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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第一章 生まれ育った世界
12/50

12.居場所

 美晴は、住まいの片づけをはじめた。

 冴子はこのマンションを処分しないだろう。だが、美晴が帰らなければ、いずれ考えなければならなくなる。そのときに、できるだけ負担にならないようにしたい。まだ決めかねている未来を、秤にかけている。


 気に入ったものしか身のまわりに置かないから、もともと物は少ない。淡々と手を動かす。

 自分の身に起こっていることが、どこかまだ他人事(ひとごと)のような気もする。


 本当に、異世界が存在するのか。でも実際に、精霊石は目の前に現れた。()()()が送ってくれた精霊石が。


 冴子や由香里が使うかもしれないものを残して、彼女たちの趣味にあわないものを、処分する箱へ入れていく。

 日本に残ったとしても、最小限からやり直すのは悪くない気がする。


 これまで、文乃の遺品に手をつけなかったのは、その必要がなかったからだ。でも、もしかしたら、母に触れて悲しむ自分に気づきたくなかったのかもしれない。


 少ないながらも残っていた写真、メモ、そして母子手帳。美晴が母に愛されていたこと、母を愛していると確認するには充分なものがあった。


 文乃の少ない遺品は、すでに整理したようすがうかがえた。

 自らの死に支度を終えていたのか、いずれ父のところへ行くことを考えていたのか。今となっては、後者だったのかもしれない。


 2DKのマンションは、文乃がいた頃から広い空間だったが、ひとりで暮らすにはやはり広すぎる。

 片づけが終わったら、本気で花島家に引っ越してもいいかもしれない。快く受け入れてくれる、と信じられることが素直に嬉しい。


 浜辺に寄せては返す白波のように、さまざまな思いが去来する。母の面影、子どもの頃の記憶、由香里と過ごした時間、そこに存在しない父。


 すべてをなかったことにしたら、どうなってしまうのだろう。今思うと、容姿が変わりはじめたのは、文乃が亡くなってからだ。

 記憶を閉じた、と書いてあった。それ以外にも、文乃はなにかしていたのかもしれない。なにしろ、異世界の摩訶不思議な力が働いているのだから。


 文乃を待っていたであろう父に、なにも伝えずに生きていけるのだろうか。父にだけ絶望を与えて、すべてを忘れてしまえるのか。忘れてしまっていいのか。


 記憶がなくなっても、割り切れない思いを抱えたままになるのではないか。それとも、父の中からも美晴の存在は消えてしまうのだろうか。


 由香里に言ったように、文乃の過去についてもほとんどなにも知らない。

 九条家のことも聞いたことはないし、父のことも、精霊石が届いていたのを思い出しただけだ。


 子どもからみれば、自分の生まれる前の出来事は大昔のことに思えるし、知らなくても日々は過ぎていく。


 だが、知ることを()()()()のと、()()()()のとでは大きく違う。


 これまでは望んでいなかった。これから先、望めなくなることを後悔はしないだろうか?

 母方の出自を名のることは今後もできないだろう。父親が誰かわからないという事実も変わらない。花島家の養子になったとしても、それはついてまわる。


 美晴の立場は、今まで考えていた以上に不安定なものなのだ。

 社会に出てなにかあったとき、きっと冴子たちは助けてくれるだろう。しかし、その手は本来は由香里ひとりのものなのだ。


「そっか、私やっぱり寂しいのか……」


 血は水よりも濃いという。それは絆であり、枷でもある。花島一家との間には、絆のようなものは確かにあるが、それは「ものすごく親しい友人関係」以上にはならない。実の父のことをなにも知らないという枷は残る。


 父のもとへ行けば、枷を絆に変えることはできるのだろうか。母と父の間には確かな絆がある。父はそう信じて、精霊石を送り続けてきたはずだ。

 母のもとに届かなかったとき、なにを思ったのだろう。

 美晴に届いた精霊石には、どんな想いが込められているのだろう。

 母が愛した父はどんな人なのだろう。


 会いたい気持ちよりも、父親という存在がいない寂しさが上回っているのかもしれない。

 これからの人生に、陰が残る不安もある。こんな後ろ向きな気持ちで会いに行っても、父は受け入れてくれるだろうか。父の国に居場所がなくても、帰りたくならないだろうか。


 だからといって、花島家に頼り続けることもできない。どんなに彼らが優しくても、それを当然だと思うことはない。


 次々と浮かんでくる感情が、澱のように美晴の心に溜まっていく。


『気持ちが落ち着かないのに、ひとりでいるのはよくないわ』


 冴子の言葉を思い出す。


 ――冴子さんが言ってたのはこういうことね。まったく考えがまとまらない――


 とりあえず、花島家へ戻るために、急いで手を動かした。このマンションにひとりで居ると、辛くなるだけだ。

 でも、花島家も自分の居場所ではない、ともうわかってしまった。

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