最終話
沖さんのお話も最終話。
大人として、執事として、良識のある沖さんにも、この崩れ行く家族は救えないのか?
数日の後、再び訪れた男は、なにやら書類のようなものを抱えてやってきました。その折は、秀人様も一緒に話し合いを持たれたのでございます。
しばらくして、満足げな美和様、秀人様とは対照的に男は少し引き締まった顔つきで邸宅を出ますと、門の外に止めてあった車に荷物を載せ、とても驚いた様子で両肩をあげて首を左右に振って帰っていきました。
どうにも気になって、私はすぐさま部下に後を追うように指示いたしました。男はやはり探偵でありました。再開発に取り残されたような古い駅の高架下の一室に、事務所を構えておりました。
私は、どうにもいやな予感を拭いきれず、その事務所を訪ねることにいたしました。
事務所の呼び鈴を押すと、疲れた声が答えました。のどが痛くなるような安物のタバコの煙が充満した部屋に案内されて、困ったように切り出したのでございます。
「先代の奥様から、美和様のなさる事をきちんと報告するように言われているのです。そちらには一切の迷惑をおかけしませんので、依頼内容を教えてはいただけないでしょうか?」
「おいおい。そんなことをはいそうですかってバラすようじゃ、探偵は務まらないんだよ。何か、こっちにもメリットがないと困るんだが」
男は伸ばし放題のひげをなでながら、値踏みするように答えたのでございます。
「もちろんタダとは申しません。では、美和様がお支払いになった額と同額ではいかがでしょう」
「ええっ!内容を言うだけで100万もくれるのか?!」
「もちろん、内容次第では充分に可能です。ところで、悟様と美優様の居所はわかったのでございますか?」
男はいっぱいにあげていた眉をぐっと引き寄せてつぶやきました。
「それがよぉ。悟ってやつは毎晩三本林のスナックにやってくるってことがすぐにわかったんだが、美優って娘は行方不明だったんだ。他にも娘の居所をさぐっている同業者がいるらしいって話だから、こっちは本当に行方不明なんだろうなぁ。」
探偵や弁護士という職業にも優劣はあるものでございます。事務所の様子から、決して優秀であるとは思いませんでしたが、ここまでぺらぺらとしゃべっているようでは、あまり当てにならない人物なのでございましょう。
三本林といえば場末のスナックが数件あるだけでございます。これはもう答えを漏らしたに等しいことでございます。
私は納得して立ち上がると、男がにやりと笑って思わせぶりな事を申しました。
「ほほう、それでこっちの持ち札は全部見抜いたということかい?」
「いえいえ、あまり長居してもご迷惑かと思いまして。。。必要ならば、次回は現金を持参してうかがいます。では」
私は何の未練もない素振りでさっさと玄関を出ました。すると、男は慌てて駆け寄ってきて耳打ちするのでございます。
「アンタ、あの家の下働きなのか?よくやるよなぁ。あんな風に家族を切り捨ててまで自分の財産を守るなんてね。恐ろしい世界だよ。アンタだって、ここに来ていることを嗅ぎつけられたらヤバいんじゃないの?」
「あははは。そうですね。きっと手痛いお叱りをいただくことになるのでしょう。お互いにナイショと言う事で」
いやはやこれには驚きました。驚いた様子を男に気づかれないように微笑んでいるのがやっとでございました。
それでも、聞きたい事は充分に聞き出せたと自負しております。こちらがあまりに動じないので、男も諦めたのか、両肩を上げて事務所内に戻って行ったのでございます。
それにしても、家族を切り捨てるというあの男の言葉が気にかかりました。その家族とは誰のことか、それは誰にも明白でございましょう。
良恵さんが一人娘の真澄さまを亡くされて悲しんでいらっしゃるという時、ご自宅にも戻らず遊びふけっていらっしゃったそのお方は、ご自分のお子さんのご葬儀にもおいでにならないままでいらしたのございます。やっとお戻りになった時は、すべてが終わってしまった後でございました。
たとえ我慢強い良恵さんが、文句を言わずに受け入れていらっしゃったとしても、プライドが高い割りに脆弱な悟様が、そのままそこでのうのうと生活なさるなど到底考えられないことでございます。拗ねたように飛び出していかれたきり、連絡が付かないという状況に陥ってしまわれるのは、火を見るより明らかでございました。
将様の奥様ともあろうお方がと思うと、遣る瀬無い気持ちでいっぱいになりますが、今は先代と連絡が取れるまで、なんとかご家族と連絡が取れるようにしておかなければなりますまい。どのように手を打つべきか、私は犬馬の労を執る覚悟でございました。
半日だけということで、お暇を頂いていた身の上の私は、夜には戻らねばなりませんでした。自分の車を久しぶりに運転しながら、疲労を感じた私はなじみのパティシエが営業している店に立ち寄ったのでございます。
美優様がご自宅にいらしたころは、よくここのケーキをねだられたものでございました。懐かしくなって男の癖にちょっとタルトなど注文してみました。もちろん、抵抗がないわけではございません。新聞を広げてその愛らしいデザインがやぼったい男の前に置かれていることをさりげなく隠しながらいただいたのでございます。
ほのかにほろ苦いグレープフルーツのタルトは、やはり絶品でございました。ほっと気持ちが緩んだその時、私は目を疑うような光景をこの目に焼き付けたのでございます。
その店の中央には螺旋階段が設えられ、見晴らしのいいVIPルームへと繋がっているのでございます。私も美優様のお供で何度か伺ったことがございました。
そしてその螺旋階段を一人の女性がしゃれたスーツに身を包んだ男性にエスコートされて降りてきたのでございます。サングラスをかけていらっしゃっても、それが絹代様であることはすぐに分かりました。耳たぶが下がるほどの大粒のサファイアのイヤリングは先代からのプレゼントだと伺ったことがありました。
しかしその相手の男性にも、私は覚えがあるように思えてなりませんでした。ワックスで髪をゆるやかに後ろに流してはいるものの、整えられた髭と鋭い眼光。
そうです!あれは、絹代様や美優様のかかりつけ医の黒川さん。
その方は間違いなく黒川医師でございました。絹代様の腰を抱くようにしていらっしゃる姿は、大変にさまになってはおりましたが、その裏で何かが起こっているということも同時に感じさせるものでございました。
私は、いったいどうしてしまったのでございましょうか。なんだかおかしくなってしまって、二人を見送った後に一人で笑ってしまったのでございます。
長らくお仕えしていた本能寺家ではありましたが、先代や当主がいらっしゃらないと、こんなにもバラバラになってしまうものなのでしょうか。
将様はどうなさっているのでしょう。いつも先代のことを思い、家族の事を考えてこられた将様は、残されたご家族がこのように奔放に振舞っていらっしゃることをお知りになったら、どう思われるのでございましょうか。
そして何より、先代はいったいどちらにいらっしゃるのでしょう。お孫さまが亡くなったことを、一番信頼なさっていらした将様が、このような状況に陥ってしまわれたことを、ご存知ないとは思えないのでございますが。
私はそのまま邸宅に戻り、すぐさまお暇をいただくよう願い出たのでございます。絹代様や美和様のなさりようは、とても受け入れがたいものでございました。将様への面会も自由に行かせてはもらえませんでしたし、将様が守ってこられた先代からの言いつけなどは、どなたも聞く耳をお持ちでないご様子でございました。
そのことを先代に気付いていただくには、この方法が一番ではないかと思われたのでございます。
あれからすでに半年が経とうとしております。美優様が電車の事故でお亡くなりになっていたと知らされたときは、すぐにでも飛んでいきたい気持ちになったものでございます。テレビでも連日のように泣き崩れる絹代様のお姿が映し出されておりました。
しかし、それさえも空々しい絵空事のように思えてしまうのでございます。テレビはそのあと、遠く中東で邦人旅行者の監禁事件が起こっていたと分かると、すぐさまそちらに集中して、美優様の一件も世間は早々に忘れてしまったのでございます。
こうして離れてみると、私には、なんとなく美優様のお気持ちがわかるような気がするのでございます。どんなに笑顔を振りまいても、先代はお忙しく構ってもらえることなど数えるほどでございましたでしょう。
お母様でいらっしゃる絹代様に至っては疎ましくさえ思っていらっしゃるご様子で、美優様の寂しさはいかばかりかとお察し申し上げます。
若気の至りと申しましょうか。悪いご友人と夜中に遊び歩いていらっしゃった時期もありました。それでも絹代様の気持ちは、美優様に傾くことはなかったのでございます。
お付のものが申しておりましたように、何かのきっかけで変わろうとなさったのだとしたら、それはとてもすばらしい機会であったことでしょう。
しかしながら、やはりどんなご令嬢であっても、自分の過去に責任を取らなければならないときがあるものでございます。美優様の過去が、ご本人のご成長の足かせになってしまったのだとしたら、それは悲劇というよりほかないでしょう。
今にして思えば、電車の事故のほんの数日前。私は美優様を街でお見かけしたのでございます。青年に手を引かれて嫌がっていらっしゃるようすもなく、とぼとぼと歩いていらっしゃる様子は、まるで抜け殻のようでございました。
あの時お声をかけていたら、あの時無理にでも邸宅にお戻りいただいていたならば、せめて美優様だけは、全うな生活を送ってくださっていたのかもしれません。
しかしそれも、今ではどうすることもできないたわごとでございます。
美和様や絹代様からは、時折邸宅に戻ってくるようにと催促を頂いておりましたが、体調が悪いことを理由に、私は今日も土手に座り込んで、ぼんやりと考え事をするのでございます。
そう、自分は何を待っているのだろうかと、そんなことを考えながら。
おしまい
転がるように落ちてゆく本能寺家。
せめて沖さんの心に傷が残りませんように。。。
シーズン4はちょっと大人テイストのお話です。