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百閒の集

 電車でつり革に掴まりながら内田百閒の怪談集を読んでいたら、自分の降りる駅に着いてしまった。夜も更けていたがあと少しで小編を読み終わるところだったので、駅に着いてもすぐに改札を通ろうとは思わず、ホームのベンチに座り続きを読むことにした。一緒に降りた乗客は残り半頁ほどを読み進む間に残らず上り階段に吸い込まれたとみえ、気付けばホームにいるのは私独り。


 短い怪談を読み終えると私は薄ら寒い気持ちになりながら本を閉じて鞄に突っ込み、階段へと向かった。極端な人見知りなので普段俯いて歩いてばかりいるが、いつもの癖で一段目を踏み出すと同時に上を見上げてぎょっとする。階段を上りきった人気のないところに髪の長い女が一人、後ろを向いて立っている。


 無言で後ろを向いている人物というのは怖い。しかもよく見れば時々痙攣させるように肩を揺らしていた。


 とはいえ、気味は悪いがそれだけで怪異の類とも思えず、よって私は歩を止めずに階段を上り続けた。その間、私は一時も女から目を離すことができない。しかし階段の半ばまで来てなぁんだと思った。女が別の誰かと話をしているのがわかったからだ。ところがその誰か、つまり男は背を向けた女の向こう側にいたものだから、ちょうどこちら側からは隠れるような格好になっていて一人きりに見えただけなのだ。肩が揺れていたのも、男と歓談しながらくっくと肩を揺らして笑ったものだったらしい。


 私はつまらない結末に拍子抜けしながら、自分の単純さにあきれ返った。このような勘違いをした原因は間違いなく内田百閒である。元来私は創作物から影響を受けやすい。今このような小品を書いているのも早速百閒の作品に影響を受けた結果であろう。しかし創作物に与えられた暗示の力を借り、時々は先刻のような極上の怪異に触れることもできるのだから創作家としては悪いことばかりではない。けれど所詮暗示は暗示。正体を見極めようとすれば、たちまち逃げ水のように消え失せてしまう。ほんに現実はつまらない。百閒もこの退屈な現実の慰みに、実際に体験した出来事を暗示と想像の力でもって脚色していたのではなかろうか。この世に怖いことなど本当は無いのだ。


 と、せっかくそう考えていたのに女はすれ違いざま私に一瞥をよこした。まともに「女」と目が合った。

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