18.動き出すことと、動かないこと
少しして、ラルフが使用人を数人連れて戻ってきた。
「ひとりにして申し訳ありませんでした。叔父上と話されましたか?」
「はい、少し」
「私が考えていたよりも、時間が足りなかったようです。今日はそっとしておきましょう」
クラウスは自室にこもって、しばらく誰も来ないように言いわたした。クラウスがそうしたときには、時間がかかることをラルフはよく知っている。
「紹介します。ハンスは大公家の家令です。叔父上が王子殿下であったときから仕えています。そしてアルマはこちらの家政を取り仕切っている、メイド長でいいのかな? ふたりとも母君がこちらにいらした頃からの使用人です」
ラルフが促すとら柔かい笑みを見せてハンスは一礼し、アルマはもうひとり、先ほどお茶を淹れてくれたメイドを美晴の前に連れだした。
「メイド長と言うほどメイドの数がおりませんよ。家政婦ですが、クラウス様には長くお仕えしております。ローザリンデ様、どうぞアルマとお呼びください。急なことで、お嬢様のお世話をできる者もそろっておりません。力不足ではありますが、娘を連れてまいりました。エマ」
「エマと申します。母の下で見習いをしておりました。まだいたらないことが多いですが、精一杯努めます」
まだ若い、おそらく美晴よりも歳下のエマは緊張したようすで頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします。あの、私は故郷では庶民として育ちました。むしろ私のほうがいたらないと思いますので、よろしくお願いします」
アルマは目を細めて、美晴の手をそっと握った。
「失礼をいたします。そのようなこと、お気になさらなくてよろしいのですよ。本当によくいらしてくださいました。お嬢様がいつかお帰りになることを、ずっとお祈りしておりました。ありがとうございます」
「じゃあ、夕食の準備を頼むよ。それまで、ローザリンデ様には少しお話しすることがあるから」
ハンスとアルマは一礼して下がっていき、エマはお茶を淹れて部屋の隅に控えている。いつの間にかエッカルトが扉の脇に立っていた。
「先ほど、陛下にご報告を差し上げたのですが、やはりすぐにでも謁見の場を設けるとのことです。叔父上にも相談はしますが王命ですので、まあ逆らえません」
「えっと、逆らうつもりはありませんが」
美晴は「王命に逆らう」という言葉に驚くが、ラルフが肩をすくめて苦笑する。
「最初は今すぐ転移の魔法で王宮へ連れてくるようにと、仰っていたのですよ。さすがに性急すぎるでしょう? 貴女がこちらのことをなにもご存知ないとお伝えして、王宮へ向かう間にある程度ご説明差し上げます。ということでお許しいただきました。騎馬でとばせば一日かかりませんが、馬車なら一日半といったところです。途中の宿の手配をします。エマ、ローザリンデ様の支度と、あと君も一緒に来てもらうからそのつもりで準備を」
エマは笑顔でかしこまりましたと言って、いそいそと動きだした。リューレ大公領で生まれ育ったエマは、王都へ来るのもはじめてである。さらに王宮へ連れていってもらえることを単純に喜んでいる。
そのようすを微笑ましく見ながら、ラルフが続ける。
「ローザリンデ様のお支度は大丈夫かな? 必要なものがあるなら、宿に届けるよう手配させるが」
「母が、大公妃様のご結婚前のお召し物が、お嬢様にお似合いになるのではと申しておりました。もちろんお嬢様がよろしければですが」
笑顔のエマが振り返って美晴に問いかける。
「そうですね、サイズがあうのならそれで構いません。私はこちらのことがなにもわからないので、どうすれば失礼がないか教えてください」
すると、ラルフが声を上げて笑った。美晴は苛立つ気持ちを顔に出さないように気をつけて、視線をラルフに向けた。
「いや、失礼。そのようなことは、本当になにも気にしなくてよいのですよ。ご自身が考えておられるよりはるかに、貴女はこの国の重要人物です。それに、陛下も母君のことをよくご存知のはずですから」
美晴は『重要人物』という言葉に違和感しかない。文乃が大公妃様と呼ばれていることも、気恥ずかしい思いになるだけだ。
「今のお召し物もとても素敵ですね。美しくてよい生地なのがわかります。ですが、貴族のご令嬢の装いとしてはちょっと簡素ですね。大公妃様のドレスは流行りの意匠ではないものが多いですから、今お召しになっても問題ないと思います。お嬢様にお似合いになりそうなものが、たくさんありますよ」
冴子にプレゼントされたワンピースをほめられたことで、美晴は嬉しくなり、少しだけ緊張が解けたような気がした。ずっと緊張していたのだ。
「お食事の前にお着替えされるときに、ご覧になってください。本当に素敵なドレスですから」
美晴の事情をほとんど知らないらしいエマは、屈託のない笑顔を見せる。今の美晴にとって一番ありがたいものだった。
「なら、エマに任せて大丈夫そうだね。王宮へ行ったら、きっと王妃様や私の母が、最新の流行のものを作らせると言いだすから。新しいものはそれで間にあうと思うよ」
ラルフは母たちの反応を想像して、げんなりしたようすで言った。
「王妃様がですか?」
「今回、貴女がいらしたことをお聞きになって、とてもお喜びですよ。国王陛下以上に『早く連れていらっしゃい!』とうるさ、いえ楽しみにしていらっしゃいます」
「……はあ、とても自分のこととは思えないです」
「本当に『重要人物』なんですよ。あと、おそらくひと月くらいは、こちらには戻れないと思ってください。貴女のことはまだ極秘事項ですが、それでもお会いになりたいという方は、結構な人数になります。叔父上とお会いになったばかりなのに、申し訳ありませんが」
ラルフがはじめて気まずそうな表情を見せたので、美晴はおやっと思った。だが確かに、二十年の時を経て父にやっと会えたのに、自分のあずかり知らぬところでいろんなことが決まっていく。
――もしかして、私が怒るかもと思ったのかしら――
洞窟で目覚めてから続く怒涛の出来事に、まだ現実味がなく、感情が追いついてこない。
「それと、……おそらく叔父上はこちらに残られると思います」
ラルフがさらに言いにくそうに伝えた。
「お父様がそうい、えっと、仰ったのですか?」
「いえ、私は叔父上とはまだ話していませんので。ただこの二十年、叔父上は王宮へ直接出向かれたことはありません。陛下とも一切お話しされていないのです」
「そうなんですね……」
「貴女を王宮へお連れすることは、もう決定事項です。それは叔父上もわかっていらっしゃるはずです」
美晴がクラウスに会ったのは、今日がはじめてである。ほんの数か月前まで、父親が生きていることさえ知らなかった。
クラウスのことをなにも知らなくて当然なのだ。わかった上で会いにきたはずなのに、心が沈んでいくことを止められなかった。




