第1話
クリスタル・ファウンテン シーズン3は、本能寺家の執事、沖さんが語ります。
長らく本能寺家に仕えてきた沖さん、その語りはあまりにも悲しい。
クリスタル・ファウンテン シーズン3
―崩れ行く土手に座ってー
私は、本能寺家の執事をしております、沖ともうします。我が家の当主本能寺将様が幼い頃から、こちらでお世話になっております。
先代が海外に長らくいらっしゃることが多くなって以来、将様は今まで抑えていらした真の能力を発揮して、グループ8社の管理を実に見事にこなしていらっしゃいました。自信に満ちたお姿は、私ども使用人にとって誇らしいものでございました。
今、こうして土手に座ってあの頃のことを思い出しますと、夢を見ていたのかとさえ思えてきます。
その頃は先代がアメリカにいらして、ご主人様が若き社長として懸命に会社を盛り上げていらっしゃる頃でありました。
「ただいま。」
「パパーっ!! おかえりなさい!」
ご主人様のまわりを飛び跳ねて、まだ小学生だった坊ちゃんは早いご帰宅を喜んでいらっしゃいました。
「パパ、あのね。今日は僕、ホームルームで発表したんだよ」
坊ちゃんはとても聡明なお子さんでしたが、内向的なところがあって自分の意見を人前で話すのが苦手なご様子でした。
「ほお。秀人にしてはがんばったなぁ。これからもどんどん発言していきなさい。大人になった時にその経験がきっと役に立つよ」
「うふふ。この子ったらテストで100点とっても喜びもしないのに、こんなことになると大はしゃぎなのよ」
「だって!的場先生は発表ができるようになったら僕には欠点が無くなるって、おっしゃっていたもの」
的場先生というのは秀人坊ちゃんの家庭教師で、坊ちゃんがまだ小さい頃から担当している者でございます。
「旦那様、お食事の用意が整っております」
メイドの一人が声をおかけすると、ご主人様方はそろってダイニングに付かれるのでした。
「悟と美優は?」
「美優様はお気分が優れないとおっしゃって、お部屋で。悟様は…」
「また出歩いているのか? 沖、君に悟を止めてくれとまでは言わんが、機会をみて忠告してやってくれ」
「わかりました。」
ご主人様は若いご兄弟のことをとても気にかけていらっしゃいました。早い時期にお母様を亡くされたとはいえ、知識としての勉強だけではなく、情操教育や礼儀作法にもやさしくもきっちりと躾なさったお母さまの深い愛情を一身に受けられ、ご主人様は、いつも品よくスマートな身のこなしをなさいます。そんなご主人様ですので、歳の離れた腹違いの弟妹君にもきちんとした礼儀作法を身につけてもらいたいとお考えのようでした。
しかし、それには大きな障害がありました。先代の後妻に入られた絹代様です。絹代様は悟様と美優様のお母様でいらっしゃいますが、ご本人は華道の家元という立場においででテレビにも出演なさるほどの人物でした。
それゆえでしょうか。どうしても、お子様たちのお世話はわれわれ使用人に任せきりになってしまいがちでありました。
あの頃、悟様は毎晩のように夜遊びに出かけておいででした。元々、お母様に厳しく躾けられたとおっしゃる将様とは違い、後妻の絹代様と先代との間にお生まれになった悟様と美優様は、お付の者がそれぞれお世話をさせていただくものの、失礼ながら親御様の愛情ある躾をお受けになった様子はございませんでした。自分以外の人間の意見に耳を傾けるということをなさらず、また、お母さまの絹代様も我々使用人のお声がけに「もうその辺でおやめなさい」などと、いなされてしまうのでございます。その結果、お付の者が声をおかけしても、お二人とも聞き入れてくださることはなかったようです。
悟様は成人されてからも、いろいろと揉め事を起こされておりました。大学を卒業したあと、どちらにも就職なさらない悟様を見かねた絹代様が、将様に仕事を与えてやってくれと懇願なさっていたこともありました。
将様にとって悟様や美優様は、先代と二人で築きあげてきた本能寺グループの資産をただ自分達の堕落した生活のために容赦なく食いつぶしていく存在に見えたのではないでしょうか。しかしながら、幼い頃より人の道について厳しく諭されていた将様は、むやみに彼らを追い払う事などせず、絹代様の出方をみていらっしゃったのでしょう。
いつも高飛車な絹代様がしおらしく頭を下げていらしたときには、将様は心底困ったお顔をなさっておいででした。将様には社長としての責任がございます。兄弟だからという理由だけで、簡単に重要なポストに悟様を座らせるわけにはいきません。悟様は副社長や取締役につけろとご立腹でしたが、将様は総務で扱う品物の在庫管理を一任する形で、課長のポストを与える事になさいました。
しかし、それから1年もしないうちに事件が起こってしまいました。会社の受付嬢にすっかり入れ込んだ悟様は、女性が退社する時間を見計らって待ち伏せし、無理やり車に乗せて遊びまわっておいでになったのです。周りの者がどんなにお止めしても聞き入れてもらえず、何度かいざこざがあった末に、とうとう女性を妊娠させてしまうという騒ぎになりました。
これは警察沙汰になってもおかしくない状況でありました。相手の女性のご両親が騒ぎ立てずに悟様の真意を聞きたいとおいでになった時は、その胸の内を思うだけでこちらまで辛くなる思いでありました。将様は、大変心を痛めておいででした。
しかし絹代様は逆上なさり、相手の女性のご両親には決してお会いになろうとはなさいません。当のご本人はしてやったりと浮かれていらっしゃるし、その場を納める方法は見つからないのではと我々もことの成り行きを、息を呑んで見守っておりました。
結局のところ、将様がお相手のご両親とお話し合いになられて、なんとかご結婚にこぎつけた次第でした。
しかし、財産の有無に重きを置かれる絹代様は、お相手が財産目当てに息子を騙したのだとご立腹で、無事にお嬢様がお生まれになった時も、決してその愛らしいお姿をご覧になろうとはなさいませんでした。
悟様の下に嫁がれた良恵さんは、経済的にはごく一般的な家庭でお育ちになった方でありましたが、よく気の付くよいお嫁さんでいらっしゃいました。本家にお訪ねになることは絹代様の許しが下りませんでしたが、われわれが用事で悟様宅にお伺いした折には、何かと心を砕いてくださいました。
念願かなってお幸せそうな悟様は、しばらくは真面目にお仕事に精を出しておられました。しかし、それも永くは続きません。人間には性分というものがあり、それはほんの少し生活が変ったぐらいでは拭い去る事は出来ないものなのでしょう。
悟様の欲しがり癖は、幸せな生活に慣れ始めると同時にじわじわと頭をもたげ始めてきたのです。
「お母さん、お帰りなさい。相変わらず忙しそうだね」
「あら、悟さん。こっちに来てたの?」
「ああ、ちょっとね。持ち合わせがなくなっちゃって・・・。お母さんに会えてうれしいよ」
「まあ、困った子ねぇ。いい加減くだらないままごとはやめて、こっちに帰ってきなさいよ。」
悟様は絹代様のお帰りになる時間を聞きだして、それにあわせて本家においでになっていらしたのでございます。絹代様はそれでも悟様に甘えられるとつい財布のひもを緩めてしまわれるのでございます。
「ん~、そうしたいけど、真澄も大きくなってきたしなぁ。身動き取れないんだよ」
「そんなことはお金で解決できるでしょ? 若い女の子なら私のお華の教室にもたくさんいるわよ。今度のお免状授与式にでも顔を出しなさい。いい子を紹介してあげるから」
「そんなことしたら良恵が怒るよ。それにあんなに美人で従順な子、そうはいないでしょ?」
絹代様はそれには答えずきっと鋭い視線を送ると、疲れたとおっしゃってご自分のお部屋に入られたのでございます。
「お~、こえぇ~」
悟様は笑いながらおっしゃると、手に入れたお金をズボンのポケットにねじ込んで、さっさとお帰りになるのでございました。
その頃、絹代様がお疲れになっておられるのには理由がございました。お嬢様の美優様がなかなかご自宅にお帰りにならなかったのでございます。
絹代様は、華道の家元としてはテレビにも出演なさるほどの知名度の高いお方でございます。そして、仕事と子育てを両立しているということで、本を出版なさったのでございます。
ところが、その頃から美優様の外泊が目立ち始め、どうやらご友人宅を点々となさっているということが分かってきたのでございます。身なりも随分と変ってしまわれて、とても本能寺家のご令嬢とは思えない様子でございました。
絹代様はいつもいらだっておいででした。美優様は、いつも品行方正で可憐でなければならないというのが、絹代様のお申し付けでございましたので、お付の者はいろいろと心を砕いておりましたが、お嬢様は聞き入れてはくださらず、お付の者はいつも絹代様からお叱りをうけていたのでございます。
しかしながら、絹代様ご自身がお嬢様の口座に高額なお小遣いを振り込んでいらっしゃるため、美優様は自由にご自分のお好みの服装をお楽しみになるので、私どもには力の及ばない次元の問題ということになってしまうのでございます。
頭の回転の速い美優様は、高校3年の秋口からご自宅に戻られ、人が変ったように勉強に打ち込まれました。お付の者が混乱するほどの変化でありましたが、絹代様は大変な浮かれようで、テレビ番組に美優様を連れ出されるほどの持ち上げようでありました。
大学に入学された美優様は、絹代様の組まれた予定の番組を一通りこなされると、またふらりとお出かけになったまま、お戻りにならなくなってしまったのでございます。
問題児は絹代さん? 悟さん?
沖さんの途方に暮れた語りが泣けるなぁ。