六話 騒然と愕然
ヴァルアスが長年を過ごした交易都市スルタを出て、明確な目的地も無い旅を始めたその頃、都市の中央庁舎にある都市長室には大慌てで老齢の女性職員が駆け込んできていた。
「ど、どうしました? ノックも無しにらしくないですね」
黙々と執務に取り組んでいた部屋の主、ザンクは驚き戸惑う。
「あ、失礼を……っとそれどころではないのです!」
普段は都市長にして貴族であるザンクが、いち職員である彼女に敬語使うと「示しがつかない」と苦言をいう程に序列や礼儀にうるさい人物のその行動は、驚くに値するものだった。
慌てた様子を取り繕おうと殊更丁寧に扉を閉める職員。
しかし余程急いできたのか、らしくもない息の乱れは抑えきれていなかった。
「はぁ、ふう……、それで、ですね」
なんとか荒い呼吸を飲み込んだ職員が話し始めると、しらずザンクの手にも力が籠る。
「冒険者ギルドでギルド長の交代があったらしく、ヴァルアスさんはすでに後任のヌルさんという方に後を任せて旅立たれたとか……」
「は……?」
ザンクの頭に疑問がいくつか過ぎる。
驚きも大きいが、それ以上に分からないことがあり過ぎた。
「ヌルとは誰だ? そんな幹部が冒険者ギルドにいたか? 旅立つとはなんだ? いや、それよりなにより……全部事後報告に聞こえるのですが気のせいですか?」
いつもは庶民に対しても丁寧すぎて困られるほどであるザンクの言葉が乱れる。それは心中の混乱そのものだった。
常にない迫力を滲みださせるザンクに気圧されながらも、職員はなんとか質問に答えようと口を開く。
「そうです、全て終わった後のようです。私もつい先ほど聞いてから慌てて事実確認だけしてきたのですが……どうやらギルドから通達を受けた若手職員が報告を遅らせていたようです」
すこし言いよどんでから事実が告げられる。
若手職員が責を問われるようなことは言い辛いが、事実は事実としていうしかない。そんな懊悩だった。
しかしザンクの方にはそんな懊悩を汲み取る余裕はなく、また一方で末端に責任を負わせようとする程横暴ではないことには変わりはなかった。
「遅らせて……? まさかどこかの地下組織から工作ですか!?」
そこで恐ろしい可能性に気付いたザンクが叫ぶように口にすると、苦渋の表情の職員は首を横に振る。はっきりとした否定だった。
「違います……、その……、若い職員には民間組織からのただの申し送りの一つと認識されたようでして」
「つまり軽く捉えて急いで報告するほどではないと考えたと? 英雄ヴァルアス・オレアンドルがこの都市を去ることを!?」
四十にはなっていないザンクもどちらかというと若い方だ。とはいえこの地方の二代目領主は父からかの英雄がどれほどスルタにとって重要で、そして恐ろしい人物であるかを聞かされて育ってきた。
それこそ、幼い時分にイタズラなどをすれば「ヴァルおじさんを呼んでくるぞ」といって叱られたものだった。
そしてスルタ村時代をしる老人たちにとっては、ヴァルアスといえば自ら大剣を担いで村を脅かす魔獣に立ち向かっていく英雄そのものであり、不敬を承知でいえば国王よりも尊敬される存在だった。
「なんと、なんということだ……」
都市にとっての衝撃的事件と、完全にそれに対して後手に回った己の失態を、老いても厳格で恐ろしい父に報告することを思い、ザンクは両手で顔を覆ってしまうのだった。