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『ハクジョウ』


 刹那、唐突に伸びてきた裏拳によって近くの壁へと女神は叩きつけられた。その拳の威力は、壁面に刻み込まれた深い亀裂が恐ろしいほどに示している。


 カハッ……という排気音が聞こえると、血液を滴らせる黒髪が風に揺れた。


 傷が痛むのか顔を(しか)めるアビスは、女神の陥没した後頭部に拳を押しつけながら告解する。


「ボクみたいな【神器】にも痛覚はあるんだ。それも、より戦闘能力を高めるために、君らよりもよっぽど高性能なんだよ……」

 

 低く、唸るようなアビスの声が響くなかで、頭を押さえられた女神は拳から逃れようともがく。神相応の膂力を有した全力の足掻き、幼女じみた見た目からは想像もつかない程の駄々。

 力の余波、衝撃によって周囲の埃やゴミがより散乱し、壁の亀裂は数を増していく。


 そこまでして、しかし脱出は叶わない。

 壁を支点にして両腕にどれほど力を込めようと、女神が壁に押しつけられる状況は変わらず、むしろ酷くなっていく一方だった。

 アビスの腕に込められる力が、どんどんと増していく。ミシリミシリ……生物の体から聞こえてはいけない音がする。


 底冷えする声も、聞こえた。


「意識を保ったまま頭を潰されたことってある? ……狂いそうなほど痛いんだよ」


 偽りなしの怒気にあてられ、自分の口角が歪むのを自覚する。

 

 同時に、女神の骨肉が歪み(きし)み壊される。鼓膜を揺らす粉砕音が轟き、女神の後頭部から流れ落ちる血液は量を増した。地面とアビスの拳を真っ赤に染め上げていく。


 しかし、


「がっ……ああああァァァァァァ!」


 女神は抵抗を止めていないし、勢いも衰えるどころか増している。恥も外聞も捨てた獣のような絶叫も追加されている。

 いたい、いたい、いたい、いたい、と機械的に感情的に泣き叫ぶ姿は見た目相応に見えないこともなかった。

 

 が、彼女はどうあっても神だ。

 でなければ、頭を潰されても動き続けたりなどしないだろう。


「胸にある核を潰されない限り、なにをされても死なない、死ねないーーその生命力の高さにも、今ばかりは感謝するよ」


 ただ暴れるばかりの玩具と化した女神を足元へと放ったアビスは、自分が女神にされたように足を振り落とす。


 その威力は、先ほどの女神のものとは比べものにもならない。

 暴力、と形容するのがふさわしい理不尽だ。

 地面に深い(くぼ)みが生じ、地割れが起きなかったことがむしろ奇跡とまで言える衝撃が周囲に襲い来る。意図的にもたらされた地震、災害といってもいいんじゃなかろうか。


「やっぱり重みが違うな、アビスは」


「ちょっと黙ってて……意識が乱れる」


 あれほどの一撃を見舞っても、アビスは未だに集中を切らしていない。張り詰めた意識のままに、ただじっと足下を見つめている。

 何故か。理由は既にアビスが語っている。頭を潰されようとも、凄まじい衝撃に襲われようとも、核を潰されない限りは動き続けるのが神という生物なのだ。


 獣声が、聞こえる。


「グッ……ガッ……ガアァッ!!」

 

 歪み、いびつな頭部の至るところから流れ落ちていく真っ赤な液体、血と臓物の混合物に目を(けが)している女神の瞳はもはや機能していないはずだ。

 そのなかで本能にでも突き動かされたのか、彼女の両腕は胸の前で交差される形でアビスの攻撃を防いでいた。


 しかし払った代償は大きい。華奢な腕の体皮が生々しく裂け、明らかに異常と分かる曲がり方もしている。神の再生力をもってしても今日一日は使い物にならないだろう重傷。


 ここまでの深手を負ってしまえば、勝敗は決まったも同然だろうと自分には思えるのだが。


 アビスは全くもって油断の気配を見せないし、女神は咆哮の声量を上げることで、戦意と殺意の上昇を知らしめる。

 

 永い時を生きる女神でも、生への執着は強固なのか。

 

 女神から淡い金色の神力が放出されたーー衝撃波だ。


「ーーーー」


 自分とアビスは強制的に、女神から距離をとらされることになる。同時に、すでに亀裂が走っていた周囲の建物も完全に倒壊する。土埃と瓦礫に視界を塞がれ、女神の姿を完全に見失う。


 しかし、気配はまだそこにある。

 動き続けるとは言っても、もはや死体に近しい女神には余力はほとんど残っていない。激しい運動をするのは困難なはず。

 ただ、神というのは回復力も凄まじい。

 放っておけば、頭部を潰された状態でもーー個体差はあるとはいえーー約一日で全治するという。


 そうなれば万全の状態で復讐されるだろう。


 仕留めるにしても対処するにしても(、、、、、、、、)今しかない。ゆえに微力ながらアビスの助力、女神を打倒するために動きたいところーーなのだが。


 崩れていく建物に潰されそうになる男を放っておくわけにもいかないだろう。


 あいつになにかあっては、アビスが戦い始めた意味が無い。


「ひっ……ひぃぃ!?」


 危機的状況にあって、依然として尻もちをついたままの男のもとへと駆ける。アビスにはまるで及ばない加速だったが、建物が襲いくる前になんとか救出することができた。


 崩壊の音を聞きながら、肩に男を担いだ状態で振り返る。


「…………くっ」

 

 宙に飛ばされるアビスは器用に姿勢を回転、壁面を足場にすることで爆発的な加速を得ていた。陥没する壁を背に、隠れた女神のもとへと突貫を敢行する。

 瓦礫の破片に体の至るところを打ちながらも速度を減衰させることはなく、最高速を維持したままの特攻。


ーーその刹那。


「左……うでを……代償に」

 

 土埃のなか、ほのかに揺らめく金色の神力が見えた。

 言霊が絞り出すように紡がれる。


ーー瞬間、脳裏に蘇る言葉がある。


矜持(きょうじ)を捨てた神は面倒だ』


 自分を育ててくれた父が、死の気配漂う戦場で言っていた。

 その言葉を聞いた当時は、幼いこともあって実感がよく沸かなかったが。

 死に体同然であったはずの女神の気配、それが徐々に殺伐としたものに変化していくのを肌身に感じると、思う。


 神とは、怪物だと。


「神術【(メギド)】」


 限りなく雷や光に近い炎が、雷速をもってアビスを迎えた。

 眩い閃光に目がくらみそうになる。

 細められた視界で見た光線の規模は、速度に比せず大きい。アビスの長身をゆうに飲み込むだろう。

 それでいて、離れている自分の肌が痺れるほどの熱だ。当たれば、ただの液体になるのは必至。血が流れる肉塊になったほうがまだ良かったと、後悔する間もなく一瞬のうちに死ぬ。


 少なくとも、自分ならば。 


 しかしアビスはーー【邪神の城】アビスジブラは違う。


 こう言ったら怒られるだろうが、彼女もまた怪物なのだ。


「ーーーー」


 死はまず免れない熱線を正面から受けたアビスは、しかし髪の毛一本と燃やさない状態で現れた。


 「……え」なんて、女神が動揺する声が聞こえる。

 自身が噛みちぎれる肌をもつ存在など、神器とはいえ熱線で屠れると確信していたのだろう。


 とっさに場を動くことができない。


 そして状況に対応しきれない女神の顔面。呆けていても整っている尊顔を、アビスは気合いとともにぶん殴るのだった。



◆◇◆



「……ほんと、神と()りあうのは疲れるな」


 服に付着した瓦礫の欠片を手で払いながら、ラックの近くまで歩いてきたアビスは告げる。もう片方の手には女神の髪が握られており、その先には意識を喪った女神が地面に引きづられている。痛々しい見た目もあって、もう死体にしか見えない。


「おう、おかえり。あと、死んでないかその女神?」 

 

「……ただいま。あと、ちゃんと手加減したさ。これくらいで死ぬのなら神じゃない」


「…………」

 

 アビスの言葉を受け、もはや戦場の跡地となった路地裏を見る。

 明らかに再生不可能な凹み、瓦礫の山となった複数の建物、舞い上がった砂埃と土砂で汚れた路面ーー荒れた数々が示すアビスの実力に、心からの頼もしさを感じるばかりだね。


「そ、ん、な、こ、と、よ、り、も」


「……ぐっ!?」額に凄まじい衝撃をもらってしまい、思考を強制的に断絶する。近づいてきたアビスに、デコピンで無防備な額を攻撃されたのだ。


 後ろへと首が直角に曲がる。


 それによって目のあった男が、「ひぃぃ!」と怯えていた。

 

「幼馴染の頭が潰されたっていうのに、まったく取り乱さないっていうのはなんなんだい? えぇ? ラック?」


 鼻がくっつきそうなほどに寄せられたアビスの顔は、片眉を吊り上げて怒りを器用に表現していた。


 数分ほど前、ぐしゃりと潰れていたとは思えない。


 それにしても、改めて近くで見ると本当に整った顔立ちだ。

 肩ほどで切り揃えられた黒髪はーー血がまだ付着しているがーー艷やかな美しさを含んでいるし、ぱっちりとした紫色の瞳は愛嬌と意思の強さを同居させている。


 神器とは言ってしまえば作り物であり、生物からかけ離れた美しさを有しているのは当たり前といえば当たり前かもしれないが、やはり感動は覚えてしまうーーなどと現実逃避はほどほどに目の前の危機に向き合わなきゃな。


 でなければ、物理的に現実からおさらばしてしまう。


「ボクになにか言うことはないかい」


「どうせ再生するんだ、動揺も涙もないだろ」


「薄情だな」


 分かってたことだけど、なんてぼやきが聞こえると再び凄まじい衝撃。二回目の暴力、まったくかわいげの無いデコピンだ。

 正直、一回だけであれば余裕で耐えられるが、二回目ともなると流石に額がじくじくと痛み始めてくる。


「……そんな軽々としたノリで殺そうとしてくるな。そもそも、頭を潰されたのは後先を考えずに突っ込んだアビスの落ち度だろ? 自分、なんか間違ったこと言ってる? ねぇ?」


「それは分かってるけど、やっぱりイライラとはするよね」


 分かってるのかよ、なんて思っていると三度目のデコピン。首を直角に曲げすぎて、うなじの辺りにひどい鈍痛がやってくる。試しに片手でさすってみると、やけに熱い。


「……あの、お連れの方は大丈夫なんですか?」


 おそるおそる、といった声が聞こえる。

 先ほどの戦闘を見たばかりの男は、アビスが自分ーー傍目にはなんの変哲もない青年(たぶんイケメン)ーーを虐めすぎなのではと不安なのだろう。

 その危機感は正直なところもっともであり、事実としてあと十発ほどくらってしまえば自分の頭はたぶん砕け散る。

 裏返せば、神を潰せる女の攻撃を、手加減しているとはいえ十発ほどは耐えられるということだが。

 

「ん、いいよいいよ。ラックもなかなかに丈夫(、、、、、、、)なんだ。そこらへんの建物ぐらいには耐久性あるから」


「そこらへんの建物、ぜんぶ崩壊してるぞ」


「ーーだから心配しなくて平気さ。君はまず、自分の身を案じると良い」


「おい」

 

 自分の言葉をとにかく無視して、男に優しい対応をするアビス。

 ふわりと浮かべられた笑顔は可愛いと言うよりは美しく、男は途端に二の句を告げなくなってしまった。

 命を救ってもらったこともあり、男はアビスに対して強く出られないのだろう。


 可哀想に、騙されちゃったのかーーなんて冗談はほどほどに。


 察するところもあったのかも知れない。偽り無しの心配の奥にある『これ以上、詮索しないでほしい』というアビスの意志を。


「……はい。本当に……ほんとうにありがとうございました!」


 深く感謝の意を示した男は、瞳に純粋な涙をたたえて自分とアビスの前から去って行った。



◆◇◆



 男の背が小さくなったところで、呟く。


「あんなに善良そうな男にも言えないんだな。不思議がってたぞ、自分のこと」


「わざわざ白状することじゃないし、嘘も言ってない」


 それよりも、とアビスの視線は気絶した女神に向けられる。


「【権能】を使ってもらってもいいかい、ラック? 彼女から色々と情報収集をしたいんだ」


「……さっきから自分の扱いが荒くないか?」


「だったら! 君も! ボクをもっと労るべきだと思うね!」


 叫ぶほど元気なら別に労りなんていらないのでは?

 そんなことを思ったが、きっと言えば殺られるのだろう。


「じゃあ、お疲れ」


 自分がねぎらいの言葉をかけた瞬間に、視界が白くハジけた。


「君も、今までご苦労さま」


「なんで!?」


 指が額を打ち付ける音が、路地裏に延々と木霊(こだま)した。

 

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