十八話 駆け出し行商人の受難・六
「それだ」
「あぁっ!?」
鋭い双眸を獲物を狩るタカのようにきらめかせたヴァルアスが、ペップルの手からそのカメオをかすめ取り、とられた方は絶望的な嘆きを漏らす。
「おぉ、器用な」
しっかりとした組みひもで首から下げられていたペンダントを、手の中からひもを切らず、持ち主もケガさせずに一瞬で抜き取った妙技に、ケネは感心の声を上げた。
だが当然それはどうでもよいこと。
そんなケネにも、そして今にも泣きだしそうなペップルにも構わず、カメオをしげしげと検分していたヴァルアスは不意に大きく息を吸った。
「「――?」」
少年と中年の行商人二人は揃って首を傾げる。
あるいは怒鳴られる、と考えてペップルが不安を覚え始める。
しかしヴァルアスの行動は予想の上をいくものだった。
「ぅらあああああぁぁぁぁぁっ!!」
激烈な大音声。
すぐ近くにいたケネは肩をすくめて固まり、ペップルの両目からはついに涙の粒が零れ落ち始める。
離れて横目で様子を窺っていた隊商の面々も、とにかく驚いている。
突然ペップルからペンダントを奪い、そのトップに付いていたカメオに怒鳴る老人が奇妙でない訳がない。
「うし。ほらよ」
「わっ、とっ……と」
そして何事もなかったようにヴァルアスはペンダントをペップルへと投げて返した。
取り落としそうになりつつも受け取ったペップルは、そのまま反射的にカメオを確認すると目を見開いた。
「あぁっ、兄さんにもらったカメオがぁ!」
幸運の精霊を意匠化した精緻な細工のカメオに、しっかりとひびが入っている。
「は? 馬鹿でっかい声だったとはいえ、どうして叫んだだけで壊れているので、旦那?」
ケネが漏らしたもっともな疑問に、ペップルも思わずきょとんとした表情となる。
「解呪したからだな。依り代が壊れっちまうのは、申し訳ないが仕方ない」
「解呪? まさか……呪いの品だったんですかい?」
型破りな解呪手段への疑問は一旦棚上げしたケネが問い返し、ペップルはカメオへと目を落とす。
「身内から貰ったものだったのか? そうするとお前の家は……」
豪胆なヴァルアスも言い辛そうにする。
「ペップルの実家はシナモンクルト家。雑貨品の商いでは王都でも随一の規模の大商会ですな」
「これは……上の兄さん……、次期当主である長男から出発前にもらったんです。お守りだって……」
ヴァルアスの聞いたことにはケネが素早く答え、続けてペップルが震える声でペンダントの出所を話す。
「……」
沈黙が流れる。
聞こえていた者から事情を伝えられることで周囲にも情報は伝わり、あまりの真実にペップルを邪険にしていた隊商の面々も沈痛な顔をする。
「詳しいことはワシもわからないが、悪いものを引き寄せる類の呪いだ。仮にも商会の跡取りがついうっかりとそんなものを掴まされるとも思えない」
大商会の商人にとって、呪いを見落とすことは難しい。なぜならそれが恐ろしいからこそ、商店では調べるための鑑定士や魔導具を備えるのが普通で、だからこそ安心できる店では割高でも物が売れる。
大商会の商人にとって、呪いをかけることは易しい。取引先から、口が堅く裏仕事を厭わない魔導具職人を選び、高額の依頼費を握らせればそれで済む。
ヴァルアスが断言した内容に、ペップルの表情が情けなく歪んでいく。
身内から仕掛けられたあまりに非情な罠は、優秀だが純粋な少年にとって信じがたい。
しかしそうでなければ、叫んだだけでひび割れた原因が全くの不明となってしまうし、なにより今回の行商において“悪いもの”の心当たりがあり過ぎた。
「……ぁ」
腕をだらんと下げたペップルの手からペンダントが滑り、からんと乾いた音を立てて地に落ちる。
「おいケネ」
「はい?」
「このペップルをお前の弟子にしてやれ。大商会の跡取りから疎まれるほど優秀なら、お前の利にもなるだろう」
「いいですよ」
絶望したペップルが膝から崩れ落ちる寸前、妙に軽々しいやり取りで身の振り方が決まってしまっていた。
「へぇっ!?」
当然ペップルはひどく驚き、困惑する。
確かにこうなっては実家に戻るのも恐ろしく、かといって身一つでやっていくには彼は未熟すぎた。
しかしヴァルアスはともかく、そんなことをあっさり受け入れるケネの方が特に不可解だ。
「え、けど、その……」
どう言葉にすればいいのかすら、ペップルにはわからない。
「機と見たら逃さんのが商人の、特に行商人の鉄則だ。見込みのある若手が”浮いた”ってのなら、あっしが手を出す。まあそういうことだ、よろしくな」
「はい……よろしくおねがいします」
困惑の抜けないペップルだったが、目の前で得意げに歪む悪人面は、やけに優しい色味をしているように見えていた。




