九十六話 東方からの使者・三
「本当に何事だろうか?」と不思議に思いながら、ヴァルアスはノースの町の北側に位置する門へと歩いて向かう。
危機的な状況であれば竜族であるティリアーズは戦闘状態でありドラゴンとも称される巨竜の姿で戦うはずであり、それなら声が届くような距離で気付かないはずがなかった。
だが人化状態であしらえる程度の相手であるならば、そもそも大きな声を出す必要もない。
というところから、戦闘が必要となるような揉め事ではなく、もっと一般的な意味での揉め事にティリアーズは巻き込まれているらしいとヴァルアスは予想した。
何にせよ町の中でのこと、すぐに分かると考えて余裕を持ってヴァルアスが歩いていると、再び声が聞こえる。
「――っ、ふざけないでっ!」
前半はやはりよく聞き取れなかったものの、後半は言葉として聞き取れた。
どうやら、揉め事は揉め事でも誰かと口ゲンカをしている様子。
「……急ぐか」
生来の冷静さもあるが、何より竜族の使者として立場を自覚しているティリアーズが、人族を相手に揉めるなど本当に珍しいことだったため、ヴァルアスはさすがに悠長に歩くのをやめて小走りに切り替えた。
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「誰、だ……?」
ティリアーズの揉める相手を見たヴァルアスの第一声が、それだった。
単純に知らない顔、ということであればノースの町にも大勢いるが、見慣れない服装となれば訝しむのも当然だ。
「あれは確かアカツキのだったか」
そして見慣れないとはいっても、ヴァルアスにとって知らない出で立ちという訳ではなく、この辺りとは異なる文化圏を匂わせるものだった。
スルタでギルド長となる前、そしてなった後も冒険者として各地を股にかけて活躍してきたヴァルアスだが、東方のアカツキ諸国連合には巨人族との戦争前に行ったきりだ。
それ故に実は勘違いをしており、ティリアーズの話し相手がしている格好は“アカツキの”ではなく、“アカツキ諸国連合に属する一地方の”ものであった。
「あ、ヴァル……」
そこでティリアーズが近くまで来たヴァルアスの姿に気付き、アカツキ風の人物もその声に反応して振り返った。
近くで見てもやはり、知らない。
「ヴァルアス・オレアンドル殿ですね」
だがその相手、ヴァルアスが若い頃に世話になったことのあるアカツキの商人と同じ雰囲気で、見るからに仕立ての良い服装のその男は、ヴァルアスを見るなりそういった。
「そうだが……?」
どうやら揉めていたのはティリアーズだが、用があるのはヴァルアスであったようだ。
そしてその用の内容は、ティリアーズが口に出すよりも前に、その男から語られた。
「私はアカツキ諸国連合会頭タキ・レンジョウイン様の使いで来ました。ヴァルアス・オレアンドル殿……いえ、ヴァルアス・レンジョウイン様、あなたの婚約者、次期会頭であるサラサ様が婚礼の準備を整えてお待ちです。すぐに旅の準備をお願いします」
「…………はあ?」
朗々と歌い上げるような調子で語られたその言葉に、ヴァルアスは右側頭部を撫でながら口を曲げているティリアーズに弁解するよりも前に、ただ戸惑いの声が漏れたのだった。




