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虹色の霧の国  作者: 永井 華子
第一章 生まれ育った世界
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1.神野美晴の現在

「神野さんってハーフ?」

 もう何度目だろう。大学に入って新しく知り合った人には、ほぼ全員に言われている。美晴の容姿は年々、見知らぬ父に似てきているらしい。


 毎回、幼なじみの花島由香里が助け舟を出してくれるところまでが、もはや定型文となっている。


「そうそう、亡くなったお父さんがアメリカ人なんだよね? 高校までは純日本人だったのに、最近いい感じにハーフっぽくなってきたよね」


 由香里はそう言って美晴に笑顔を向ける。「亡くなった」がポイント。そう言っておけば、たいていはそれで終わりになるよ、と美晴に教えてくれたのも由香里だ。嘘が下手な美晴を、上手な嘘で今日も助けてくれる。


「嘘も方便。だけど、美晴はほんと嘘つけないよね」

「うーん。なんて言えばいいか、わからなくなっちゃうんだよね。いつも由香里に嘘つかせて悪いな、と思ってるんだけど、ごめん」

「私の嘘設定で答えればいいのに、真面目だなあ。みんな軽い興味できいてくるだけなんだから、本当のことを言う必要なんてないんだよ」


 由香里も、好んで嘘をつくような人間ではない。美晴の複雑な事情を知っているからこそ、さらっと流してくれる。

 複雑な事情を話すと長くなる、そして美晴自身も知らないことが多すぎて、親しくない人に話すにはちょっとばかり重たい感じになってしまう。


「それにしても、ほんと最近色素薄くなってきたよね。あながち嘘でもないんじゃない? お父さん外国人説」

 由香里がまじまじと美晴の顔を見つめてくる。


 確かに三年くらい前から少しずつ、美晴の容姿は変わってきている。真っ黒だった髪と瞳の色がヘーゼルっぽくなり、肌もそれまでよりも白くなってきた。

 もう純日本人には見えないのは確かで、人種の坩堝アメリカとのハーフと言えばすんなりと納得してもらえる。


「もともとお母さんにもあんまり似てなかったし、そうかもね。でも私自身がなにも知らないから、どうなんだろうね?」

「まあ綺麗になってるんだから、単純に羨ましいわ。あ、そろそろバイト行くから、また明日ね!」


 バタバタとノートやペンを片づけて、教室を出ようとしていた由香里が振り返る。

「そうだ。ママがね、美晴と私のバースデーパーティー、今年もうちでって。ワイン開けるって張り切ってるからよろしく」


「え、沢崎先輩は? 約束してるんじゃないの?」

 美晴がバイト先の先輩の名前をあげると、由香里の顔がわかりやすく真っ赤になった。

「な、なんで。沢崎先輩は関係ないでしょ!」

「だって、この前『花島さんの誕生日は九日だよね?』ってきかれたから」


 美晴もアルバイトをしているカフェで、由香里のシフトが大学のひとつ上の先輩とよく一緒になっている。どうやらお互いに憎からず思っているらしい、と美晴は気がついていた。


「……誕生日にご飯でもどうって誘われたけど、やっぱり二十歳のパーティーは美晴と一緒にって思って。今年はママが特に楽しみにしてるし。だから、次の土曜に約束してる」

「うんうん、行っておいで、行っておいで。今日のシフトも一緒かなー?」

「もう、からかわないでよ!」

 由香里はさらに耳まで真っ赤になって出ていった。


 美晴はひとりで次の教室へ向かう。新緑を抱えた木々が囲む通路を、木漏れ日を浴びながら歩くのは心地よい。

 大人になったとは思わないけれど、気持ちのよい空気の中、走り出してしまうような歳でもない。


 たくさんの学生が行き交う構内でふと立ち止まると、美晴は自分が風景の一部になってしまったように錯覚する。

 それでいて、その自分を俯瞰で眺めているような不思議な感覚に陥る。

 ひとりでいることには未だに慣れないが、人恋しいという気持ちとも違う。

 美晴は大きく深呼吸をすると、再び歩き出した。


 ――「お父様」ねえ。「お父さん」じゃなくて。そんな呼び方をしないといけないような人なの? お母さん? ――


 美晴は父のことをなにも知らない。名前すら。


 物心つくころには、母、文乃とふたり暮らしだった。

 なぜ自分には父がいないのか。美晴はあらたまって文乃にきいたことはない。

 おそらく小さい頃には何度も問い正したのだろう。いつの間にか、きいてはいけないことになっていた。

 その文乃も三年前に病死して、美晴は天涯孤独の身の上となった。


 未婚で妊娠したことで、実家から縁を切られたらしい文乃は、ひとりで美晴を育てた。

 幸い、産院で雑誌編集者の花島冴子と知りあい、エッセイストとしての仕事を紹介してもらえた。おかげで、母娘ふたりで贅沢をしなければ暮らしていけるようになった。

 一日違いで由香里を産んだ冴子とは、それ以来家族ぐるみのつき合いが続いている。


 文乃の死後、マンションは美晴のものとなり、保険金で相続税も支払えた。今も美晴はほどほどのアルバイト代で、贅沢をしなければ生活していける。


 文乃は生前、美晴の父親についてなにひとつ話してくれなかった。だが、死の直前にたった一言だけ言い遺した。


「もしも、美晴がお父様に会うことができたら、ありがとうって伝えてね」


 それだけ。

 ――今までなにも教えてくれなかったのに、なにそれ! っていうかお父さんは生きてるのね? どこにいるの? ――


 今度こそ問い正そうとしたときには、もう文乃は目覚めなかった。

 美晴は今でも文乃を愛している。でも、純粋に悲しむことも怒ることもできず、感情は宙ぶらりんのままだ。


 美晴を愛情深く育ててくれた母はもういない。だけど、いないはずだった父親はどこかで生きているらしい。


 ――お母さんがいなくなって寂しい。だけど、お父さんに会いたいのかどうかは、よくわからない――


 美晴は鏡を見る度に、どこにいるのかもわからない父のことを考えている。

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