25.『精霊の加護』の力
「あのペンダントの精霊石、ローザリンデの魔力になっているね?」
「ああ、だから色が変わったのね。でも私はなにもしていないのに、どうして?」
ラルフは表情をゆるめて、苦笑する。
「気づいていなかったのか。鋭いのか鈍いのか。まあ昨日の今日で、すぐになにもかも理解しろというほうが無理があるか。だからこそ、王宮では気をつけてほしいのだけれど」
美晴は情けない気持ちを抱いたが、落ち込んでいるときではないのだ、と自らに言い聞かせる。ラルフの言う通り、昨日までは魔力など存在しない世界にいたのだ。
「今さらだけど、魔力ってどういうものなの?」
「あちらは魔力が存在しないのだったね。ローザリンデの瞳はどんな色だった?」
「母と同じで目も髪も黒だったけど……」
美晴は文乃が亡くなってから、少しずつ容姿が変わってきたことを話した。
「今の私は瞳が黒だったとしても、私の国では外国人に見えると思う。黒髪黒目の人種が多い国だから、目立つことを避けるために、母がなにかしていたのかと思ったのだけど」
「今朝、私が使った瞳の色を変える魔法だろう。髪の色も変えられる。術者か、それよりも強い魔力の人間が解除するまでは持続する。母君が亡くなったことで徐々に解けていったか、あるいはそのように、もとから条件づけがされていたのかもしれないな」
「段々と変わっていったから、お父様は外国の人なんだろうな、とは思っていたの。両親が違う国の出身だという人は、歳とともに片方の血の印象が濃くなることも多いから。でもまさか、異世界の人だとは思いもしなかったわ」
日本では、いささか目立つようになっていた美晴の容姿も、アンティリアでは特別なものではない。ラルフと同じ色の瞳になっている今なら、きっとこの国の貴族として違和感はないだろう。
「こちらへ来る前のヘーゼルの瞳が、生来の色だね。この国で生まれる人間も、その色が一番多い。まれに薄い青や緑の者もいるが、それは精霊の加護とは関係ない。生まれてから一歳くらいになるまでの間に、少しずつ体内の器に魔力が溜まると瞳は加護の色に変わる。一度変わると魔力が完全に枯渇しない限り、元には戻らない。つまり、死ぬまで」
「魔力がなくなると死んでしまうということ?」
ラルフはうーん、とうなりながら腕を組んで首をかしげた。
「そのあたりのことは、研究している学者もいるらしいけれど、よくわかっていない。まあ実際には魔力が枯渇することは、あり得ない」
「どうして?」
「魔力は今、この空間にも存在している。我々は呼吸するのと同じように、常に魔力を吸収している」
へっ? っと美晴は少々間の抜けた声を出すと、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「ときどき出てくる、そのうかつな表情は可愛らしいけれど、これから王宮で君を品定めにくる連中には見せないほうがいいね。気をつけて」
ラルフに笑われて、美晴は思わず両手を口にあてた。内心で苛立ちを覚えつつも、気をつけますとこたえた。
「私の前では気にしなくていいよ。とても好ましく思うよ」
「いいえ! どなたの前でも相応しい振る舞いをしたいと思います」
毅然とした態度を取ったつもりの美晴に対して、ラルフはにこにこと笑みを崩さない。ついさっき敬語を使わないでほしい、と言ったことと矛盾しているのに気づいていない。ラルフはが賢明にもそれについて、口には出さなかった。
「まあ、とにかく魔力は大気に溶けている。それを我々は無意識に自分の器に取り込んでいるから、常に魔力は体内にある」
「『精霊信仰がある』って」
「そう、魔力は『精霊の加護』の力であるとされている。だから『精霊石』と呼ばれる。精霊の存在は信じられてはいるが、目にした者はいない。エマも大精霊の伝説はよく聞かされただろう」
急に話を振られたエマは、はい! と一際元気な返事をして話し出した。
「大精霊は七つの精霊を生み、大地を作り、水が湧き、森を育て、風が流れた。火と氷の力を授けると、七つの精霊を残し、星々のもとへ去った。七つの精霊は器に加護の力を注ぎ、強き器によってアンティリアが成った」
エマは歌うように語る。アンティリア王国の子どもたちは、諳んじるほどに何度も聞き覚えるおとぎ話である。
「建国の伝説といったところかな。この国の子どもは事あるごとに聞かされる。この話の通りなら、魔力は『精霊の加護』による力、ということになる。実際に、自分がもつ加護にかかわる魔法は扱いやすい。『氷』の加護をもっているなら、氷の魔法は楽に使える。だか、強い魔力や精霊石があれば、異なる加護の魔法も使うことはできる」
美晴はあまりにも幻想的な話に、ぽかんと口を開けそうになったが、ラルフの視線に気づいて口元を引き締めた。
「大気に漂う『精霊の加護』の力には、すべての加護が含まれている。人はそれぞれの加護の力を、自然に選り分けて吸収しているらしい」
「精霊の加護の力は大気に溶けているって、でも色なんて……」
きょろきょろと馬車の中を見回す美晴を見て、ラルフは拳で口元を押さえたがエマににらまれて、わざとらしく咳をした。その音に美晴は背筋を正す。
「大気に溶けた『精霊の加護』の力はかなり薄まっているから、はっきりとした色が見えることはない。常に多くの人が魔力として吸収しているしね。しかし、『精霊の加護』の力が湧き出る場所では、加護の色がはっきりと目に見える。ローザリンデも見ただろう?」
美晴の脳裏に、アンティリアへ来るときに包まれた強い光がよぎる。
「あの虹色の霧?」
「そう、あの洞窟の奥の泉は『精霊の加護』の泉だ。水ではなく『精霊の加護』の力が湧き出ている。あの霧のようなものは、加護の力が濃く集まったものだ。あの泉はすべての加護が混ざりあった精霊の加護の力が湧いている。そしてローザリンデ、君の瞳はあの霧と同じ色だ。迎えに行ったときはとても驚いたよ。そのような色をした瞳ははじめて見たよ」
「でも、王族の方はこの色なんでしょう?」
「王族でも、加護の強さは一定ではない。どれかひとつ突出して強い加護がある。叔父上の色。あれは……『大地』の加護が強く現れているそうだ。そして、国王陛下は『水』が強い」
クラウスの瞳は夜空に浮かぶオーロラの輝き、王家の精霊石の色は、それよりも明るい水色が際立った虹色であった。それがなにを意味するのか、美晴はようやく気づいた。
「ペンダントの精霊石には、国王陛下の魔力が込められていたのね?」
ラルフは目を細めて、大きくうなずいた。
「ローザリンデは陛下と叔父上の精霊石の魔力をすべて使って、こちらへ来た。叔父上の精霊石は当然消える。王家の精霊石は空になったが、今度は、泉の『精霊の加護』の力で器が満たされたローザリンデの魔力が込められた精霊石になった」
美晴は先程ラルフが目の前で見せた、魔力を込める過程を思い出した。
「でも、私はラルフみたいなことしていない、というかできないのよ?」
「そう、おそらく身につけていただけで、精霊石に変わった。しかもすべての加護が均等な石。そんなことができるという話を、私は聞いたことがない。そもそも、あれほど大きな空の石に魔力を満たすことができるのは王族だけだ。その王族の方々でさえ、相当の魔力を使うために、お疲れになるそうだよ」
美晴の目が大きく見開いた。隣りに座るエマも固まっている。
「だから『重要人物』だと言っただろう?」
ラルフは組んだ手を顎にあてながら、真剣な眼差しをふたりに向けた。




