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百七話 薬は身の毒

 アカツキ諸国連合において、要となる街はといえば桔梗会が拠点とするキキョウに違いない。

 

 そして国内西方に位置するキキョウに対して、東方の雄はといえば、それはクジョウだとされていた。

 

 クジョウは仙丹会という商会が拠点とする。

 

 儲けがでる物ならばなんでも扱う桔梗会とは違い、仙丹と呼ばれる薬を主として成長してきた仙丹会は、現在はダリル・ロクマという中年の男が商会長を務めていた。

 

 先代である父親とは違い自身は薬師ではない生粋の商人であるダリルは、細身ながら高身長で引き締まった体格をしており、年齢のわりに若々しい顔の上では赤茶色の髪が後頭部へ向かって撫でつけられている。

 

 クジョウでは純木造の建物は少なく、石材もふんだんに使われる東西折衷様式の家や店がほとんどだが、その中に在って仙丹会本部は完全に赤レンガと石材によるシャリア王国風となっていた。

 

 その本部内にある商会長執務室で、革張りの長椅子に深く座って目を閉じている男が、その仙丹会のダリルだ。

 

 執務机とは別に用意された、応接用でもなく、ただダリルが座るためだけのその長椅子は、彼が考え事をしたい時のお気に入りの場所だった。

 

 「……」

 

 無言のままダリルは目を開ける。

 

 よく手入れされた扉が音も無く開き、若い女が執務室へと入ってきたからだ。

 

 ノックなしにこの部屋に入ってくるのはダリルの秘書を務めるこのケイコ・シダだけであり、視界でもその事を確認したダリルはそのまま顎を軽く引いた。

 

 いつもの報告を促す上司の態度に、ケイコは何の感慨も見られない無表情で口を開く。

 

 「商会長の予想通り、例の英雄とともにキキョウを出発したようです」

 

 それは動向を探らせていた桔梗会次期商会長サラサ・レンジョウインについての報告。

 

 漏れたのか、あるいは流したのか、仙丹会でも掴んでいた西方の英雄ヴァルアス・オレアンドルの招致という情報から、ダリルはここまでの展開をすでに予測していた。

 

 何を引き換えに交渉しようと、朴訥で誠実――バカ正直ともいう――であるらしいヴァルアスを婿として迎えるなど不可能だろう、と。

 

 であるなら、サラサの周辺情報からするとこの筋書きしかありえなかった。

 

 とはいえダリルはゼツの存在は知っていても、魔導具職人として今何をしているかまではさすがに知り得ていない。

 

 桔梗会が囲う若い職人の開発物など秘中の秘だ。とはいえ魔導具職人であるなら作るのは魔導具であろうし、そのために苦労するのはいつだって希少な魔獣の素材と相場は決まっていた。

 

 希少素材を持つ凶悪な魔獣と、わざわざ遠方から来させた冒険者。

 

 この二つを繋げて考えたことを「商会長の予想」などと取り立てていわれることは、ダリルとしてはむしろ馬鹿にされているようですらあったが、そこは表情には出さなかった。

 

 代わりに、普段よりは少しだけ低い声音で質問を返す。

 

 「随伴は?」

 「サラサ嬢と若い職人、それから冒険者ヴァルアスの三人のみとの報告でした」

 

 やはり桔梗会の私兵は出さなかったらしい。

 

 そのことをしばらくかけて吟味したダリルは、長椅子から立ち上がって執務机に近づくと立ったままで軽く腰を曲げ、常備してある紙に何事かを書きつけた。

 

 「次の指示だ」

 「はい…………承知しました」

 

 読みづらいほどに崩れた書体で書かれたそれを受け取って目を通すと、ケイコはやはり表情は一切動かさずに了承する。

 

 そして受け取った指示を商会として実行するために、そのままやはり形式的な退室の礼などは無く部屋から去っていった。

 

 「ふう……」

 

 そして口は堅く引き結んだ難しい表情のまま、ダリルは鼻から小さく息を吐き、再び長椅子に腰を下ろして何事かの思案に戻る。

 

 こうして、少なくともヴァルアスには全く知りようもないところで、アカツキ諸国連合における次代の主導権争いが静かに始まろうとしていた。

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