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6.日常系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)

珈琲がおいしいと幸せだよね。

 珈琲豆の入った袋にスプーンを入れて。少し粗めに調整されたコーヒーミルに、すくいあげた豆を入れる。用意した豆はツッカーノブルボン、カナリオ、エチオピア・カッファの三種類。ツッカーノブルボンは少し量を多めに、あとは気分で量を決めてブレンドをして豆を挽き始める。

 この三種類の豆は全て、家の近くの大型スーパーの中にある「KALDI COFFEE FARM――カルディコーヒーファーム――」で購入した豆でして。この店、他にもいろんなハーブティーや輸入菓子が置いてあって、おもしろい店ですよね。おかげで、最近はよくここで買い物をします。


 さて、そんな話をしているうちにお湯も沸きまして。挽いた豆を素早く紙フィルターがセットされたドリッパーに入れて。まずは軽く湿らせらようにお湯を注いだあと、本格的にお湯を注ぎ込む。


 そうすれば、いつものようにおいしい珈琲の出来上がりです。


 今でこそ、適当にブレンドするようになってしまいましたけどね。十年以上前、一度だけ「これだ」というようなブレンドを見つけたのですよ。ブルボン種をベースに「思茅シモン」という中国産の豆をほんの少しと、あともう一つなにかフルボディの豆をブレンドしたと記憶しているのですが。うん、よく覚えてなかったり。

 そのブレンドを初めて飲んだ時は本当にびっくりしたんですけどね。次に淹れた時にはもう、いつもの珈琲になってまして。うん、あの衝撃は何だったんだと今でも思います。


 あの時はね、確かに「自分の理想の味を見つけた」と思ったのですけどね。


 その時以来、これだという珈琲は飲めていないのですが。でも、今となってはそこまでのこだわりも無くなってしまった感じでしょうか。まあ、当時よく行っていた店が「思茅」を置かなくなってしまいましたし。あれの代わりが見つかればね、またこだわり始めるのかも知れませんが。今のところ代わりが見つかっていないのも事実でして。

 まあでも、例え適当でもブレンドした方がおいしいですしね(主観)。今後も適当ブレンドは続けていくと思います。幸い、ツッカーノブルボンをベースにすれば、そこまでの失敗は無いですし(主観)。


 休日、ちょっとした余暇においしい珈琲を淹れて飲む、何気ない日常だけど、幸せって案外そんなもんだと思うんですよ。


 そりゃあね、何か難しいことを達成したり、頼りにされたり、注目を浴びたりするとね、こう、体中をいろんな感情が駆け巡って見える世界も変わったりもする。それが得難い経験だということもわかりますけどね。


――でもね、何気ない日常にだって「幸せ」はありますよね。


 自分の淹れた珈琲で幸せを感じる。そうですね、ほんの少しで良い、その幸せに付き合ってくれる人がいるとなおいいですよね。


 いつものように「おはよう」とあいさつをして。

 いつものように食パンを焼いてバターを塗って。

 いつものように珈琲を淹れる。


 きっとその幸せは、他の何かで得られる幸せと同じくらいの価値があって。


――なにより、その幸せはきっと、どんな時にでも自分の支えになってくれる、そんな幸せだと思います。


  ◇


 まあ、私は独り身で、そんな相手はせいぜい年老いた母親くらいなのですが。で、実はそんなことをしたりすることもあまりなかったりするのですが。でもまあ、たまに珈琲を淹れると喜んでくれますし、いいですよね。人それぞれということで。


  ◇


 さて、実は私、先週の金曜日(2019年11月29日)、サイクリングに行こうとしてうっかり転んで左手を骨折しまして。救急車を呼んで運ばれた先の病院で応急処置をして。整形外科で診察を待つ間、スマホをポチポチしてたのですが。

 その時に、ツイッターでこんな言葉を見かけまして。


――コーヒーを飲む幸福を思い出すためにはコーヒーを淹れないといけないんだよな、という言葉を。


 まあ、実はその一連のツイートでこのエッセイに書かれていることとおなじようなことが書かれていたのですが。このツイートを見て、病院の待合室で順番待ちをしている時に、なんとなく思ったのですよ。


――うん、家に帰ったら珈琲を淹れようと。


 で、珈琲を淹れようと思ったのですが、これがなかなかね。こう、珈琲って「どんなときでも」淹れることができるわけじゃないということを痛感したわけですよ。


  ◇


 最初の日(11月29日)は、独力で珈琲を入れることができなかったのですよ。珈琲豆の入った袋からスプーンで豆をすくい上げるのすら悪戦苦闘する始末で。豆をミルにいれても、左手で固定しないと豆を挽くことができないですしね。

 結局その日は、親の手を借りて珈琲を淹れました。うん、まあおいしかったですけどね。


 翌日(11月30日)、救急車で運ばれた病院から家の近くの病院に転院して。で、診察と入院前検査を済ませて、最初の病院に預けてあった自転車を引き取って。で、家に帰ってから、今度は初めから親に手伝ってもらって珈琲を淹れました。

 うん、まあ、おいしいからいいんだけどね。


 さらに日が明けた次の日(12月1日)、三度目にしてようやくコツをつかみまして。片手で珈琲豆をスプーンですくいあげてミルに入れて、一人で豆を挽くことに成功しました。

 まあ、あれだよね。左手でミルを押さえることができないのなら足で押さえればいいじゃないかと、キッチンに座り込んだのですが。


 やっぱりね、自分で淹れた珈琲はおいしいですね。


 そして週が明けた月曜日(12月2日)、半日だけ出勤して今後のことを少し話をして。で、帰ってきてから自分で珈琲を淹れて飲んで。翌日の火曜日(12月3日)も、会社に行って半日働いて帰ってきてから珈琲を淹れて。うん、やっぱり珈琲は自分で淹れないとと思いつつ。

 でも、翌日から一泊入院して手術ですからね。それより何より、何気なく見てたテレビCMで見てしまいましたからね。グラコロが始まることを。

 っていうか、なんですか、あのけしからんテレビCM。むっちゃ良くないですか、あのアニメ? グラコロというだけでも魅力的なのに、さらに魅力的なCMを流してどうしようってんですか?


――もうこれ、珈琲どころじゃないよね!


 翌日の水曜日(12月4日)、入院して、右手に点滴の針が刺さって。色々あって、右手の甲に針を刺しまして。

 そんな事実上、両手が使えなくなった状態で手術をして。手術が終わったら麻酔の効いた左手は右手で支えておかないと、どこかにゴロンと転がっていきますし。……それでも、感覚と同時に痛みが襲ってきますからね。それと比べればまだマシなのですが。うん、もうアレですね。


――もう、グラコロどころじゃないよ!


 手術後、麻酔が切れたのか晩ごはん時の18時。鎮痛薬を服用して、それだけでは足りなくて点滴もしてもらって。ようやく痛みが引いたのが21時頃。

 もうね、グラコロ食べたい、家に帰ったらグラコロ食べるんだと、その一心で時か過ぎるのを待って、痛みにも耐えて。

 深夜2時頃にもう一度痛み止めの点滴をしてもらって。点滴が終わったあと、針だけ刺した状態にしておいたら、そこから(ほんの僅かな量だけど)血液が逆流するなんて事件もあって。うん、気がついたときには病院の布団を結構汚してしまいました。


 と、そんなこんなも終わってみれば短く感じるもので。無事に退院して、家に帰ってきて。親にグラコロを買ってきてもらう間に珈琲を淹れる準備をして。

 で、かれこれ一年ぶりのグラコロを味わった訳ですよ。思えばこの一年、色んなことがあったけど、今年もこうして無事にグラコロを食べることができたなぁ、と。


――うん、やっぱりね、グラコロがおいしいと幸せですよね。


  ◇


 最後に。珈琲のことも忘れてないんだからね!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分もコーヒーが好きなので、すごく共感しました [一言] 自分でコーヒーをいれることができる、ということは当たり前ではないんですね。 今まで、当たり前に感じていたことが、当たり前ではないと…
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