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百三十四話 老害は去れ!といわれましたが歴戦元ギルド長(75)は大切なもののために戦います・三

 キャスが立ち去り、給仕の少女に逃げるよう伝えた後で、テトは思考に沈んでいる。

 

 その切っ掛けは、建物内から微かに物音がした事だった。

 

 雑用と監視を担当する給仕をうまく取り込んだことで、テトは監禁されているこの部屋の周囲も短くはあったがみることができており、想像で補う部分はありつつも構造は把握している。

 

 聞き出した話と、目で見たもの、そしてこうした建物の一般的な構造からすると、この部屋だけでなく、一帯の区画そのものが隔離されていると考えられた。

 

 だからこそ一瞬とはいえ部屋からでることが見逃されたのであろうし、実際にこれまで外からの情報というのは本当に何も入ってきていない。

 

 それがここにきて“物音”がしたなどというのは、それこそ建物全体が揺れるような災害級の出来事が起こっているのではないかと思えたのだった。

 

 捕まっているという状況における希望的観測を含んでいるかもしれないが、可能性ということでいうと、救出に来たスルタ冒険者ギルドの誰かによる陽動ではないかとテトは推察している。

 

 そういう訳で、今テトは監禁されている部屋内のクローゼットに身を潜めていた。

 

 本来はこの部屋を使う客が豪華な衣服を収納するためにあるこの空間は、ちょうどテトが身を潜めるために目を付けていた場所だ。

 

 まさか早速に入ることになるとは思っていなかったが、小さな物音という異変に対してのテトの対応は素早く、躊躇の無いものだった。

 

 とはいえ、もしこれが思い違いで、次に入ってくるのがまたキャスであったとしたら、給仕を逃がし、今は身を潜めているテトの身の安全は一気に危なくなる。

 

 しかし状況と時間経過、それを考えると今はこれが最善……と自分に言い聞かせるように考えを巡らせていたテトは、結局は予想を超える出来事に驚愕することとなった。

 

 「……っ!」

 

 隙間から見えていた部屋の壁、窓は無いが外に面しているはずのそれが崩れていく。それも何の音もたてることなく。

 

 「……え」

 

 非現実的なその光景を何とか声を出さずに見届けたテトだったが、次に見えたものには堪え切れずに小さく呻いてしまった。

 

 壁が崩れた外にあったのは王都の街並みではなく、燃えるような赤い壁。

 

 いや、壁ではなくそれは深紅の鱗に覆われた巨体と、その中でぎょろりと室内を覗き込む縦長の瞳孔を持つ目だった。

 

 「ドラゴン……」

 

 未だ視界の中の光景に驚きながらも、テトは浮かんだ言葉を口にする。

 

 人族が長い詠唱や複雑な儀式によって行う理術よりも遥かに強力な現象を、まるで手足を動かすように行使できるという魔術。

 

 おとぎ話の中の存在だと信じる者もいるというそれを目の当たりにしたと、テトは確信していた。

 

 でなければ、頑強な壁があっさりと、そして無音で崩れるなどありえない現象だ。

 

 「もう大丈夫よ。私は――」

 

 そして見る間に姿を縮めたその紅い巨体は、片角を生やした人族と変わらない姿となって、隠れるテトへと向かって声を掛けた。

 

 どうやら先ほどの呟きが聞こえたようだったが、それとは別の理由でテトはもう隠れ続けるつもりなど無くなっている。

 

 「ティリアーズさん、ですよね。それとも母さんと呼んだ方がいいのかしら?」

 

 色々と信じられないような出来事だが、だからこそそれが間違いなく竜族であり、自分を助けに来る竜族などという存在がいるとするなら心当たりは他になかった。

 

 「え、ええ、そ、そうね」

 

 クローゼットから姿を現したテトへ、嬉しそうな恥ずかしそうな、あるいは少し気まずそうな何とも“人間臭い”表情をティリアーズは見せる。

 

 なるほど聞いていた通りの性格だとテトは納得し、同時に父であるヴァルアスが好みそうな雰囲気だと、本人に聞かせたら困惑しそうなことを考えてもいた。

 

 「助けは期待していたけれど、この展開は予想外だったわ……」

 

 壁だった空間から、今は見えている街を、先ほどの紅い竜族の姿に慌てふためく人々を覗き見てティリアーズは改めて驚く。

 

 「ふふ……、ヴァルは正面から来ているから、そっちに合流しましょうか?」

 

 そして扉の方を示すティリアーズに頷いて、テトは悠々と部屋を後にするのだった。

 

 *****

 

 「……む?」

 

 叩きのめしたキャスを拘束する縄を持ち合わせていないことに気付いたヴァルアスが、当分目は覚まさないだろうがどうしようかと考えていたところで、自分が崩した入り口の方から気配がしたことに気付く。

 

 こうした繁華街の常として、住人たちはとても危険に対して敏感で、また慎重でもあった。

 

 だからこそ、ヴァルアスが突入してから今まで介入するどころか、様子を見に近づいてくる者すら皆無だったのだが、ついに例外が現れたということになる。

 

 だが、首を捻って顔だけを入り口側へと向けていたヴァルアスの視界に入ったのは、意外な顔だった。

 

 「え? ……ギルドち――ヴァルアス、さん」

 「……ヌルか」

 

 崩れた入り口、今はロングソードを腰に収めたヴァルアス、そして倒れている顔面が変形した盗賊。

 

 それらを見て「なんでここに?」と言いかけたヌルは、状況を理解して黙る。

 

 捕まっているのはヌルにとっては“副ギルド長”だが、このヴァルアスにとっては“娘”なのだと。

 

 どうやって知って、どんな手段でヌルより先んじてここにいるのかは検討もつかなかったが、知ったのであればこれは当然に過ぎる行動といえた。

 

 そして短い時間に色々と考えたのはヴァルアスも同じ。

 

 「そうか」

 

 何かを納得するような、肯定するような短いその言葉を、ヴァルアスはとても穏やかな表情で口にした。

 

 そこには自分の長年の功績を足蹴にした若造に対する怒りなどというものは、もはや微塵も見当たらない。

 

 少しは思慮深くなったようにみえる表情や、冒険者としての風格が多少は出てきていることに感心した、という訳ではなかった。

 

 テトを、愛娘を助けるために単身で乗り込んできている、それはヴァルアスが全てを水に流すに足るだけの事実だった。

 

 「あぁ、その、ここに副ギルド長がいるはずなので……」

 

 明らかに険の無いヴァルアスにほっとしたような空気は見せつつも、ヌルはやはり気まずさから遠慮がちにそんなことを口にする。

 

 「そうだな、そっちは今頃――」

 

 分かり切ったヌルの言葉にヴァルアスが律義に答えようとしたところで、その答えの方が姿を現した。

 

 「あら、ちょうど同時だったのね」

 

 どこにも傷の無いテトがそう言いながら近づいてくるのをヴァルアスは目を細めて迎える。

 

 「ヴァルも大丈夫?」

 「ああ、何も問題はなかった」

 

 時おりぴくりと動くものの意識を取り戻す気配はないキャスを一瞬だけ見下ろしての言葉に、テトを連れてきたティリアーズも安心したように頷いた。

 

 角を持つその姿にヌルはぎょっとして肩を震わせたが、一応とテトから聞かされた話を思い出して声までは出さない。

 

 だが竜族が王都の真ん中でこんなことをしているのは大丈夫なのだろうか、と気になりだしたヌルが口を開こうとするより、テトが呟く方が早かった。

 

 「それにしても……どうしましょうか、盗賊ギルド」

 「あ……」

 

 送りつけられた手紙から考えても、この倒れているのが新ギルド長のキャス・ピンスなのだろうということはヌルも理解している。

 

 頭領の交代があった直後に、その新頭領とスルタ冒険者ギルドが揉めて叩きのめした――ケンカを売ってきたのは盗賊ギルドからであるし、実際に手を出したのはヴァルアスだが――というのはよろしくなかった。

 

 裏社会の混乱は盗賊ギルドの問題だ、といったところで国王やその周囲の貴族は納得などしないだろうということは、まだギルド長として経験の浅いヌルにも予想できる。

 

 つまりは何とか落としどころというか、無理やりにでも丸く収める必要があった。

 

 「ドクの奴をとっ捕まえて責任をとらせるか」

 「……それがいいわね」

 

 お使いの適任者でも探すような気軽さでヴァルアスが口にした提案を、テトも簡単に肯定する。

 

 だが、既に行方が分からない前盗賊ギルド長を、逃げ隠れることに関して抜群に秀でるドックルファ・テネアンを捕まえるなど、ヌルからすればとても気軽には頷けなかった。

 

 ヌルには追跡に関してそこまでの自信がなかったし、あのタツキ・セイリュウでも難しいだろう。まして他の冒険者たちでも心当たりがまるでない。

 

 「けど、それは――」

 「ドクはワシが捕まえてくる。心配するな」

 

 頼りがいを感じて、思わず安心しそうになるヌルだったが、そうもいかなかった。

 

 ヴァルアスは“前”ギルド長だ。

 

 特にそれを追いだした自分があっさりとその実力を頼ってしまっては、確実に示しがつかない。だが、そんなことはヴァルアスも承知していた。

 

 「なに、当然報酬はもらうぞ、これも含めてな」

 

 倒れるキャスをつま先で示しつつの言葉に、ヌルはテトへと視線を向けた後で、知らず皺が寄っていた眉間を緩める。

 

 あの副ギルド長がヌルでも気付いていたことに口を挟まなかったのは、ここまでが既定路線であったということのようだった。

 

 つまりあくまでも外部の冒険者への依頼ということで押し通す、と。

 

 この建物での出来事も、そしてドックルファを探して、殊勝に責任をとらせるなどという難事も。

 

 「あ、しかし金額が……」

 

 だがヌルの表情は再び曇った。

 

 ギルド長として仕事をしだした今のヌルは良く把握していることだが、現状のスルタ冒険者ギルドは悪い状況ではないが盛況ともいえない。

 

 つまりは伝説的な英雄冒険者に難しい依頼二件分を相場通りに支払うのは、無理とは言わないまでも難しいのだった。

 

 だがそのヌルの言葉を聞いたヴァルアスの表情は、にやりとしか表現しようのない笑みへと変化する。

 

 それは七十を過ぎた老人が浮かべるには快活に過ぎる、それこそ子供がいたずらを思いついた時のような表情であり、ヌルは早くも嫌な予感がしていた。

 

 「金額は相場の半分か……いや、三分の一程度でいいぞ。その代わりに支払い方法に条件を付けさせてくれ」

 「助かるわ」

 

 実際に条件をつけることで報酬の金額を上下させるというのは、冒険者の中では珍しい取引でもなく、ヴァルアスがギルドの不利益になるような事は絶対にしないと確信しているテトは内容も聞かずに頷いている。

 

 だがヌルはやはりそのヴァルアスが自分へと視線を向けていることに不安を強めた。

 

 「支払いはすぐでなくてもいい、そうだな……年ごとに分割して二、三年ってところか。で、ギルドの運営資金から出させるのも元ギルド長としては忍びないからな……」

 

 そこまでは真っ当で真摯な提案だったが、ヴァルアスがヌルへと向ける笑みはより深くなっていく。

 

 「現ギルド長の報酬から差っ引いて支払ってくれりゃあいい」

 「はあ!? “くれりゃあいい”じゃねぇだろ!」

 

 実のところ、大都市にあるとはいえごたごたとしたばかりのスルタ冒険者ギルドでは、その原因であるヌルが受け取るギルド長報酬は既に前任者から減額されている。

 

 そこから三分の一程度とはいえヴァルアスへの報酬を引けば、当面は相当に質素な生活が強いられることになり、高い酒と旨い料理が激務に耐える密かな原動力となっていたヌルにとっては衝撃的な言い掛かりだった。

 

 「やっぱりクソジジイじゃねぇか! 去れ、この老害が!」

 

 久しぶりといえば久しぶりに彼らしい乱暴な言葉で罵倒するヌルだったが、狙い通りにいったヴァルアスはどこ吹く風で機嫌の良い表情をしている。

 

 「ふははっ、まああきらめろ、ギルド長! テト、ワシはドクの方をなんとかしたらスルタへ行くからその時にまたゆっくりと話そう」

 「ええ、楽しみに待っているわ。母さんの話も聞きたいし」

 

 はっきりとティリアーズを見て“母さん”と口にしたテトに、改めて言われた本人も、そしてヴァルアスも優しく微笑んだ。

 

 「では行こうかティリアーズ、少し予定とは違うが寄り道につきあってくれ」

 「ええ、もちろん」

 

 早速に行動を開始するヴァルアスに、ティリアーズは足取り軽く寄り添って歩く。

 

 ヴァルアスがアカツキ諸国連合で取り付けてきた約束もあり、例外的に許されているこの旅がどういう形でも長引くことはティリアーズにとって願ってもないことだった。

 

 そうして、またもやヌルによる罵声を背に受けるヴァルアスは、今度は意気揚々と歩いていく。

 

 白髪頭の老英雄の背は広く頼もしく、その足取りも確としており、片角の竜族と並んで歩くその姿は意気揚々たるものだった。

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