそれだけで在るわけではない。表裏一体の『闇』をあわせもつ」
美晴の隣でラルフが息を呑む。ラルフも知らない領域に、踏み込んでいる。
「光と闇、ふたつの精霊が在るわけではない。光の精霊が闇の力も司るといわれている」
「確証のある話ではないと?」
「そのようなものが、あるわけがなかろう。伝説だな。王家の史書にはそう書いてある、というだけだ。光と闇は一体であり、万物の祖であり、アンティリアの礎である、と。だが、人は闇を恐れる生き物だ。王族が闇の力をもつことを、公にすることはできぬ」
国王の語り口は、それこそおとぎ話を紡ぐようであるが、話の内容は国家機密どころか、王家の秘密である。王妃の表情にも緊張の色がある。
「先ほど、陛下は『七つ目の加護は判然としない』と仰いましたが、史書に記されたことが正しいなら『光と闇』の加護がある、ということでしょうか」
美晴が緊張を高めて口を開く。国王はひとり、この場にそぐわない笑顔のままだ。
「聡いな、とても好ましいことだ。そう、確証のある話ではないが、『光と闇』の加護は存在する。ローザリンデ、そなたの加護こそが『光と闇』だ。クラウスも同じ」
「え?!」
ラルフと美晴がそろって声を上げ、国王を凝視する。
「叔父上の加護は『闇』だと思っておりましたが」
国王は、ラルフがどこまで知っているかも把握している。驚くことなくこたえた。
「『光と闇』は不可分である。クラウスの瞳に闇が濃く、ローザリンデの瞳には光が強くあろうとも、どちらにも、もう一方が確かに存在する。ただ、勘違いするなよ。そもそも直系の王族には皆、七つの加護がすべてある。予も王太子も『光と闇』の加護をもっておる。ただ表に現れることも、その力を使うこともできぬ」
ああ、だから、とラルフはなにかに納得したようにうなずいた。それを見た国王もまた、ゆっくりと首を縦に動かした。
「『光と闇』の加護は、アンティリアの王族のみがもつ。それが表に現れる者が生まれるのは、数百年に一度あるかどうか、だそうだ。だが、光と闇どちらか一方の瞳の者が生まれると、必ず同時代にもう一方の瞳をもつ者も生まれる。不可分である所以かもしれぬが……。不可分であるはずだが、ふたり生まれる意味はわからぬ。あるいは、人の身がひとりで受け入れられる器ではない、ということかもしれぬ」
国王の言葉が不明瞭になる。美晴はこれ以上は人の手の内に収まらない、おおいなる力が存在するといわれたような気がして、小さく息を吐いた。
――自分ではどうにもできないことなのに、あがいているだけなのかもしれない――
「ふたり生まれ、見た目には別々の加護のように思えるが、魔力はどちらも『光と闇』だ。確かにクラウスは闇の魔力に長けているが、同じだけの光の魔力も使えるはずだ。ローザリンデ、そなたもだ」
耳に入ってきた国王の言葉の意味が、すぐには理解できない。美晴はぱちぱちとまばたきを繰り返し、国王は口もとをゆるめた。
「話を戻そうか。クラウスは表向きは『大地』の加護が強い、ということになっている。『大地』の魔力も充分に使える上に器も大きい。ゆえに疑う者はいなかった」
二十五年前、光の瞳をもつ者はまだ生まれていなかった。知る者が見れば、クラウスの瞳は闇の色である。当時の国王、王太子、そしてクラウス自身も、闇の力が強いと思いがちであった。
高位貴族や王族にも、体調を崩す者が現れてからも、クラウスは闇の魔力であふれる『精霊の加護』の力を取り込み、ひとり平然としていた。
召喚術に反対し、ひとりでどうにかすると言い張ったのも、その力があったからだ。泉に行き暴走する『精霊の加護』の力を、闇の魔力で消し去ればよい、と考えたのである。
しかし、国王と王太子は冷静だった。クラウスの魔力だけで、『精霊の加護』の力の暴走が止む保証はない。
むしろクラウスの方法をとれば、魔女のもうひとつの予言――アンティリアは人の住めぬ地となるだろう――のほうが、現実となるかもしれない。魔女は、どちらの未来も等しく見える、といったのだ。
召喚術は、本来開くことのない異世界の扉を、闇の魔力でこじ開ける、強引で危険な魔法であった。
王家直属の精霊術士が結界を張り、その中でクラウスが異世界の扉を呼び出して穴を空ける。
穿たれた扉の穴からまぶしい光が差し込むと、ふたつの世界が繋がった。
その一瞬、光の中に見えた細い腕をクラウスが掴む。そのまま腕の持ち主を引き込むと、光とともに扉は消滅した。
誰も口をきかず、静まり返った精霊殿の奥に若い娘の叫び声が響いた。
「なんなのよ! ここは、どこなのよー!」




