うすら恐い旅人の風景4
『うすら恐い 旅人の風景 31-40』
【 三十一 ねこ 】
大きな猫が鳥居の上から睨んでゐる。
【 三十二 黒髪 】
街道沿いの、小さな旅籠に宿をとった。
相部屋だったが、今晩は自分一人だけらしい。
商い箱の整理を終えれば、特段することもない。早々に布団へ潜り込む。
翌朝。
目を覚ませば、布団の周りに長い黒髪が無数に落ちていた。
儲けた。
仮髪を作ろう。
【 三十三 山賊】
山径で、刀を持った三人の賊に遭った。
「命が惜しくば、荷を置いていけ」
「命が惜しくば、銭を置いていけ」
「命が惜しくば、身ぐるみを置いていけ」
商い箱を背から下ろす。蓋を開く。
「素直じゃな」
「余程、命が惜しいとみえる」
「よしよし、命は獲らんでやろう」
一番上の引き出しを開ければ、大蛇が飛び出した。
長い胴で、賊を絞め上げる。
しゃあ、と大蛇が鳴く。
「許してくれ」
「助けてくれ」
「命ばかりは」
「喰っていいぞ」
ひとり。ふたり。さんにん。
大蛇の口へと消えていく。
【 三十四 何処かで会った 】
「どこじゃのう。どこかで、会った気がするんじゃが」
石に腰掛けた老人が首を捻る。
「気のせいです」
「そうかのう」
「そうです」
厄病神と知り合った覚えはない。
【 三十五 指先の花 】
手をのばした先に、あなたはいない。
一輪のキンセンカが咲いている。
【 三十六 木の葉隠し 】
「すべてを知ろうなんて、傲慢にも程があるわ」
鬼女が血に濡れた紅い唇を吊り上げた。
舞扇を手に、くるりと回る。
天からは紅葉、黄葉が舞い落ちる。
「知らぬが仏、っての言葉もあるな」
場違いなまでに、豪奢な着物を纏った鬼女が嗤う。
「そうね。このひとたちも、かわいそうなこと」
紅葉する山奥に、喰い殺された五人の武者。
その骸を覆い隠すように、天からは紅葉、黄葉が舞い落ちる。
【 三十七 つばさあるもの 】
町外れで、鴉と出会った。
よたよたと地面を歩いている。片翼が折れている。
垂れ下がった右翼が重そうだ。それでも若鳥なのか、無事な翼をはばたかせる。飛べない。
「お困りのようだな」
鴉が止まる。目が合う。
「薬がある。買うか?」
黒い目がぱちぱちと瞬く。
「カア」
鴉はふいっと顔を逸らし、また不格好に歩きだした。
天空から大鷹が飛来し、鴉を掴む。
鋭い爪が喰い込む。ギャアという断末魔。
翼ある強者はあっという間に空へと消えていった。
【 三十八 雨の中 】
雨が降り続いている。
とととととん、番傘を叩く。
目の前には、雨ではない靄。
「何か用かい?」
とととととん。白い指が番傘を叩く。
【 三十九 霊茸 】
陰鬱とした山奥の奥。
ねじくれたアカマツの根元にあるもの。
「喰らえば、命数延びる霊茸かな」
茶色く腐敗した死体から、白細いキノコが無数に生えている。
【 四十 風の四辻 】
りん、と鈴の音に呼ばれた。
森の中の細道を歩いていたはずなのに、気付けば拓けた四辻に立っていた。
踏みしめられた地面、果てない蒼穹。風が四方から吹き込む。
りん、と鈴の音が鳴る。
「よう」
白い面布で、顔を隠した者が現れた。
筒袖の白い着物に黒袴。腰に緑の薄絹を巻いている。付けられた小さい鈴がりんと鳴る。
「久しぶりだな」
朗らかな青年の声。面布で視えないが、きっと人好きのする笑顔なのだろう。
だが。
「商売柄、一見さんも覚えているさ。間違いなく、はじめましてなんだが」
青年が首を傾げた。
「そうなのか?」
「神と商いをした覚えはねえな」
「……俺はそんなんじゃない」
神気を纏っていてよく言う。
「ああ、そうか。時違いか」
勝手に相手は納得した。訳がわからない。
「どうでもいいが、一介の行商人に神が何用だ?」
「だから、そんなんじゃないって」
不貞腐れた様子に、少し笑えた。
若神が切り出す。
「藤袴の香は商っているか」
「ああ。あるぜ」
商い箱を地面に下ろし、引出しから取り出す。手の平に乗る、平たい小箱。
「対価はこれで頼む」
差し出されたのは、蒼鷹の尾羽が二枚。
「馬鹿野郎。多過ぎる」
「いや、これで。勝手に呼び付けたから」
風が吹き込む四辻。当然のことながら、現ではない。
「わかった。商談成立だ」
藤袴の香と羽根を交換する。
「ありがとうな」
明るく、澄んだ声音に驚く。
「何だよ?」
「や、神に礼を言われたのは……はじめてだったから」
「神じゃないって。それに、何かしてもらったら、ありがとうだろう?」
堪え切れず吹き出したら、相手が不機嫌になった。
「何だよ」
「別に」
商い箱を背負い直す。
「また、用ができたら呼んでくれ。お前さんなら優先して商ってもいい」
「そりゃ、どーも」
四辻に風が吹く。
りん、と鈴音が響いた。