30.二十五年前
国王は静かに語りはじめた。
「二十五年前、我が国は建国以来の危機に見舞われたのだ」
アンティリア王国は、大陸のほぼ中央に位置する。大陸にはほかに六つの国があり、アンティリア王国はその盟主といえる地位を築いている。
すべての精霊の加護を受ける虹色の瞳は、アンティリア王国のニーベルシュタイン王家の血筋にしか、現れない。その圧倒的な力の差が、アンティリア王国をその地位にもたらしている。
アンティリアと国境を接する四か国では、婚姻によって庇護を求めたり、あるいは虹色の瞳の魔力を得ようと試みたりしてきたが、庇護はともかく、嫁いだアンティリアの王女が、虹色の瞳の子を産むことはなかった。
アンティリア以外の国々では、ときに王家の魔力が弱まり王朝が交代することさえあった。だが、アンティリア王家だけはその力を失うことなく、連綿と血を繋いできた。
大陸に存在する七か国のすべてに、精霊の加護の泉が存在するが、アンティリア王国の王都アンスリーにあるそれは、王族の瞳と同じ虹色の魔力が湧く。精霊の加護の力は常に国中に広がり、民の器に注がれる。貴族は空の石に魔力を満たして精霊石を作る。
いつからなのか、誰も知らない。だが、すべての国の民がその理の中で生きている。それがこの世界の在り方であった。
二十五年前の春、それは静かにはじまった。
まず、現在はリューレ大公領となっている王都の外れの農村で、原因不明の病が流行りだした。
突然、発熱やめまいを訴えて起き上がれなくなる者が増え、農作業に影響が出るようになった。
春に種まきができなければ、当然秋の収穫が得られない。王宮では原因の究明と対策に乗り出したが、まだこの頃は一時的な流行り病だろう、と楽観視する者も多かった。
たが、初夏を迎えると、不調を訴える者は農村から街へと広がり、貴族階級にも現れるようになった。
同時に、常態であれば精霊の加護の泉の周囲に留まっている虹色の霧が、王都の中心部にも流れてくるようになっていた。
虹色の霧が幾重にも重なるようすは、美しさを通り越して、禍々しく感じられるほどであった。
そして、王宮に予言を携えた魔女が、現れたのである。
「魔女……、そういえば私が来ることも魔女の予言があったとか?」
美晴はふと疑問を口にするが、国王の話をさえぎってしまったことに気づき、申し訳ありませんと頭を下げた。
「よい。耳慣れぬ言葉も多かろう。加護の器の話はしたのか? 魔女については?」
国王は美晴に鷹揚にうなずき、ラルフに問う。
「精霊石についてはご説明差し上げましたが、魔女や精霊術士については、まだ」
首を横に振るラルフを見て、国王がもう一度うなずくと、カタリーナが代わって説明する。
「王族、貴族のように、精霊石を作れるほどの器をもつ者が、ときおり民の中にも生まれることがあるの。そうした者の多くは、精霊を祀る精霊殿に預けられて精霊術士となる。……まれに在野でその力を使って生きていく者もいて、彼らは魔女とか魔術士とか呼ばれている。変わり者が多いというわね」
実際に、魔女を知っているらしいラルフが続ける。
「確かに変わり者ばかりですね。中には力を使って悪事をはたらくような者もいますが、基本的には気まぐれで、求められても力を貸すとは限らない。ただ、身近に精霊殿がないような僻地では、大きな器をもつ子が魔女の弟子となって、身を立てることもありますから、必要な存在だとはいえるでしょう」
やっかいな者たちではありますが、というラルフの言葉に国王が大きくうなずく。
「そう、あの者は正しく魔女であるな。気まぐれな女でめったに人前には出てこない。今回もあのときも、なんの前ぶれもなくふらりと現れて『予言』だけ残して消える」
「二十五年前に現れた魔女が、私が来ることも予言したのですか?」
美晴の問いに国王がこたえる。
「予は久しぶりにあの者に会ったが、見た目は二十五年前も今も変わらず老婆であった。外見を偽っておるかもしれぬが……」
当時の国王の御前会議の間に、どこからともなく現れたその魔女は言った。
「アンティリアの『精霊の加護』の泉の蓋が破れた。人びとが倒れたのは病ではなく、『精霊の加護』の力を受け止めきれなくなっているからだ。このまま蓋が修復されなければ、国中に『精霊の加護』の力があふれる。そうなれば、アンティリアは人の住めぬ地となるだろう」
予想外の言葉に、先代国王は驚きを隠さず、大声で怒鳴った。
「それが本当なら、どうすればよいのだ!」
「『精霊の加護』の器を持つ者は、泉に近づくこともできぬ。そこの王子は近づくことはできても、蓋を継ぐことはできまい。……ここではない、『精霊の加護』のない世界の、器を持たぬ者たちの中に、蓋を継ぐことができる娘がいる。その娘を召喚して蓋を継ぐ、それがアンティリアが残る唯一の法。今はどちらの未来も等しく見える」
「その娘はどこにいるのだ!」
国王が苛立ちをあらわに、さらに大きな声をあげたときには、魔女は青緑色の煙を残して消えていた。
王家に仕える精霊術士に、魔女の予言が伝えられた。彼らにも未来を占わせ、古い文献を調べ、異界からの召喚術をどうにか探しあてた。
「それがアンティリアが残る唯一の法」であるのだから、当然、誰もがそうするしかないと考えた。
しかしひとり反対する者がいた。第二王子クラウス・ヴィルフリートである。
自ら『精霊の加護』の泉に赴き、その力を抑えるから、怪しげな魔女の勧める危険な召喚術など、必要ないという。
「泉にたどり着いたとしても、そなたには蓋を継ぐことはできぬと、あの魔女は申した。力で抑えられぬときはどうするのだ。召喚術もそなたの力なしには行えぬのだ。少しでも可能性が高い術をとるべきであろう」
「お前ひとりが犠牲となって国が救われるのならまだよい。『精霊の加護』の力を抑えられず、お前を失えば、召喚術も行えなくなる。不確かなお前の自信に、すべての国民の命を賭けるのか!」
国王と王太子がそれぞれに叱責し、説得したが召喚術はクラウスにしかできないこともあり、簡単には折れなかった。だが、日々状況は悪化する。
『精霊の加護』の力が暴走しているのはアンティリアのみであり、周辺国に事態が伝わると、野心をうかがわせる動きも見えはじめた。
王宮においては、クラウスがその野心に乗せられている、いやそもそも召喚術に怖気づいているのではないか、などという声も聞かれるようになった。
「クラウス、お前が召喚術に反対するのは、召喚される者の境遇を憂うからだろう? だがお前もアンティリアの王族である以上、アンティリアの民が生きることを優先すべきだ。違うか?」
本心を兄に言いあてられて、ようやくクラウスは召喚術を行うことに同意した。
その年の夏、「器を持たぬ救国の聖女」が召喚された。




