27.不本意なことと、本意であること
体がゆらゆら揺れる。ふわふわした頭の中に、懐かしい子どもの声が響く。
「みはるー! どっちが高くこげるか、競争!」
ああ、あの公園のブランコだ。由香里はいつも競争したがる。美晴は由香里の半分の高さがやっとなのに。
一番高いところで体がふわっとなる、その瞬間が怖い。そのまま体がどこかにもっていかれてしまいそう。
――無理だよ、怖いからいや――
「大丈夫、絶対に落とさないから」
――えっ? ああああああああ――
すっかり眠り込んでいた美晴は、馬車から宿の客室まで、ラルフに「お姫様抱っこ」で運ばれていた。
――人間驚きすぎると声が出なくなるのね――
ソファに座って、エマが淹れてくれたお茶を飲むと、どうにか落ち着きを取り戻した。
窓の外は黄昏時、ブランコの上から見た夕陽と、目の前のそれは同じものに見えるが、きっと異なる太陽なのだろう。
「申し訳ない。よく眠っていたから、起こすのがしのびなくてね。昨日はよく眠れなかっただろう?」
目の前で顎に手をあてて笑うラルフに、厚意でしてくれたことなのだから、と美晴は自分に言い聞かせる。
「……お手数をお掛けしました。ごめんなさい、驚きすぎてしまって。こんな風に運ばれたことはなかったものですから!」
「それは光栄ですね。ああ、叔父上には黙っていてくださいね。まだ死にたくはないから」
ああ、もう、なにを言われても恥ずかしい。それをわかっていてからかってくるラルフに、言い返したいが勝てる気がしない。
美晴は諦めて首を振った。
「明日はどんな予定になるの? 私はなにをすればいいか教えてください」
「うん、また申し訳ないのだけれど、早めに朝食をとってもらったら、すぐに王宮にあがることになった。待てない方々ですまないね。謁見自体は非公式のものだから、それほど構えることはない。ローザリンデが本物だと確認する、儀式みたいなものだよ」
美晴はぱちぱちとまばたきを繰り返したが、大きく目を見開くことは、我慢した。
「私、疑われてるの?!」
ラルフは目を細めて、いやいや、とこたえる。美晴は、この人は慌てることはないのかなと思ったが、歳上の、しかも騎士という職業の人が、落ち着きがなくては困るのかと納得する。
「そういうことではないから、心配しなくていい。母君が懐妊されていたことは、王宮に出入りする貴族なら皆知っていた。だが、その後お姿が見られなくなった。公式には国に帰られたことになっているが、御子がどうなったかの発表はない。叔父上は要衝の地を治めるリューレ大公となったが、ずっと領地に引きこもったままだ」
ああ、と美晴は理解した。その状況で、母とともに行方不明になっている子どもが現れたとなったら、まずは偽者と疑われるほうが自然だ。ラルフがうなずく。
「だから、色々と憶測を呼ぶ前に陛下から、リューレ大公女が帰国したと発表する、そのための謁見だ。叔父上が認めて、私も陛下にご報告申し上げている。なにも心配いらない」
「たいこうじょ……」
聞きなれない単語を、確認するように美晴がつぶやく。
「大公殿下の姫君だからね、大公女殿下だ。陛下に正式に認められれば、少なくとも王宮ではローザリンデ殿下と呼ばれることになるよ」
「はあ」
美晴の口から、返事とも、ため息ともとれる音がこぼれ、ラルフは苦笑する。エマは表情を変えはしないが、うつむく美晴を見つめている。
「私、昨日の朝は一般庶民だったのよ」
「それは違うよ、ローザリンデ。君は生まれながらの王族だ。知らなかったにしてもね。こちらに来た以上、それについて考えるのはやめなさい」
これまでにない厳しい口調に、美晴ははっとして顔を上げた。
「それよりも、これから君がどうしたいかを考えるほうがいい。謁見はこの国で君が生きていくためには必要なことだから、急がせて申し訳なかった。だが、その後どうするのかは自分で決めていい。叔父上も君の望むように、と仰っている」
「私、お父様とまだなにも話せていないわ。それに母がどうしてこちらへ来ることになったのか、なにがあったのか、ひとつも知らないのよ」
しょんぼりと下を向いた美晴に、ラルフは少し困ったように眉を寄せた。
「そうだね、君の希望を聞く時間もなかった。なるべく早く叔父上のところへ帰れるように努力するよ。それからゆっくり話をするといい。謁見が終われば、大抵のわがままは叶えられる身分が確かなものになる」
美晴は小さな子どものように口先をとがらせた。
「お父様に会いたいって、そんなに大層なわがままかしら」
ラルフは目を細めて立ち上がった。そのまま美晴の側にきて頭をなでる。美晴もそれを振り払うことはしなかった。大きな手が髪を滑る、不思議な心地良さがあった。
「もしかしたら、王族の姫君にとっては、大層なわがままかもしれないよ。王侯貴族は意外と忙しいものだから。……母君の件は、おそらく明日陛下からお話があると思う。私が知っていることもあるが、当事者ではないからね。謁見の後でききたいことがあれば、話すよ」
美晴はうつむいたままうなずいた。
「ほかに今ききたいことはある?」
「私の話している言葉、アンティリアの言葉ではないと思うのだけど、大丈夫かしら?」
「ん?」
ラルフは美晴の言いたいことが理解できず、聞き返した。
「あちらでは『日本語』を使っていたの。母の手紙にあった、ここへ来るための『言葉』はアンティリアの文字で書かれていたはずだけど、なぜか読めたの。でも私は今も日本語を話しているし、アンティリア語を書くことはできないわ。『美晴』って発音が難しいってラルフは言ってたでしょう? お父様はたぶん、母がアンティリアの文字で書いた名前を発音したんだと思うけど、それでもやっぱり日本語の発音とは違って聞こえたわ」
私が「ラルフ」と呼ぶ発音はおかしくない? と美晴が不安そうにきいてくる。ラルフはそういうことかと納得して、大丈夫だとこたえた。
「『精霊の加護』の力が働いているのだろうな。今のところ、意思疎通に問題はなかったと思うが、ローザリンデは?」
「私もそう思うのだけど、話したことが正しく伝わっているかどうか、いちいち確認できないでしょう? 片方の世界にしか存在しないものについては、きっと通じないと思うの」
「そういうことはきっとあるだろうが、心配ないと思うよ。まず、母君という先達がいらっしゃったわけだから。両陛下は気にされないだろう」
「そうならいいけど……」
明日、アンティリア国王に謁見する。
少なくとも、文乃がアンティリアでなにをしたのかは、知ることができるだろう。




