21.出発の朝
翌朝、目を覚ました美晴は、寝台で大声をあげそうになった。どうにか我慢して起き上がり、部屋の中を見まわす。
「そうだった。現実、現実なのよ」
すぐに扉が開いてエマが入ってきた。
「おはようございます、お嬢様。よく眠れましたか? お支度のお手伝いをいたしますね」
「おはよう、エマ。え、私が起きたことがどうしてわかったの?」
エマはにこっとえくぼを作っただけで、こたえない。
「さ、お顔を洗ってくださいませ。お着替えとお化粧をいたしましょう」
身支度に人の手を借りることに抵抗はあったが、エマの手伝いなしにドレスは着られないので、大人しくしたがった。
「イングリッシュブレックファースト!」
朝食の席に運ばれてきた皿には、スクランブルエッグにベーコン、トマトに葉野菜、ベイクドビーンズ、そして紅茶。
見事なイングリッシュブレックファーストである。前夜の食事は見慣れないものばかりだったが、一転して馴染みのある料理に、口もとが自然とほころぶ。
アルマが嬉しそうに、皿を並べていく。
「妃殿下がご指定になった、当家自慢の朝食ですよ」
「そうなのね、アンティリアの朝食は違うの?」
「夕食のメニューの品数が減るような感じですね。妃殿下が、朝からこんなに食べられないと仰って、厨房に行ってご自分でお料理なさいまして」
「ああ、そういうことだったのね」
母が厨房に乗り込んで行くようすを想像して、美晴は笑った。
「お国のお料理なんでしょう?」
「うーん、私の国の料理ではないけど、私の世界の外国の料理かな」
「外国のお料理だったんですか。存じませんでした。そんなこともおできになるなんて、流石ですねぇ」
どうやらアルマは母を過大評価しているようだと、美晴は笑みを重ねる。
「私の国は魔法がない代わりに機械が発達していて、外国との行き来も多いから、庶民の家庭でも外国の料理を結構作るのよ」
「そうなんですか!」
アルマが目をまるくしたとき、ラルフが部屋に入ってきた。
「ここへ来ればこれが食べられる、と期待していたんだ。よかった。どうですか、母君の味と同じですか?」
ラルフが座ったところで、美晴は小さくいただきますをしてから、スクランブルエッグを口に入れた。程よい塩加減のふわふわの玉子の食感が心地よい。
「美味しい。母は自分の国の料理の方が得意だったので、このスタイルの朝食を作ってくれたことはほとんどなかったんです」
ラルフは美晴が手をあわせたことに気づいたが、それには触れなかった。
「そうだったのですね。てっきりお国の料理なのだと思っていましたよ」
「母の味なのかどうかは、自信がないですけど、充分美味しいです。厨房に伝えてください、じゃなくて伝えてね、アルマ」
美晴が言い直したことにしっかりうなずいて、アルマはお茶の準備をはじめた。
食後、旅支度を整えた美晴がホールへ下りると、クラウスが待っていた。
「ミハル、ついて行けなくてすまない。私が一緒に行くと面倒事が増えてしまうだろうから。心配だが……。王宮ではひとりにならないように気をつけて欲しい。なるべくラルフと一緒にいるようにしなさい。残念だが、確実に信頼できる人間は、ラルフくらいしかいない」
「叔父上、不安をあおってどうするのですか。それに私くらいとはなんですか、もう少し言葉を選んでくださいよ」
ラルフは昨日と同じ騎士服の上着を着て、階段を下りてきた。
「間違いないだろうが」
「まあそうですけどね。準備はよろしいですか? ああ、このまま出かけるわけにはいかないですね。叔父上、私の魔力でよろしいですか?」
ラルフの問いかけに、クラウスは不愉快そうな表情でうなずいた。そのやり取りを不思議に見ていた美晴に、ラルフが向き直った。
「ローザリンデ様、お手を」
ラルフが白い手袋をした長い手を差し出したので、美晴はその上に右手をのせた。その瞬間、美晴の体が淡い青紫の光に包まれた。
「ひゃ! なに!」
およそ令嬢らしからぬ反応であったが、誰からもとがめられることはなかった。
「驚かせて申し訳ありません。エマ、鏡はあるか?」
いつの間にか、こちらも旅装に着替えたエマが、手鏡を差し出した。それをのぞくと、瞳がラルフと同じ紫がかった青に変わった顔が映っている。
「魔法……」
「貴女の瞳は、一目で王族だとわかってしまいますからね。ご不快かもしれませんが、王宮に着くまではご辛抱ください」
美晴は目の前で起きたことに驚き、また瞳の色が変わった自分の姿に興奮していたので、ラルフが続けてつぶやいた言葉は耳に入らなかった。
「ま、ご不快なのはお父上のほうですかね」
そのお父上に鋭くにらみつけられても、まったく気にしないラルフはハンスに視線を送る。ハンスが玄関の扉をゆっくりと開けた。ポーチの先には、立派だが装飾の少ない馬車が止まっていた。
「なるべくご負担が少ないように気をつけますが、途中、道の悪いところもあります。具合が悪くなったらすぐに仰ってください。エマも一緒に乗って」
ラルフに促された美晴は、クラウスを振り返って出発の挨拶をした。
「お父様、いってきます」
「……いっておいで。気をつけて」
クラウスは手を伸ばして美晴を軽く抱き締めると、ゆっくり手を離した。瞳は今日もあの精霊石と同じ、夜空に浮かぶオーロラの輝きを放っている。だが、その表情はどこか不安気で、眉間に深く皺を寄せていた。
美晴は父に精一杯の笑顔を見せてから、馬車に乗り込んだ。




