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『見た目で判断してはいけない』


 3日前に、旅を始めた自分は世間知らずだ。

 それまでの生涯を世間からかけ離れた城で生きてきた。

 いままで交流を持った存在は、神が一体に影が一体に城が一体と数えるほどしかいない。

 

 知識も少なければ、経験も少ない。

 だから、男が幼女を襲っている現場に遭遇したときどんな行動をとれば良いのか、ちょっと分からん。


 聞こえてくるのは気持ちの悪い声。


「おい……兄ちゃん。コイツを殺されたくなかったら、さっさと金目のモノを寄越しな」


 場所は【廃人街】の大通りから外れた路地裏。時間は昼間。

 ゴミが周りに散らばり、鼻を刺すような臭いがぷんぷんとするなかで、正面にいる男がブサイクな笑みを浮かべている。

 左腕で幼女の首を強く締めつけ、右手で刃物を向け、自分の判断を急かしてくる状況だ。

 幼女はジタバタともがいてるが、振るわれる足が男の太ももに掠るぐらいで脱出には程遠い。

 

 自力での解決はまず無理だろう。


「…………っっ」


 幼女は首を塞がれているから声を出すことはできない。が、涙の浮かんだ瞳や震える手足から、助けを求めているのだろうということはなんとなく(、、、、、)自分にも理解できる。


 が、どうすればいいんだ。助ければいいのか?


「なにを迷っているんだ、ラック」


「……いや、アイツを助けてなんか良いことがあるかな、と考えて……たん……ですがね」


 黒髪の幼馴染ーーアビスの睨みは強烈だ。その実力、もとい暴力の凄まじさを知っているだけに、彼女の怒りに当てられると途端に冷や汗が出てくる。


 なんだ? 自分はなにかしちまったのか?


 アビスの瞳は怒っているように泣いているように揺れていて、

 

「困っているひとがいるなら助けるんだ」


 決然とした声を発すると同時、アビスは自分の視界から消えた。

 地面が爆ぜる音が聞こえたと思うと、男の至近距離にまでアビスは迫っていた。そのまま流れるような動作で体をひねると、男の顔面へ拳を繰り出す。行動に躊躇はなく、無駄もない。


 幼女が目を見開いたのが分かった。

 

「…………っがぁ!?」


 男はまともに反応することすらできず、アビスの攻撃を鼻っ柱に直撃させる。とはいえ峰打ちだったのか、顔面を陥没させる衝撃的な事態にはなっていない。


 痛みに喘ぎ、幼女の拘束を解く程度の怯み。


 自分が気づいたころにはアビスは幼女を抱えており、地面に尻もちをつく男を見下していた。


 おお、凄いぞアビス! なんて声を出したかったが、殺気と怒気が凄いので口に出すのはやめておく。


 背中を向けられているため自分の方から表情を伺うことはできないが、きっとアビスは凍てついた面持ちでいるんだろう。


「ーーとっとと失せて、おじさん。君もまだ死にたくないだろ?」


 先程、自分に向けてきたものとはまた違う冷たい声。

 決して冗談ではないことぐらいは男にもわかっただろう。先ほどの暴力と理不尽なまでの実力差、そして現在も纏われる殺気がアビスの言葉に確かな重みを与えているのだ。

 

「…………ぁ……ぁ……ぁっ」


 男は恨み節を吐くことも、気絶することも、かといって無様に逃げ出すこともなかった。


「あああぁぁ……ぁぁぁ……」


 ただ、泣き出した。

 声を抑えることなんてしない。赤ん坊みたいな号泣だ。

 これには面食らうが……同情でも買おうとしてるんじゃなかろうか。


「おい、アビス。一回冷静に……」


「分かってるよ。君も泣くぐらいなら……脅しなんてやめなよね」


 ぶっきらぼうな物言い。同時に殺気も薄れていく。

 憐れみというよりは呆れに近いだろう。泣き出して同情を乞うようなヤツには気を張るのも面倒になったんだろうな。


 一方の男はあとひと押しだと思ったのか、それとも緊張が解けて抑えが効かなくなったのか、さらに泣いて喉を枯らす。


「……お、おれだって……こんなこと…………もう」


 いやだ、と。

 子供のように男は訴えた。

 

 そのとき、偶然にも。

 アビスの肩に乗せられた幼女と目があった。


 (わら)っていた。


 ーー次の瞬間、幼女はアビスの首を噛みちぎった。



◆◇◆



「ーーーー」


 呆けた声はアビスのものか、男のものか、はたまた自分のものだっただろうか。幼女を除いて、誰も状況に付いていくことができないなか、重力に従ってアビスは地面に倒れる。


 ぐちゃぐちゃ、という不快な咀嚼音だけが辺りに響き。はっ、という誰かの呼吸音が聞こえると時間の流れは再開された。


 血の流れることの無いアビスの体を見下ろした幼女は、黒髪を垂らす後頭部に向けて思いっきり足を落とす。


 ぐしゃり。

 ナニカが歪む音がした。


「…………あはっ」


 ようやく聞いた幼女の声は見た目相応の幼さだったが、どこか魔性を含んでいた。紡がれる言葉には、なめらかな愉悦が濃く(にじ)んでいる気がする。


「いやぁ……驚いたわ。ただのニンゲン二人組かと思ったら、片方は意思を持つ神器だったなんて」


 もはや原型を留めていないアビスの頭だったものを、何度も何度も踏みつけながら幼女は独白している。

 凄惨な笑みだ。吊り上がった口角は、決して演技では到達できない域に達している。先程の男の笑みが霞んで見えるほどの悪辣であり、実に見た目不相応だ。


 育った環境がよっぽど特殊なのだろう。それと、傲慢になりやすい種族の影響も少なからずあるはずだ。


「自分も驚いたな。ただのニンゲン二人かと思ったら、片方は神なんだから」


「あら? わかるの?」


 幼女ーー改め女神は自分に対してふふっ……と笑いかけてくる。

 いったいなにが可笑しいのか。


「アビスを壊したんだ。神じゃないわけがない。こんな状況を見れば誰だって分かる」


「そう? あまりに動かないから木偶(でく)かと思っちゃったわ」


 あなたってモノみたいね、なんて小馬鹿にしながら女神は嗤うことを止めようとしない。

 しかし、安い挑発だな。力は見た目不相応だが、精神は見た目相応なんじゃなかろうかね。


「まあ、アビスのほうがマトモなんじゃないのか。おまえを助けようとしたんだから」


「ふふっ……そうね。ふふっ……ふふふふ……」


 アビスを足蹴にした女神はこちらに歩み寄りながら、心を見透かそうとでも言わんばかりに目を細める。

 そして、ずっとずっと微笑んでいた。

 女神らしい整った顔立ちで、はっきり言えば可憐だ。しかし同時に、背筋が痙攣するみたいな気持ち悪さを覚える。


 不思議な笑顔だ。


 目と鼻の先まで歩み寄ってきた女神は、その指先で自分の胸をツンと突いてくる。殺気も本気もまるで感じられず、かといって神力(じんりき)が侵入してくる気配もない。


 いったいなにをしたいんだ? この女神は?


 訝しく思っていると、それが顔に出ていたのか女神は告げる。


「気に入ったわ、あなた。仲間が殺されても動揺しない精神性が特に」


「ーー仲間じゃない、アビスは幼馴染だ。それとこれでも動揺してるんだ、勝手に気に入られても困るぞ」


 下衆(おなかま)認定されたので即座に否定する。

 こんな奴と一緒なのは嫌だ。


「そう照れないで」


 照れてないわ、なんて自分が言う前に女神は言った。


「ーーわたしの下僕になるのよ、ラック」


 言葉は丁寧、しかしそれは命令であり断言に近い。

 「拒否など許さん。断れば殺す」と女神の瞳は語っている。

 まったくもって物騒だ。


 しかしそれにしても、下僕については少し気になるな。

 深い意味は特に無いが。


「具体的にはなにをするんだ?」


「あそこで腰を抜かしている愚図と同じことーーさっき、あなた達がされたことよ。わたしを襲うフリをして、バカをおびき出して、金品を巻き上げるの」


 めんどくさ、というのが率直な感想だ。

 アビスが相手なら口に出すのも少し躊躇うが、自己中心的な女神に対しては別に構わず口撃口撃(こうげきこうげき)


「回りくどいな。おまえがさっさとニンゲンを襲って回ればいいじゃないか。神のなかではどうかは知らないが、ニンゲンをゴミ同然に扱える実力はあるんだろ?」


 自分が言うと、脳筋ね、と返された。 

 暴力的にアビスを壊したやつに言われたくはない。


「ここは【廃人街】。世界的に見ても一番と言っていいほどニンゲンが大量に居る場所であり、同時に最も神が少ないと言われている。けどね、ゼロじゃないのよ。可能な限り、他の神との面倒事は避けたいわ。そう何度も何度も、命賭けたくないもの」


 色々と納得できずに黙っていると、女神は勝手に語った。

 特に、と続ける。


「この【廃人街】を治める神ーーピュレトってヤツが筋金入りのクズで外道で畜生なの。ソイツに目をつけられるのだけは、絶対に絶対に回避したいのよ」


「……なら、そもそもこんなことやらなきゃいいじゃないか。普通に働けないのか?」


 もっともな意見だろう、と思ったのだが。

 対する女神は「コイツまるで分かってないわね」と言わんばかりのヤレヤレ顔でため息。


「労働なんて面倒くさいし馬鹿らしいし耐えられない。料理を作ったり、なにかを売ったり、それで誰かの笑顔を見るぐらいなら、ゲスなことして泣き顔でも見るほうがよっぽど痛快ってもんよ」


「はぁ……そうか、あんたが言うと説得力が違うな」


「…………」


 女神の真似をしてヤレヤレ顔でため息をつけば、目の前の殺気が明らかに膨れ上がった。

 ひどくないか? 理不尽じゃないのか?

 しかし、暴力を振るってくることはなかった。

 ただ、告げてくる。確定事項と言わんばかりに。


「そうね。ーーで? 一応聞くけど返事は?」


「ーーもちろん断る」 


 なんて、自分の拒否を受けた女神の呆けた表情は、どこかで見たことがあるような気がする。そして、女神の更に背後で立ち昇りつつある殺気は実に慣れ親しんだものだ。


 いままでの会話劇はただの時間稼ぎ。

 女神はハッとして振り返るが、ほんの少し遅かった。


「アビスは壊れたが、まだ死んだわけじゃないからな」


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