28.王宮へ
翌朝、雲ひとつなく晴れた空の下、近衛騎士団の厳重な警備に囲まれた王家の馬車が王宮へと向かう。
乗っているのは、ローザリンデ・ミハル・リューレこと花島美晴。今のところ、ローザリンデの護衛であるラルフ・ジークハルト・クヴァンツ。同じく侍女代わりのエマ・グレルマン、の三人である。
昨日の朝と同じ顔ぶれだが、美晴だけは緊張のあまり背もたれに体を預けることもできない。
「今からそんなに緊張していたら、疲れるだろう。ほら、肩の力を抜いて」
「そんなの無理よ。王宮で、国王陛下に謁見するのでしょう。緊張しない方がおかしいわよ、エマは緊張しないの?」
「私がお供できるのは、控えの間までですから、陛下にお目にかかることはできませんよ。王宮に入れることは緊張しますけど、どちらかというと嬉しいです」
生まれながらの庶民ですから、とエマが笑ったので、美晴は裏切り者……と言いながら、やっとクッションにもたれかかった。
エマと一緒に笑っていたラルフが、美晴の顔を見てふと思い出した。
「ああ、忘れていた。瞳の色を戻さないと、それこそ偽物扱いされてしまう。ローザリンデ、ちょっとこちらを向いてくれるかな」
美晴が体をを起こすよりも、ラルフの手がのびるほうが少しだけはやかった。
長い指が美晴の頬をかすめると、冷たい空気と青紫の光がほんの一瞬、目の前を通り過ぎた。
青みの強い紫水晶が、最高級の蛋白石に変わる。胸元のペンダントと同じ色に戻った美晴の瞳を見て、ラルフは目を細めた。
「ひゃ! びっくりした。もう少し穏やかにできないものなの?」
「申し訳ない。これが一番簡単なんだ」
ラルフは拳を口にあてて笑い、また美晴を苛立たせる。
「ラルフ様、あまりふざけておられると、旦那様に言いつけますよ」
エマに釘を刺されて、ごめんごめんと口先で謝るが、笑みはそのまま、ラルフは騎士服の内側に手を入れた。
「あと、これをもっておいてほしい」
取り出されたのは、三角形の鏡のような真っ黒なプレートが二枚、ラルフは一枚を美晴が差し出した掌にのせた。
「その石に向かって私を呼んでみて」
「名前を呼べばいいの?」
ラルフは石に向かってね、ともう一度言ってうなずいた。美晴は掌を半分ほど隠したプレートを、口もとに近づけて「ラルフ?」と声に出した。
ラルフの手にあるプレートが虹色に光り、一瞬遅れて美晴のほうは青紫に光った。
ラルフが虹色のプレートを自分の掌にのせると、光はゆっくり集まり美晴の像を形作る。同時に美晴の側には、ラルフの像が浮かび上がった。
美晴とエマが言葉を失ってラルフを見つめると、彼は掌を閉じて、美晴の像ごとプレートを握りしめた。拳から虹色の霧がこぼれて散ると、美晴の手のラルフも消えた。
美晴とラルフの魔力が馬車の中から消失し、窓からはもとどおり、朝日が差し込んでくる。
「これは通信石という特殊な精霊石で、魔力を通すと、対になる石をもつ相手につながる。貴族でも使える者は少ないが、ローザリンデは問題なく使えるね。なるべく側にいるようにするが、もし私がいないときになにかあったら、すぐに連絡できるようにもっていてほしい」
昨夜、ラルフが国王との連絡にも使っていた通信石である。ラルフはほかにクラウスと王太子の石も所持しているが、王族の通信石をもたされていると、わずらわされることが多い。だから、美晴が素直に口にした謝意は、ラルフにとっては予想外の反応だった。
「ありがとう」
「礼を言われるとは思わなかったな、嫌がられるかと」
通信石をドレスの隠しに入れると、美晴は首をかしげた。
「どうして? 心配してくれてることはわかってるわよ」
本当に感謝している美晴に、半ば呆れつつラルフは笑った。
「私からも連絡ができるということだよ。うっとうしいとは思わない?」
「ああ、私のいた世界にも同じような機械があったもの。庶民でも多くの人がもってて、友人とはほとんどつながってるわ。連絡がきても都合の悪くて応答できないなんて、よくあることよ?」
「ええ! 信じられないです。私は通信石なんてはじめて目にしましたよ」
エマが歳相応の顔になったので、美晴も笑顔になる。
「魔力がなくても使えるようになってるの。だって魔力なんて存在しないから」
「信じられない世界だな」
ラルフも驚きを口にする。美晴は思わず声を上げて笑った。不思議そうな視線を向けるふたりに、美晴は言った。
「ねえ、私もアンティリアのことをそう思っているのよ?」
「はは、そうだね。魔法のない世界か、想像もつかない。本当にひとりでよく来たね……」
少し落ち着きを取り戻した美晴は、虹色の瞳でラルフを見つめた。
馬車が徐々にゆっくりになり、なめらかに停車する。ラルフは美晴の瞳をもう一度確認した。
「さあ、では私たちの伯父上に会いに行こうか」
馬車の扉が開き、先に降りたラルフが手をのばす。その手を頼りに馬車を降りると、目の前には石造りの荘厳な建物がそびえ立っていた。
「ようこそシェーンニーベル宮殿へ」




