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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第一章 生まれ育った世界

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11.美晴の気持ち

 翌朝、美晴と由香里は近所のベーカリーで朝食を買って、公園へ向かった。ふたりが遊んでいた頃にはなかったベンチに並んで座り、それぞれに買ったパンを広げた。

 先に話を切りだしたのは美晴だった。


「それで、昨日のデートは楽しかった?」

「いやいやいや、その話じゃないでしょう? 美晴の話だよ」

「だから私の話は急がないのよ。由香里の話は鮮度が大事なんだから、今聞かないと」


 結局、由香里は昨夜の会話を美晴に聞かせた。沢崎が言ったように、お姉ちゃんには敵わないのだ、と由香里は妙に納得していた。


「私が元気ないから、話聞くよって言ってくれて」

「うん」

「さすがに文乃先生のあれこれは、話してないからね。美晴がお父さんに会いに行くかもってことと、行ったら帰ってこないかもってことだけ。……それで引きとめたいけど、なにも言えなくてどうしようって話したの」


「うん、それで?」

「沢崎先輩が、私は美晴の家族なんだから遠慮なく行かないでって言えばいいって。だから美晴にちゃんと行かないでって言おうと決意して、帰ってきたんだよ」


 美晴は、本気で呆れながら言った。

「え、まさかそれだけで帰ってきたの? 嘘だよね?」

「それだけって、今、私の最重要事項ですけど。いや、まあ、それだけではなかったですよ。ええ」


 頬を赤くして敬語になった由香里を見つめて、美晴は満足そうにうなずいた。

「なら、よかった。ちゃんとくっついたのね。安心したー」


 美晴のこういうところは、なぜか冴子に似ている。由香里は反抗期に戻ったような顔をして、サンドイッチを頬張った。


「まだ返事はしてないから!」

「でも、次に会うときにはするんでしょ? よかったよかった。ついでに由香里のご機嫌まで直してくれるなんて、さすがだね、沢崎先輩」


 にっこりと笑う美晴は、お気に入りのシュガートーストを口に入れる。サクサクしたトーストはとても美味しいが、どうしてもグラニュー糖がこぼれ落ちる。お行儀は悪いが、美晴はそのまま地面に落とした。


 由香里はしっかりと決意を固めて、伝えようとしていた言葉を、もう口にしてしまったことに気がついた。意図せずに言わされてしまったことに、そうじゃない、とあらためてはっきり言った。


「美晴、行かないで」


「うん、ありがとう。由香里も冴子さんも健彦さんも、私の大切な家族だから。昨日ね、健彦さんが養子にならないかって言ってくれたの」

「え、ほんと? 本当に家族になるってこと? パパすごい思いつき!」


 由香里はまったく聞かされていなかったが、それは反対するはずがないと健彦も冴子もわかっているからだろう。


「うん。嬉しいけど、でも、花島家にはなんにもメリットないじゃない。だから私もびっくりした」

「いいことだらけでしょ! もううちに住めばいいじゃない。パパ大喜びだよ」

「健彦さんもそう言ってくれたよ。……びっくりしたのは、由香里が考えてることだけじゃないのよ」


 冴子と武彦が、美晴を引きとめようとしていること、引きとめられなくても、美晴の帰る場所を守ろうとしてくれていること、そのどちらもが理由であると聞くと由香里は笑いだした。


「もうさ、うちの家族みんな美晴のこと好きすぎじゃない?」

「私も三人が大好きだよ。だから、本当に嬉しかった。養子にしてもらって、本当に花島家に引っ越ししようかと思ったんだよ。でもそのときに、あの新しい石が届いたのよ」


 風が舞って、大きな桜の木の葉をざあっと揺らした。美晴の視線を受けて、由香里は笑みを消した。


「養子の話を聞いて、大人ってすごいなって思った。私がどちらを選んでも、守ろうとしてくれてるんだなって。私もそれなりにやってきてたつもりだったけど、でもまだまだ子どもなんだなあって。冴子さんたちはそれがわかってるから、いろいろ考えてくれたんだよね。花島家の娘になって生きていくことは、すごく幸せだと思う」


 由香里と姉妹にもなれるしね、と美晴は笑った。

 由香里は、これから美晴の話を聞かなくてはならない。聞きたくない、耳を塞いで「嫌だ!」と叫びたくなるであろう話を。


「あの石を、お母さんがもう受け取れないとわかっていて、娘の私に宛てて父が送った。そして、私が受け取ったってことは、私が父のことを知っていると伝わる。でも私が()()()()()()()()にしたら、来年はきっと届かなくなるんだよね……」


 美晴はペットボトルの紅茶を飲んだ。口の中が乾いて言葉が続かない。由香里に話しているのか、自分を納得させようとしているのか、よくわからない。


「冴子さんと健彦さんが、私のためにいろいろ考えてくれたみたいに、父も私のことを考えてくれているのかもしれないって」


 思っちゃったのよ、と由香里に話す美晴は冷静にみえる。由香里は、なにもこたえられない。ただ聞くことしかできない。でも、それは自分にしかできないことだ、とわかっている。黙って続く言葉を待つ。


「私ね、父のことだけじゃなくて、お母さんのこともほとんど知らないのよね。生まれる前のこともあんまり聞いたことないし。由香里は、冴子さんと健彦さんが結婚するときの話とか知ってるでしょ。うらやましい、とはちょっと違うんだけど。お母さんと父の間にも、いろんなことがあったんだろうなって。二十年、お母さんのことを忘れずにいてくれて、私のことも思ってくれてて、なのに、私がそれをなかったことにしたら」


 それはあまりにも酷なことではないか、と由香里も思った。

 文乃の手紙には、振り切って帰った、とあった。少なくとも、一度は人生を共にしようと決めた人が去り、おそらくもう会えないこともわかっている。

 その上、娘にも想いが届かなくなる。それはどれほどの絶望をもたらすのか、想像もできない。


「正直に言うと、会いたいのかどうかはまだよくわからない。でも『お母さんはありがとうと言っていました』って、それはどうにかして伝えたい。あとどんな人なんだろうって……」


 だから準備はしようと思うのよ、と美晴は小声で、でもはっきりと言った。由香里はただ無言でうなずくしかなかった。

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